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草原草原(くさはらそうげん)

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local99
#大人の恋愛
瑠璃マリコ
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「奥様、呉服屋が来ますよ」
二日後の昼、文が洗濯物を抱えたまま言った。
「旦那様がお呼びになったんです。奥様の着物を誂えるんですって」
千歳は干し場で、お初と一緒に敷布を畳んでいた。手が止まった。
「私の」
「ほかに誰がいるんですか」
文は笑って、転びかけて、洗濯物を一枚落とした。
午後、広間の絨毯の上に、反物が並べられていく。紅、紫、藤色、浅葱、鶯。番頭が一本ずつ広げて、戻す。千歳はその端に座って、見ていた。自分のために広げられているのだと、文に言われていても、分かるまでに時間がかかった。
反物なら、梢の振袖のものを、冬に仕立屋まで取りに行った。あれは紅だった。藤乃が選び、梢が喜び、千歳が運んだ。運ぶときは、濡らさないことだけを考えていた。色を見たのは、仕立屋の台の上で、一度きりだ。
「奥様の、お召し物でございます」
番頭が言った。
「いただけません」
千歳は言った。
「私は、このままで」
お初の藍の着物を、千歳は指で押さえた。番頭が困った顔で、戸口のほうを見た。
玲司が立っていた。会社から戻ったところで、まだ外套を着ている。
「君が着てきたのは、妹の寸法だろう」
玲司は反物を見ながら言った。
「手首が出ていた」
千歳は右の袖口を見た。今は隠れている。お初の着物だからだ。梢の衣装では、出ていた。あの日、車寄せで、この人はそれを見ていた。
「それと」
玲司は反物の列の、一本の前で足を止めた。
若草色だった。春の、芽が出たばかりの色。
「君には派手なものより、これだ」
番頭が急いでそれを広げ、千歳の肩に当てた。千歳は動けなかった。若草色が、頬のすぐ下にある。
「お似合いでございます」
番頭が言った。玲司は何も言わなかった。見ていただけだ。
「寸法を取れ。袖は長めに」
番頭が巻尺を出す。千歳は立たされ、腕を広げさせられた。右手の甲が、袖から出る。番頭は見なかったふりをし、玲司は見た。それから、外套を脱ぎに廊下へ出ていく。
寸法が終わったとき、玲司が戻ってきた。
千歳は、言おうと決めていたことを口にする。
「旦那様」
「なんだ」
「私が着てまいりました衣装を、有明へ、お返しいただけませんでしょうか。あれは、梢のものでございます」
玲司は千歳を見た。
「返してどうする」
「梢が、いつか使うものですから」
使う。あの衣装を着て、梢がどこかへ嫁ぐ。その「どこか」がこの家であってはならない、と思っているのか、あってもいいと思っているのか、千歳には分からなかった。ただ、梢のものを自分の部屋に置いておくのが、落ち着かなかった。
「柘植」
戸口で柘植が時計を見た。
「返せ」
それだけだった。柘植は頭を下げる。
「私が、畳んでまいります」
千歳は先に立って二階へ上がった。梢の花嫁衣装は、部屋の隅に、来た日のまま掛けてあった。白い絹を畳む。畳みながら、袖口の糸が一か所ほつれているのを見つけた。仕立屋から持ち帰る途中、雨の中で包みを抱え直したときに、爪が引っかかったところだ。
千歳は針箱を取りに戻りかけて、やめた。
これは梢のものだ。直すなら、梢の家で直せばいい。
そう思って、それでも、針箱を取ってきて、三針だけ縫った。縫ってから、油紙で包んで、柘植に渡した。柘植は時計を見て、何も言わずに受け取った。
玲司は広間を出ようとして、戸口で足を止めた。振り返らなかった。
「袖で雨をよける癖はやめろ」
千歳は息を止めた。
「袖は、濡れるためにあるんじゃない」
廊下を歩く音が遠くなった。
千歳は自分の袖を見た。お初の藍の袖。あの日の袖は、梢の衣装と一緒に、二階に畳んである。
あの雨の中を、この人は見ていた。
車寄せに傘もささずに立って、自動車が来るのを、どのくらい待っていたのだろう。千歳は、そのことを初めて考えた。
番頭は玄関で、柘植と話していた。
千歳は廊下の角で、聞くつもりはなく、聞いた。
「有明様のお屋敷でございますか。いえ、もう、お出入りは」
番頭は声を低くしていた。
「掛けが、二年分ほど。あの奥様が、お嬢様の振袖を、と仰るので一度はお請けしたのですが。この春で、お断りを」
「そうか」
柘植の声だった。
「御堂様には、ご迷惑のかからぬように」
「迷惑などない」
柘植は時計を見た。番頭は何度も頭を下げて、帰っていった。
千歳は廊下の角から動かなかった。
梢の振袖。女学校の友だちに見せるのだと、冬から藤乃に言っていた。千歳はその反物を、仕立屋まで取りに行かされた。あれは、届かない。
嬉しくはなかった。嬉しくないことに、少しだけ、ほっとした。
夜になって、千歳は軟膏を塗った。
袂から壺を出し、蓋を開け、指に取って、右手の甲に伸ばす。痕の上にも塗った。塗ってから、痕には効かないのだと気づいて、それでも拭わなかった。
窓を開けた。
庭は暗い。離れの障子に、灯りがある。昨夜も、一昨日の夜も、あった。昼は白い障子で、夜は黄色い。それだけのことを、千歳はもう三晩、見ている。
女の人の声がするって。
文はそう言った。千歳は耳を澄ませた。聞こえるのは、風と、庭木の葉だけだ。
影が動いた。
母屋の脇から、庭を横切って、離れへ向かう影がある。人だ。男だ。提灯も持たず、慣れた足取りで梅の木の間を抜けていく。
玲司ではない。背格好が違う。玲司のほうが、もう少し高い。
男は離れの前で立ち止まり、戸を叩いた。二度。間を置いて、一度。
戸が、内から開いた。
中の灯りが、一瞬、庭に漏れた。男の影がそこへ入って、戸が、内から閉まった。
コメント
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第5話、読み終えたよ〜!若草色の着物、千歳さんにすごく似合いそう…玲司さんが袖の長さとかちゃんと見てるところにグッときた😢「袖で雨をよける癖やめろ」って、あの雨の日にずっと見てたってことだよね…静かな愛情がじんわり伝わってくるシーンだった💕最後の離れに忍び込む男の影も気になる…次の展開が待ち遠しいよ!