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雲一つない晴れ上がった青空の下、ユカリは湿気た木の枝を麻紐で縛って人の形を作りながら、焚火を見つめる。そうして同じように火を囲む二人の会話に耳を傾ける。
「申し訳ございません。覚えているのはそれで全てですわ」焚書官姿のレモニカはベルニージュを見つめてゆっくりと首を振る。「何しろ幼かった頃の話ですし、わたくしはある頃から、解呪の試みを全て拒んでいましたから」
レモニカはレモニカの人生を多く語ってくれたが、まるでそれは昔物語のようで、レモニカは意図的に抽象的に話しているようだった。
レモニカの具体的な人生、人々との出会いや別れ、どのような土地で、どのようなものを食べ、どのように話し、笑い、歌い、働いていたのか、ユカリにはまるで分からなかった。
掻い摘んで言えば、生まれた時には呪われていて、しかし本人は病だと思って生きてきた。それが呪いだと知って以降、様々な苦労の果てにこれ以上迷惑をかけたくないと考え、家出をし、コドーズのところに行き着いたということらしい。
「なるほどね。でも参考にはなった」ベルニージュは焚火に当たりながら腕を組んで、やはり雲一つない青空を赤い瞳で見上げる。「それにしてもレモニカに試したっていう魔術や薬は有名どころをきちんと押さえてる。ワタシでもそこら辺を一通り試しただろうし。それらが全て役に立たなかったとなると、ワタシがレモニカのためにできそうな解呪方法はあまり多くない。魔導書を触媒にして似たような解呪の魔術を行うくらいだけど。そもそも道具も薬も何もない」
ベルニージュはレモニカに深く問いただしはしなかった、興味ないだけかもしれないが。たぶんその方が良いのだろう、とユカリは思った。
ユカリはレモニカに出会ってからの旅を振り返り、やきもきする。ずっとそういう生き物、怪物だと思って接していた。何か失礼なことは言っていなかっただろうか。そもそもそのように接していたこと自体がとても失礼だが。
秘密を明かされたあと、ユカリは改めて謝罪し、レモニカは許してくれた。
ベルニージュがユカリの合切袋を見つめながら言う。「魔導書を触媒にしても解けないんだから、相当強い呪いだよ。相手も魔導書を使っている可能性が高い。他には何かない? 誰にかけられた呪いなのか分かるとかなり有利なんだけど。解けないまでも弱めたりすることもあるからね。恨みとか妬みとかが呪いを強力なものにするからさ」とベルニージュは何気なく言う。
その言葉はレモニカを傷つけないだろうか、とユカリは警戒する。心配し過ぎだということは自覚していたが、自分の心はどうにもならない。記憶喪失を抱える友人と、変身の呪いを抱える友人に対して、自分はあまりにも気楽な人生を送ってはいないだろうか、と妙な罪悪感を覚えた。
レモニカは何のためらいもなく返答する。「特に覚えはありません。知らないだけかもしれませんが。わたくし自身、呪いについてあまり深く考えたことはありませんでした。子供の頃からずっとこうなので、もはや自分の一部というか。もちろん呪いが無いに越したことはありませんが、あって当たり前のように感じていますもの」
ユカリはレモニカのこれまでを思い、悲し気な表情になるが、己の同情心の厚かましさに気づいて涙は堪える。
ベルニージュはあからさまに顔を顰める。
「駄目だよ、レモニカ。魔法は得てして未知な存在であればあるほど強力なんだからさ。知ろうとすることそのものが対抗手段になるんだよ」
そう言われてもレモニカはぴんと来ないようで、ただ頷くだけだった。ベルニージュもそれ以上は言わなかった。
ユカリが、人の形になった木の枝を焚火に放り投げると、白い煙が起きて空へと立ち昇る。憎らしいほどに澄み切った青空へと還って行くように一本の白い筋が溶けていく。
ユカリは小さくため息をつく。「本当に大丈夫かなあ」
「ここに来たいって言ったのはユカリでしょ?」とベルニージュは言う。「何だっけ? 魔法の剣の英雄がどうのこうの」
「フェイデリアね。愛剣バギルディフォンがこの土地で見出されたんだよ」
すでに、ノグマエルの妖術師を討伐し、無謬荒野の踏破を成し遂げ、七つの才知を持つと讃えられたフェイデリアはこの地で鍛えられたバギルディフォンを携えて新たな旅に出た。そして翡翠鱗殺しをはじめ、多くの竜を屠り、人の野原に知らぬ者のいない鱗剥ぎとあだ名されるに至ったのだ。
「この土地のどこで見出されたの? バギ……なんとかは」
紫の瞳を輝かせ、ユカリは言う。「街で最も高い塔でもある神殿でフェイデリアが神に願ったんだよ。全ての邪な竜を屠る真なる剣を授けたまえ、ってね。そしたら天からバギルディフォンが落ちてきて、塔の頂に突き刺さって、塔を両断した。そして瓦礫の中からバギルディフォンを携えたフェイデリアが這い出てきたってわけ」
「えっと、塔が竜だったの?」とベルニージュは分からないことを言う。
ユカリは眉根を寄せて首を傾げて言う。「何の話? 塔は塔だよ」
「だって全ての竜を屠るって」
「全ての竜を屠るからって、両断するのが竜だけとは限らないでしょ?」ユカリは想像の中の塔な竜を思い浮かべて言う。「でもその説は面白いので気に入ったよ」
ベルニージュはため息のような笑い声をこぼして言う。「それは良かったよ」
「フェイデリアの物語はわたくしの故郷にもありました」レモニカが声を弾ませて言う。「忠心と信心の間に翻弄され、身を裂かれるような思いをした悲劇の人ですね」
「そう!」ユカリは身を乗り出して、手を止める。「剣を振るえばその閃きで竜の目を焼き、剣を投げればその轟きで竜の耳を潰したんだよ」
「げに恐ろしきは人心の移ろい。フェイデリアの心は堅いが故に脆かった……」とレモニカは声を震わせる。
ユカリは拳を振り上げる。「何者をも恐れぬフェイデリアは毒の息を吐く竜をばったばったと切り伏せる!」
「二人のフェイデリア観が違い過ぎる」ベルニージュは白い息を吐いて可笑しそうに笑う。「でも確かにその伝説は真実味を増すね。ちょっと難しいと思ってたけど、元型文字も何とかなりそう。本人に頼むのが一番手っ取り早いしね」
ユカリは手を止めて爆ぜる焚火を見つめて言う。「頼んだ次の瞬間には私、焼き殺されてるかもよ?」
「出来る限りの魔術で防ぐよ」とベルニージュは言う。「即死はしないはず」
「何の慰めにもなってない」ユカリはため息をついて焚火に人形を放り投げる。「泥を作るだけだったらなあ。簡単なのに」
「いつかは手に入れないといけないんだから、二つ同時に用意できるならそれに越したことはないでしょ」
「分かってはいるんだけど。不安はどうにもならないよ」
三人のいる街道の脇からは街が見える。街の名は美しい石畳といって、サンヴィアでも稀有な石材の産地だった。石切り場でもある谷と並行するように、切り出した石材と仕事歌を運ぶ穏やかな川が流れ、南北に伸びる街道と交差している。肌理細やかな石畳の他にも夜闇の神を称える驚異に満ちた偶像や、川をたどって他所の土地へ売られる数種の規格石材が河港に並ぶ姿も見える。
ベルニージュとレモニカも加え、三人はせっせと人形を作っては焚火に放り込む。次第に、仕事歌でもうたうようにユカリが口ずさむ。二人は聞き入っていたが、きりの良いところでベルニージュが尋ねた。
「ユカリ、それ何の歌?」
「『子狐おいて』。子守歌だよ」
ベルニージュもレモニカも手を止める。
「何で人形を火にくべている時にそんな歌をうたうの!?」とベルニージュは非難するように言う。
「言われてみればちょっとおっかないね」ユカリは苦笑する。「いや、そこまで考えてなかっただけだって。そう怖い顔しないでよ」
人形を火にくべて、次の枝を手の中でまとめながらベルニージュは言う。「とにかくどんどん作ってどんどん火にくべて。いつまでも焚火に当たっている訳にはいかないからね」
「そうだけど、一欠けらの雲も見えないよ」ユカリは空を見上げてぼやく。「本当に意味あるの? これであってるの?」
「雨雲のあるところに行った方が話が早そう」とグリュエーは言った。
「それはグリュエーだけだよ」とユカリは答える。
「意味あるし、あってるよ」ベルニージュは鋭く言う。「これは魔法使いなら誰だって知ってる雨乞いなんだからね」
「確か前に聞いたことがあるんだけど」と言ってユカリは首を傾けて思い出すふりをする。「魔法は得てして未知な存在であればあるほど強力なんじゃなかったっけ?」
「だから魔導書を触媒にして力を強めてるの!」とベルニージュは言い捨てる。
レモニカは枝と麻ひもを握りしめて、繰り返しユカリとベルニージュの顔を窺っている。レモニカの心配する気持ちが手に取るように分かったので、ユカリは引っ込んだ。そして黙って新たな人の形を作り始める。
「あ、まずい。ユカリ、じゃなくてエイカ、レモニカ、立って。逃げるよ」ユカリの背を向けた方向の街道を見ていたベルニージュが言って立ち上がる。
言う通りに素早く立って、ユカリが振り返ると、黒衣の集団が近づいてきていることが分かった。逃げようとした矢先、黒衣の集団から放射状に幾本もの火柱が立つ。まるで炎の扇のようなそれらは形を変え、数羽の猛禽の如き炎が大きく羽ばたき、まっすぐにユカリたちの方へと飛んでくる。
「グリュエー。掻き消して」
ユカリの言葉に呼応して大風が吹き、煽られた黒の集団はまとまりを欠くが、火の鳥は掻き消されることなく、衰えない勢いのまま飛んでくる。しかしベルニージュが焚火を蹴り上げて火の粉を振り撒くと炎の巨人を熾し、火の鳥を全て防いで打ち消した。
その間にも黒の集団は素早く静かに走り寄ってきて、それが焚書官たちだとはっきり分かる距離まで来ていた。率いるは、角燃える山羊の鉄仮面をかぶる、焚書機関は第二局の首席焚書官サイスだった。傍らには見えない蛇の使い手ルキーナの姿もある。
前にサイスに遭遇した時は確かに魔導書の気配を感じたユカリだが、今回は何も感じ取れないでいる。どこかへ置いてきたとでもいうのだろうか。
ベルニージュは巨人に加えて、魔導書の衣を触媒に強力な熱を発する炎の獣を周囲に巡らせ、サイスはさらに多くの火の鳥で三人娘を取り囲む。
レモニカはユカリの後ろに控える。ユカリは変身するかどうか迷う。救済機構において、オンギ村の狩人の娘と魔法少女ユカリは別人ということになっている。知られないに越したことはない。
「待ってください!」とユカリは叫ぶ。
「問答無用!」とサイスは答える。
雄叫びの代わりに熱を発する魔法の炎がお互いに飛び掛かる直前、唐突に雨が降って来た。世界の果ての大海の流れ込む滝の如く激しい土砂降りだ。思わぬ災難にユカリたちも焚書官たちも悲鳴をあげる。
そのような兆しは少しもなかったにもかかわらず、空はいつの間にか黒雲に覆われ、魔法の火までもが呆気なく掻き消えた。雨粒のためにお互いの姿もほとんど見えない中、ユカリはもう一度サイスに呼びかける。
「確かに護女のふりをしたり、蛇の抜け殻を拝借したりはしましたが、いきなり殺し合うほどではないんじゃないですか!?」
「開き直るな不届き者め!」とサイスがなじる。しかし雨に辟易しているのは間違いない。「ともかく、ここは引かせてもらう。これでは殺し合いもままならないからな」
ユカリたちも焚書官たちも雨から逃げるようにマパースの街の方へと走り出す。