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第十六話【名前の値段】
午前三時四十分。
部屋の空気は、さっきまでとはまるで違っていた。
USBの中身。
秋山の動画。
逆流するネットワーク。
全部が一度崩れて、組み直されようとしている。
その中心にいるのは——高瀬。
「……高瀬を見つける」
相良の言葉が、部屋に静かに落ちる。
「でも」と北松誉。
「どこにいるんですか」
「それをこれから詰める」と相良。
「ただし」
視線がシオンへ向く。
「あなたが鍵になる」
シオンはベッドに座ったまま、何も言わなかった。
誉はその横顔を見て、少しだけ息を整える。
「……さっきの話」
「うん」
「“本名で来い”ってやつ」
「うん」
「やっぱり、場所だけじゃないですよね」
シオンは小さく笑った。
「さすが」
「褒めてます?」
「半分」
「もういいですそれ」
でも、そのやり取りの奥で、シオンの目は少しだけ真剣だった。
「場所はライブハウスだった」
「はい」
「でもあれ、“場所”だけの意味じゃない」
「……どういうことですか」
シオンは少しだけ黙ってから言った。
「“名前で来い”ってこと」
誉は眉をひそめる。
「それ、さっきも言ってましたけど」
「うん。でも北松、まだ半分しか分かってない」
「半分……」
「本名ってさ」
シオンは天井を見たまま続ける。
「ただの呼び方じゃないんだよ」
誉は何も言わず、続きを待つ。
「俺にとっては、“捨てたかったもの”全部がくっついてる」
「……はい」
「家も、過去も、人間関係も、全部」
誉は思い出す。
最初に聞いた時の言葉。
“捨てたかった”
あれは軽い言い方じゃなかった。
「で、高瀬はそれを知ってる」
「だから使う」と誉。
「うん」
シオンはゆっくり視線を落とす。
「でも、今回ちょっと違う」
「違う?」
「ただの嫌がらせじゃない」
「じゃあ」
「“戻れ”って言ってる」
誉の背筋に冷たいものが走る。
182
ruruha
「戻る……?」
「昔の俺に」
部屋が静かになる。
相良が口を開く。
「具体的に、どういう意味ですか」
シオンは少しだけ考えるように目を伏せた。
「……高瀬が最初に俺に絡んできた時」
「非常階段の件ですね」
「うん。あの時、あいつ、言ってた」
「何を」
「“お前、まだ逃げてんのか”って」
誉は思い出す。
シオンがあの時、妙に引っかかっていたこと。
「逃げてるって……」
「たぶん俺のことじゃない」
「え?」
「俺の“名前”のこと」
誉は一瞬、理解が遅れる。
「……本名から?」
「うん」
シオンは苦笑した。
「俺、全部捨てたつもりでいたけど、実際は“見ないふりしてただけ”なんだと思う」
その言葉は、静かだけど重かった。
誉はゆっくり言う。
「……それを、高瀬は見抜いてた」
「昔からそういうやつ」
シオンは肩をすくめる。
「で、今回のこれ」
机の上のUSBを見る。
「ただの犯罪じゃない」
「どういう意味ですか」
「“名前”で管理されてる」
誉は顔を上げる。
「え?」
相良も画面を確認する。
「……LIST」
顧客リスト。
そこに並ぶ名前。
そして、金額。
「……あ」
誉の中で、点が繋がる。
「これ……」
「うん」とシオン。
「“人の価値”を値段で管理してる」
誉は言葉を失う。
名前。
個人情報。
アカウント。
全部が“商品”として並んでいる。
「……だから」
「だから、“名前の値段”」
シオンが小さく言う。
「これ、ただのデータじゃない」
「ええ」と相良。
「市場です」
「人を売る市場……」
誉は思わず目を閉じる。
気持ち悪い。
でも、それが現実だ。
その時。
誉の視線が、リストの中のある部分に止まる。
「……これ」
「何」
「この名前」
シオンが覗き込む。
そこにあったのは。
一つだけ、他と違う形式の記述。
(未登録)/仮名:SHION
シオンの動きが止まる。
「……これ」
誉が呟く。
「あなたじゃないですか」
シオンは何も言わない。
ただ画面を見つめている。
「金額……」
誉が読み上げる。
「……高すぎる」
他の名前の数倍の値段がついている。
「……なんで」
誉の声が震える。
シオンが、ゆっくり息を吐いた。
「分かった」
「何が」
「高瀬の目的」
その声は、妙に落ち着いていた。
「これ、売るためじゃない」
「え?」
「“引きずり出すため”」
誉は息を呑む。
「つまり……」
「俺をここに引っ張り出すために、このネットワーク使ってる」
相良が低く言う。
「餌はあなた自身、ということですか」
「うん」
シオンは画面から目を離さない。
「俺の“名前”を商品にして、動かす」
「そんな……」
誉は言葉が出ない。
人一人を、ここまで利用するのか。
「……で、目的は」
「たぶん」
シオンは小さく笑った。
「全部止めること」
誉が顔を上げる。
「え?」
「高瀬、あいつさっき言ってたじゃん」
「……?」
「“全部止められると思うなよ”って」
誉は思い出す。
あの言葉。
「……はい」
「あれ、挑発じゃなくて」
「警告?」
「うん」
相良が静かに言う。
「つまり」
「このネットワークは、内部からしか止められない」
「で、その鍵が」
誉が言う。
「シオン」
「そう」
シオンはあっさり頷いた。
「昔の俺は、この流れの“入り口”にいた」
「入り口……?」
「高瀬の金のルート、バンドの頃から繋がってたってこと」
誉の頭が追いつかない。
「じゃあ、あなた……」
「うん」
「完全に無関係じゃない」
その言葉は、静かだけど重かった。
しばらく、誰も喋らなかった。
誉はただ、シオンを見ていた。
軽くて、適当で、厄介ごとが好きな男。
そう思っていた。
でも実際は。
「……最初から、真ん中じゃないですか」
ぽつりと出る。
シオンがちらりと見る。
「何が」
「事件の中心」
「いや」
「いやじゃないです」
誉ははっきり言った。
「あなたがいなかったら、ここまで来てない」
「それは」
「良くも悪くもです」
シオンが少しだけ黙る。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「……北松」
「はい」
「それ、責めてる?」
「半分です」
「出た」
「でももう半分は」
「うん」
「巻き込まれてよかったと思ってます」
一瞬、空気が止まる。
自分で言ってから、誉は少しだけ後悔した。
でも、もう引っ込めない。
「ここまで来たら、最後まで見たいです」
静かに言う。
シオンはしばらく何も言わなかった。
それから、ゆっくり頷く。
「……じゃあ」
「はい」
「最後まで付き合え」
「最初からそのつもりです」
少しだけ、笑いが戻る。
相良が言う。
「整理します」
「はい」
「このネットワークは分散型。下手に潰すと逆流する」
「はい」
「完全に止めるには、“中心”にアクセスする必要がある」
「中心……」
「そして、その鍵が」
視線がシオンへ。
「あなたの“本名”と、過去の接点」
シオンは静かに頷いた。
「場所、分かるかも」
「どこですか」と誉。
「たぶん」
シオンはゆっくり言う。
「一番最初に、金が流れた場所」
誉の鼓動が強くなる。
「それって……」
「バンドの“最初のスタジオ”」
夜が、さらに深くなる。
終わりは近い。
でも、まだ一番奥に触れていない。