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第十七話【終電の向こう側】
午前四時過ぎ。
空はまだ暗いのに、夜はもう終わりかけていた。
人の気配が薄れた街。
電車も動いていない時間帯。
まるで“世界の隙間”みたいな静けさ。
「……ここ」
北松誉が小さく言う。
古いビルの一室。
看板も出ていない、小さな音楽スタジオ。
シオンが頷く。
「ここが最初」
「最初……」
「高瀬が金持ってきた場所」
相良が短く指示を出す。
「警戒を維持。突入は合図で」
誉は深く息を吸った。
ここが終わり。
たぶん。
でも同時に、ここが全部の始まりでもある。
「……シオン」
「何」
「本名、言わなくていいですからね」
シオンが少しだけ笑う。
「しつこいな」
「大事なことなんで」
「分かってる」
その一言が、妙に安心感をくれた。
ドアは、鍵がかかっていなかった。
軽く押すと、すんなり開く。
中は暗い。
だが、奥のほうに一つだけ光。
「……いる」
シオンが低く言う。
全員が静かに中へ入る。
スタジオの中。
古い機材。
埃をかぶったアンプ。
そして、その中央に。
高瀬がいた。
「遅い」
それが第一声だった。
まるで、待ち合わせみたいな口調。
「来たな」とシオン。
「来ると思ってた」
「だろうな」
相良が前へ出る。
「警察だ。動くな」
だが高瀬は動じない。
「今日はそのセリフ飽きた」
「抵抗するな」
「しないよ」
あっさり言う。
その態度に、逆に緊張が走る。
「……何が目的だ」
シオンが言う。
「さっきから言ってるだろ」
「全部止める」
「そう」
「だったらなんで逃げる」
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ruruha
「逃げてない」
高瀬は少しだけ笑う。
「誘導してる」
誉の背中がぞくりとする。
「……やっぱり」
「お前、いいね」と高瀬。
「ちゃんと見てる」
「褒めなくていいです」
「でも事実」
高瀬は一歩前に出る。
「で、ここまで来たってことは」
視線がシオンへ。
「分かってるんだろ」
「何を」
「これ、止める方法」
シオンは少しだけ黙る。
そして言う。
「中心を潰す」
「そう」
「で、それがここ」
「そう」
誉が息を呑む。
「……ここにあるんですか」
「あるよ」
高瀬はスタジオの奥を指さす。
そこにあったのは——
サーバーラック。
場違いなほど新しい機器。
「……これが」
「ネットワークの核」と高瀬。
「ここから全部流れてる」
相良が鋭く言う。
「破壊する」
「待て」
高瀬が止める。
「それやると逆流する」
「ではどうする」
「一回、全部“受ける”」
誉が眉をひそめる。
「受ける?」
「流れてくるデータを一箇所に集める」
「そんなことできるんですか」
「できる」
高瀬はシオンを見る。
「こいつなら」
空気が止まる。
「……なんで俺」
「お前、最初の鍵持ってるから」
「鍵?」
「名前」
その一言で、すべてが繋がる。
「……本名」
誉が呟く。
「そう」
高瀬が頷く。
「このネットワーク、最初の登録が“お前の名前”で作られてる」
誉の頭が真っ白になる。
「……は?」
「つまり」
相良が言う。
「認証キーが、シオンさんの本名」
「そういうこと」
シオンが静かに言う。
「……だから“本名で来い”」
「やっと理解したか」
高瀬が笑う。
「お前、ほんと遅い」
「うるさい」
だが、その声は震えていなかった。
むしろ、覚悟が決まった声だった。
「で」
シオンが言う。
「どうやる」
「簡単」
高瀬はサーバーを指す。
「ここにアクセスして、お前の本名で認証かける」
「それで?」
「全部のデータを一時的にここに引き寄せる」
「……で、そのあと」
「まとめて潰す」
誉が思わず言う。
「そんなの……」
「リスク高い」と相良。
「集中させた時点で漏れたら、一気に流出する」
「だから一回勝負」と高瀬。
「成功すれば全部止まる。失敗すれば全部流れる」
「極端すぎるだろ」とシオン。
「最初からそういう構造」
高瀬は肩をすくめる。
「選べ」
静寂。
誉は息が苦しくなるのを感じた。
全部止めるか。
全部流すか。
どっちも地獄だ。
「……シオン」
誉が言う。
「はい」
「どうします」
シオンは少しだけ目を閉じた。
そして、開く。
「やる」
「……即答」
「ここまで来て、やらないほうが後悔する」
誉は少しだけ笑った。
「それ、あなたっぽいですね」
「でしょ」
「でも」
「でも?」
「一人でやらないでください」
シオンが見る。
「どういうこと」
「入力、俺も見ます」
「は?」
「間違えたら終わりなんでしょう」
「うん」
「じゃあ二人で確認したほうがいい」
数秒。
シオンが、ふっと笑う。
「……いいね」
「褒めてます?」
「全部」
「珍しい」
サーバーの前。
キーボードが置かれている。
古い画面。
黒い背景。
入力待ち。
「……来たな」
高瀬が低く言う。
「ここから先は戻れない」
「最初から戻ってない」
シオンが答える。
誉は横に立つ。
心臓がうるさい。
「……準備いいか」
「はい」
「じゃあ行く」
シオンが手を伸ばす。
キーボードに触れる。
そして——
「……北松」
「はい」
「間違ってたら止めろ」
「任せてください」
小さく頷く。
シオンが、ゆっくりと打ち込む。
——名前を。
画面に、文字が現れる。
誉はそれを見た。
初めて見る、シオンの本名。
でも、それを口に出すことはしなかった。
ただ、しっかりと見た。
「……合ってる」
「よし」
エンターキー。
カチ、と音がする。
次の瞬間。
画面に大量のログが流れ始める。
「……来た」
高瀬が言う。
「全部、集まってる」
誉は息を止める。
ここで止める。
全部。
「今だ」
シオンがキーに手をかける。
「いくぞ」
「はい」
二人で、画面を見つめる。
そして——
エンター。
次の瞬間。
画面が真っ白になった。