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「桜には言ったのか?」
長い移動と激しいセックスでへとへとなはずなのに、眠れなかった。
最後だと思うと、目を閉じるのが怖い。
私は雄大さんの胸に頭を預け、彼の鼓動に聞き入っていた。雄大さんはいつものように、私の髪に指を絡ませている。
「何を?」
「亨とは兄妹じゃないって」
どうして、そんなこと——!
驚いたけれど、理解した。
桜と亨のことを知っているのは、昊輝だけ。そして、数時間前にこの部屋で鉢合わせた雄大さんと昊輝は、明らかに初対面ではなかった。
雄大さんが昊輝と会うなんて、考えもしなかった。
「いい奴だな、『昊輝』」
私は彼の肌から離れると、散らかった服を探して拾った。
「馨?」
「帰って」
「は?」
「お別れのセックスは終わったでしょ? 帰って」
彼に背を向けながら、下着を着ける。
「なに言って——」
「帰って!!」
シン……と部屋が静まり返る。
自分の感情の揺れに、自分でも驚いた。
雄大さんには知られたくなかった。
たとえ、別れるに変わりないとしても、知られたくなかった。
なのに、知られてしまった。
それが、こんなにも苦しいなんて——。
「逃げるのか」
「……」
「馨!」
「もういいでしょっ!? あなたは契約通り黛から私を守ってくれた。文字通り身体を張って、ね。その見返りに、私はあなたに抱かれた。これで、契約は完了です。お疲れさまでした!」
可愛くない。
つい数十分前まで、雄大さんの腕の中で身体を濡らしていたのに、終わった途端に『お疲れさま』なんて、あり得ない。
でも、これでいい。
どう思われようと、私たちの別れは変わらないのだから。
「何度も言わせんな。『お前は全部、俺のモン』なんだよ。機嫌なんてねぇ」
「じゃあ、どうするの? 愛人になれって?」
「どうしてそうなる。俺は婚約を解消した覚えはないぞ」
「指輪も、結納金も返したわ。なんなら、婚約不履行で違約金でも払う?」
とことん、可愛くない。
けれど、感情を抑えられない。
「俺は、何も返してもらってない」
「はあ?」
「結納金は元通りお前の口座に入ってるし、婚約指輪は——」と言って、雄大さんは私が握りしめている服を指さした。
「ソコにある」
私は服をパンパンと叩いて、指輪の感触を探した。スカートのポケットに、固い物体。見なくても、それが指輪だとわかった。
下着姿のまま、その場に座り込む。
「できるわけ……ないじゃない……」
雄大さんも自分の服を拾い上げ、着る。
「結婚なんて、出来るわけないじゃない!」
スカート越しに握りしめた指輪が、掌に食い込む。
「私のせいで死ぬところだったのよ? 雄大さんのお父さんもお母さんも、澪さんも、許すはずないでしょう!?」
わかっていたことだけれど、言葉にしてみると苦しくて。苦しすぎて、また、涙が溢れる。
「桜だって——……立波リゾートを諦めたわけじゃないもの。桜と亨の関係が公になったら、雄大さんまでいい笑いものにされるのよ!」
「そうかもしれないな」
「だったら! もう、やめよう。もう、充分だから……」
身支度を終えた雄大さんが、私の服を拾い上げて、ベッドに置いた。
「雄大さんに一生を懸けてもらうほどの価値なんて……」
私の前に膝をつき、顔を覗き込む。
「私には、ない——」
「——あるよ」
涙でぼんやりとしていたけれど、雄大さんの微笑みが見えた。そして、抱きすくめられた。
「俺には、お前以上に価値のあるものなんて、考えられない」
雄大さんはいつも、私が欲しい言葉をくれる。
その言葉に、何度も救われた。
私を、想ってくれる人がいる——。
父親が誰だかわからず、母親からは疎まれ、祖父母からは蔑まれ、義父からは憐れまれた。
私を愛してくれる人なんて……いない。
ずっと、そう思っていた。
だから、昊輝と一緒に過ごした日々は、本当に幸せで、幸せ過ぎて怖いくらいだった。
その幸せを、桜が壊した——。
『私を置いて、お姉ちゃんだけ幸せになるの? それなら――――』
三年前の、桜の言葉は今も忘れない。一言一句。
『それなら、お義父さんのお金全部で口止めしてよ』
桜の狂気に満ちた笑顔も、忘れない。
『犯罪者の姉、になんてなりたくないでしょう?』
あの時、決めた。
絶対、真実は教えてやらない——。
こんな、醜い私を見せたくない。
雄大さんにだけは、絶対に。
「どうして、桜に真実のことを言わないと思う?」と、雄大さんの腕の中で呟いた。
「あの子を苦しめたいからよ」
「え?」
「ずっと、憎かったの……。愛されて生まれてきたあの子が。可愛くて、甘え上手で、誰からも愛されるあの子が憎かったの。私が欲しいもの、全部持ってるあの子が恨めしかった。その上、禁断の愛なんかに溺れて、私の結婚まで壊した! だから、絶対に教えてやらないの。一生、許されない恋に苦しめばいい!!」
私は両手を雄大さんの胸に当て、思いっきり突き放した。
私は、雄大さんの足元に視線を落とした。顔を上げて、雄大さんの顔を見る勇気はなかった。
「私は、雄大さんが思っているような女じゃない。黛が邪魔だったのも、立波リゾートが欲しかったのも、結局は桜への嫉妬や憎しみで——」
「お義父さんを殺したのは、桜か?」
「——!」
「お前が守りたいのは、『それ』か?」
「…………」
頭上から、雄大さんのため息が聞こえた。
「俺は、そうは思ってない。けど、俺も高津も、黛も知らない『何か』があるだろ。その『何か』のために、お前は桜に那須川勲が実の父親で、亨とは血縁関係にないことを話せないでいる。……違うか?」
記憶が蘇る。
『どうしてお姉ちゃんは良くて私はダメなのよ!』
半狂乱の桜の叫び声。
『私、知ってるんだから! お義父さんとお姉ちゃんの関係』
昊輝は警察に電話するため、外に出ていた。
『パパが悪いのよ! お金をくれないから』
お義父さんの死も、桜の叫びも、どこか現実味がなかった。ほんの数十分前まで、義父への挨拶で緊張する昊輝を茶化したりしていた。
それが、どうしてこんなことに——……!
『どうしてお姉ちゃんは良くて私はダメなのよ!』
言えるはずがない。
誰にも。
たとえ雄大さんにも。
「『何か』あったとしても、貴方には関係ないわ」
自分でも驚いた。
雄大さんの目を真っ直ぐに見ていられる、自分に。
「もう、私に共犯者は必要ない」
雄大さんもまた、私の目を真っ直ぐに見返して言った。
「わかった——」
部屋を出て行く雄大さんの背中を、私は瞬きをせずに見送った。
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