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白山小梅
12
#借金
1,754
「……何も事情を知らないのに、勝手なことを言ってしまい申し訳ありませんでした」
「いえ……僕も大声を出してしまってすみませんでした」
その時に瑠維のスマホが鳴り、ポケットから取り出して画面を見た瑠維は目を細めてため息をつく。
「大原先生だ……」
「どうぞ、出てください」
瑠維は不安げな様子の春香の頭にそっと手を載せ、
「すぐに戻って来ますので」
と言い残し、書斎に行ってしまった。
とはいえ、今ひどい剣幕で引き剥がそうとした鮎川と二人で残され、春香は戸惑いを隠せない。
「あ、あの、お茶でも淹れましょうか……?」
「すぐに出ますので結構です」
暫しの沈黙が流れ、春香は用もないのにキッチンの引き出しを開けたり、水で手を洗ったり、よくわからない行動を繰り返す。
その中で沈黙を破ったのは鮎川だった。
「先ほどは失礼しました」
「い、いえ……」
「私は先生の担当をさせていただいています鮎川て申します」
「あっ、佐倉です。すみませんが、私、彼がどんな職業なのか何も知らなくて……」
鮎川はまた驚いたように目を見開き、何かを考えながらか春香をじっと見つめる。
「失礼ですが、佐倉さんは先生とどういうご関係でしょうか?」
彼女の言葉から攻撃性や棘がなくなった気がし、ようやく春香の中から不安が消えていく。
「高校の先輩後輩の間柄なんです。ほとんど会話をしたことはないんですけどね」
「と言いますと?」
「私が仲の良かった人の後輩で、その人を挟んで顔を合わせていただけなので、ちゃんと話すようになったのは最近でーー」
春香の言葉を聞いた鮎川の顔が、みるみるうちに上気していくのがわかる。
「お尋ねしますが、佐倉さんはそのご友人のことが好きだったのでは?」
「な、何故それを……!」
「あぁ、やっぱりそうでしたか……そうですか……とうとう……」
ぶつぶつ呟く鮎川は、どこか興奮しているようにすら見える。
なんだろう、興奮してる……? ただ春香にはその意味がわからず、不思議そうに首を傾げる。
それよりも春香の中には疑問に思っていることがあった。たとえ仕事関係とはいえ、女性に鍵を預けたりするだろうか。やはりこの二人はそういう関係なのだろうかーー。
「私から質問をしても良いでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
春香はゴクリと唾を飲み込む。もしかしたら聞きたくないような答えが返ってくるかもしれない。それでも曖昧にするよりは、事実をはっきりせるべきだと思ったのだ。
「鮎川さんと……君島くんは、その、ご関係は……」
「はい、ただの作家と担当です。それ以上でもそれ以下でもありません。言葉のままの関係ですので、ご心配はいりません」
「でも合鍵は……」
「あぁ、下の車で待っている先生のご友人から預かりました」
鮎川がキッパリと言い切ったことで、春香の中の不安はなくなったが、それよりも"作家"という気になるワードが現れた。
「作家? 瑠維くんが?」
目を瞬く春香に、鮎川は頷く。
「佐倉さん、|蒼葉《あおば》|類《るい》という作家をご存知ないですか?」
「……すみません、私、海外のロマンス小説しか読んでこなかったもので……」
「あはは! 趣味は人それぞれですからね」
「その"蒼葉類"が、瑠維くんなんですか?」
「そうです。ミステリー小説が人気の作家なんですが、大学生の時に新人賞を受賞した恋愛小説はかなり話題になったんですよ」
「大学生……すごい」
「受賞作の『|Love is blind《恋は盲目》』は、好きな人に気持ちを伝えられない男が、彼女の沼にハマって堕ちていく話で、先生の実話とも言われているんです」
実話と聞いて、思い出されることがあった。きっとあの人のことに違いないーー。
「もしよければ、《《佐倉さんに読んでいただきたい》》です」
「私に……ですか?」
その時に書斎のドアが開き、瑠維が中から出てくる。春香と鮎川の空気の変化を感じ取ったのか、不思議そうに二人を見た。
「電話は終わりましたか?」
「えぇ。あの、二人はーー」
「さぁ、そろそろ出発の時間ですよ」
鮎川に促された類だったが、春香の元に駆け寄ると、手に何かを握らせた。
「合鍵です。もし出かけることがあれば使ってください」
「あっ……うん、ありがとう」
「先に寝ていてくださいね。なるべく早く帰るようにしますから」
合鍵をもらうなんて体験は初めてで、しかも好意を抱いている相手からのことだし、尚更照れくさくなってしまう。鮎川との関係がはっきりとしたこともあり、素直に嬉しいと感じた。
「うん、わかった。いってらっしゃい」
「行ってきます」
髪に触れる瑠維の手がくすぐったくて、ふと目を伏せる。
部屋を出ていく瑠維と鮎川を見送りながら、たった一人で残された部屋の静けさに、少しだけ寂しくなってしまった。
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