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『未来の落とし物』
高二の夏の夕暮れ、八月中旬。
その時期にしては、やけに涼しかったのを覚えている。
確か六時半過ぎのことだったと思う。部活の帰りに、それを見つけた。
何の変哲もないメモ帳。
なぜ手に取ったのか、自分でも分からないほどだ。
一般的な天とじ型。上部を見ると、リングが一つ欠損している。
安い物、それに消耗品だ。
愛情を持たれることもない。金具が一つ無くなれば、ゴミと同価値にまでなり下がる。
要らないと捨てられても無理はなかった。
ただ、落とし物という可能性もあったため、一応中を確認することにした。
随分使われていたのだろう。
先のリングもそうだが、表紙は所々が黄ばみ、全体的にくたびれている。
中央には何か書いてあったのだろうか、部分的に黒いマーカーで激しく塗り潰されていた。
不気味だ、と本能が警告していた。
それでも、一度触れてしまった好奇心には勝てない。
落とし主の手がかりを探す名目で、ゆっくりとページをめくる。白紙が数ページ続いたあと、そこにある文字が目に飛び込んできた。
「八月十一日 佐藤雄一 落とした物を拾う。」
そこに書いてあった文字に愕然とする。
「何だよ……これ」
名前がある。それも、
「俺の名前……」
そう佐藤雄一は俺の名前だ。
咄嗟に周囲を見渡す。
勿論誰もいない。
イタズラにしては手が込んでいる。
持ち主の名前がたまたま同姓同名だったのかもしれない。
様々な憶測が頭の奥から流れていく。
少し深呼吸をし、冷静に考える。
改めてその文章を眺める。
「十一日って、今日だよな……」
日付を確認したが間違いないようだ。
名前、日付となれば、最後の一文は想像に難くない。
「落とし物は…….このメモ帳か……」
偶然でなければ、この日の出来事が書き記されていた事になる。
恐怖は感じる。
しかし、自身の指先はいつの間にか、次のページに向いていた。
恐る恐る。めくる。
再び白紙のページが何枚か続いた後に新たな文章を見つける。
同じような筆跡そして、一文。
固唾をのみ込み、内容を確認する。
結論から言うとこれは予知日記であった。
メモ帳を見つけて数十日。
その日の内、書かれていた文章は四ページ。
当然、全て的中したのは言うまでもない。
決して、大地震や事故の様な苛烈な内容とは違い。そのどれもが他愛もない、日常での出来事が記載されている。
未来に書かれている内容も同じようなものだ。
しかし、そんな絶妙なリアルさが、これが夢でないと、より現実味を帯びさせてくる。
このメモ帳の興味は尽きない。
今日も自室に籠り例のメモ帳を手元に取る。
観察していく内にいくつか見落としていた点を整理し、別のノートに書き記す。
するといくつか気付いたことがある。
やけに薄いのだ。
数えてみると、六十一ページ。
文章は今日の間に記載されていた、四ページの他に十六ページが書かれていた。
やはり同じ筆跡である。
内容も全て確認したが、対して真新しい内容は発見出来なかった。
問題は最後のページである。
表紙と同様に、黒く塗り潰されていた。
これは何を意味しているか、今はまだ分からない。一呼吸と、座っている椅子の背もたれに深くもたれかかる。
持っていたペンを上に掲げ、部屋の照明に照らす。
ふと、思った。このメモ帳は未来を「予知」している。なら、ここに自分で何かを書き加えたら、その未来も現実になるのだろうか。
試さずにはいられなかった。私はペンを握り、白紙のページに恐る恐る書き加えた。『八月十二日 佐藤雄一 自販機の下で五百円玉を拾う』
翌日、部活の帰り道。喉が渇いて立ち寄った自販機の足元に、鈍く光る銀色のコインを見つけた。心臓が跳ね上がった。本当に、書いた通りのことが起きたのだ。
最初は戸惑い、動揺したが、一度叶った以上、
欲望止められない。日に日に大きくなっていくのを感じた。
『次のテストで学年一位になる』『欲しかった限定のスニーカーが手に入る』『気になっていた女子から連絡が来る』
驚くことにその全てが現実のものとなった。
俺はこの時、笑みが抑えることが出来なかったと思う。
書けば書くほど、世界は私の思い通りになった。私は万能の神にでもなった気分だった。完全に、このメモ帳に依存していた。
しかし、代償というものはやってくるのだろう。毎日日記を開くたび、確実にページが減っていく。残りはあとわずか。手元にある全能の力が失われることへの不安と、ページがなくなることへの得体の知れない恐怖が、私の胸を激しくかきむしった。
どうにかしなければ。正気を失いかけていた私の頭に、ある名案が浮かんだ。「ページがなくなるなら、増やせばいいじゃないか」
幸い、リングは取り外しができる。
私は別の天とじ型のメモ帳を取り出し、例のメモ帳に新しい紙を継ぎ足した。
これでまた、いくらでも私利私欲を満たせる。狂ったように笑いながら、私はさらなる欲望を書き連ねようとした。
その時、違和感に気づいた。最終ページの、あの黒く塗り潰された跡が、なぜか日を追うごとに薄くなっているのだ。
目を凝らす。黒いインク。薄くなった部分の隙間から、辛うじて浮かび上がってきた文字。そこにあった一文に思わず、メモ帳を投げ捨てる。
『死』
一瞬、全身の血の気が引いた気がする。同時に呼吸と心臓が早くなる。ひとまず呼吸を整え、冷静に考える。
いや、見間違いや単にそう見えるだけだ。
自身で暗示をするように思い込ませていく。
しかし、もうそのページに手は向くことは出来なかった。 仕方なく最後のページを見えないようにメモ帳から力任せに引き破ろうとした。しかし、破れない。どれだけ力を込めても、紙はびくともしなかった。
いや、破れないのではない。「破いてはいけない」のだ。本能がそう理解した瞬間、私はようやく気づいてしまった。この六十一ページという奇妙な枚数は、私の――残された人生の枚数だったのだ。
迫りくる最後のページ。死の足音がすぐそこまで迫っている。混乱した私は完全に正気を失っていた。
死にたくない。どうにかしてこの運命から逃れなければならない。私は狂ったように、継ぎ足したページへ何かを必死に書き殴った。
しかし、もう自分が何を書いたのか、どんな言葉を紡いだのかすら分からなかった。なぜなら、私がペンを走らせたそばから、その文字は自らどす黒いインクで塗りつぶされていったからだ。まるで、私の奥底にある悍(おぞ)ましい狂気を隠蔽するかのように、激しく、容赦なく。
そして、とうとうやってきた。最後のページの日。その日の空はどんよりと重く、激しい雨が街を打ち付けていた。
私は自室のベッドに潜り込み、頭から毛布を深く被った。外に出なければいい。それどころか、一歩も動かず、こうしてベッドに包まっていれば、悲劇なんて起きようがないはずだ。
毛布の隙間から、壁の時計をじっと見つめる。心臓の音がうるさいほどに耳の奥で脈打っている。
一時間。二時間。外では激しい豪雨が窓を叩きつけているが、私の部屋の中は静寂に包まれたままだ。何事も起きない。ただ時間だけが過ぎていく。
やがて、夕刻。
「……なんだ。何も起きないじゃないか」
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
私の口から、安堵の混じった乾いた笑いが漏れる。
その時だった。「ピンポーン」と鳴る音がした。俺は瞬時に体を震わせた。慌てて布団を被り、息を殺す。
それから少しした頃だろう。
再び音がした。
今度は人の声だ。
「おーい 佐藤」
ハァっと起き上がる。
その声には聞き覚えがあった。
急いで玄関に向かう。
極限の恐怖、知人の声も合わさり、もうまともな思考など出来ない。
飛び出すように扉を開ける。勢いで体ごと投げ出された感覚に近かったと思う。
その場に向かってくる車に反応できるはずもなかった。
衝撃が全身を襲う。
何メートル飛ばされたのだろう。ふと、
薄れゆく意識の最中、私の視界の隅に、ポケットから飛び出したあのメモ帳が映った。
開いている。それも最後のページが。
微かな視界でページの変化に気が付く。
激しい雨にさらされているからなのか、激しく塗りつぶしていた黒いマーカーが、ドロドロと溶けて流れ落ちていく。その下に隠されていたーー『十月四日 佐藤雄一 交通事故により死亡。』
それと同時に、激しい雨水は、私が混乱の中で継ぎ足した、あの黒塗りのページをも開き、洗い流していく。
薄れていくインクの隙間から、私が無意識のうちに書き殴っていた、最初の一文がくっきりと浮かび上がった。
『〇月〇日 〇〇 〇〇 落とした物を拾う。』
それは、見知らぬ誰かの名前と、あの夏の日に私が辿ったものと全く同じ、文章。
私が手放したこの日記は、今度はあの雨の日の道端で、誰に拾われるのだろうか。
そんな思考も、遠ざかる救急車のサイレンと共に、冷たい雨の底へと沈んでいった。
END 絶望のループ
コメント
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第1話読了。まず設定がえぐいな…。未来予知のメモ帳ってありがちな展開だけど、ページ数=残り日数って発想は初めて見たわ。最終ページの黒塗りが「死」の予知で、しかも主人公が同じように誰かに拾われるループ構造ってオチ、ガチで刺さった。最初の「落とした物を拾う」という一文が最後に回収される構成、構成で読ませるタイプの作品だな。続き気になる🔥