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「アーサー」
声をかけてきた主を見て驚いた。耀が私的に声をかけてくることなどこれまでまずなかったからだ。先程庇ったお礼でも言いに来たのだろうか。そんな殊勝なやつではなかったと思うが。
曲がりなりにもちょうど一世紀の付き合いになる相手の性格は嫌というほど知っていた。
訝しむアーサーを横目に、耀が何かを取り出した。
「これ、預かってほしいある」
そう言って取り出したのは、ずしりと重い縦長の白封筒だった。
まさか、と思い顔を引き攣らせながら尋ねる。
「…金か?」
こちらの問いに一瞬呆けた顔をした耀を見て、場にそぐわず可愛いな、と思った。
アーサーが見たことある耀はいつだって顰め面で難しい顔をしていたものだから。
「そんなわけねーある、宛名よく見ろ」
呆けた顔をいつもの顰め面に戻した耀が、呆れたようにため息をついて言った。
彼の言う通り封筒表面に目を走らせる。
__致所有深愛的同胞 來自所有無名士兵
「…いや、読めるわけないだろ」
英語と、多少のヨーロッパ諸語に心得があるとはいえ、複雑怪奇な東洋の漢字など読めるはずもなかった。
こちらの返答に、再びため息をついた耀に、苛立ちが沸き起こる。
何だよ、お前だって英語読めないだろ。
「まあ、とにかくそれは金でも密文書でもねーある。疑わしいなら鑑識にでもかけるよろし。見られて困るもんだったらそもそもお前になんか預けねえ」
そのとおりなのだろう。重要機密文書をほいほい同盟国に渡すバカは世界中どこを見たっていないはずだ。
「なんで俺なんだよ」
イヴァンあたりのほうが地理的にもよっぽど繋がりが深いだろうし、単純に負けなさそうな国、と言ったらアルフレッドにでも渡したほうがいい。
ロンドンで連日の空襲を受けている自分に渡すメリットなどないはずだった。
アーサーの問いに、しばし答えを窮した耀は、目線をそらし小さく消去法ある、と言った。
嘘ではないが本当でもない。直感的に察したアーサーだったが、それ以上追求することは憚られた。ともかく、彼はなにがしかの理由でこの手紙をアーサーに預けるに至った。それが全てなのだ。ただ、その後にほっとしたように続いた彼の言葉には、思わず目を剥いた。
「我が死んだら香港あたりから本国に送ってほしいある。預かるのはそれまででいいね」
「…は、おま、死ぬ、って…」
言葉が継げなくなったアーサーに、冷静に耀が続ける。
「ん、最近アメリカも参戦してくれたし、我も死ぬつもりは今はこれっぽっちもねーあるが、ちょっと前はほんとにかなり、やばかったある」
お前も知ってると思うけど、一呼吸おいて耀が再び話し始めた。
「日本はどんどん迫ってくるのに、国は内部から崩壊してた。いよいよ「中国」が終わるのかなあ、とかぼんやり思ってたあるよ」
だから、「それ」が必要だった、と。
「今は国民みんなで立ち向かおうってなってるあるし、もう多分必要ないと思うあるけど」
万が一に備えて、な。
彼の覚悟を受け取ったアーサーは、一つ、大きく息をついて言った。
「わかった。お前が死ぬその時まで、責任を持ってこれは預かる」
願わくば、死ぬこともなく、あの頃は必死だったな、と笑い話とともにでも返せたら。
返すときに結局なぜアーサーに預けたのかを聞けるほどの関係になっていたら。
それが、彼らの目指した平和の形であるのだろう、と。
三年後の終戦までには、多くの尊い人命と、人生が失われた。
勝てば官軍、とはよく言ったものだが、とても手放しで喜べる勝利ではなかった。
そして戦後、冷戦と呼ばれる東西陣営の対立が激化。本国イギリスでは、第二次世界大戦でも活躍したチャーチルによる「鉄のカーテン演説」(バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」からきたもので、ソ連邦が東ヨーロッパ諸国の共産主義政権を統制し、西側の資本主義陣営と敵対している状況を批判的に表したもの)で次なる戦争が始まりつつあるのだという暗澹な雰囲気が人々の間に醸成されていった。
アーサーの気になるところは手紙を渡した彼、つまり耀の国が共産主義化し、朝鮮戦争では派兵でもって西側諸国に仇なしたことであった。主義主張の違いがあったとはいえ一致団結し強大な悪であるファシズムに立ち向かった_このような言説は結局表面上のものに過ぎない。ファシズムの次はコミュニズム、その次は…、愚かにも人はどこまでもわかりやすい敵を求める。そして、そのうちは平和など実現し得ないだろう。正義感に燃える、まだ若いアルフレッドには難しいかもしれないが。だから、もうかれこれ一世紀以上の付き合いとなる耀とその国にとって共産主義が、我々西欧のそれとはまったく軌を一にするものではないと理解していた。アーサーは耀の手を拒まなかった。
1950年、イギリスは中国を国家承認した。我々は学ばなければならない。あの二度の大戦から。平和は排除からは始まらない。平和は受容から始まるのだ。きっと、耀もそれをわかっていたから手を差し伸べたのだろう。
そして、世界は急速に変化の時を迎えた。78年には日中国交正常化が実現、92年には天皇が赴き正式な謝罪を行うに至った。二国間の関係はいまだ不安定だが、それでもお互い歩み寄り、未来を開こうとしている。少しずつ、だが確実に、平和への一歩を踏み出したのだ。