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イギリスは他に先駆けて中国を国家承認、さらにイギリス労働党と中国共産党は仲を深めている。だというのに、アーサーはそれから80年も手紙を渡せずにいた。
91年のソ連崩壊によって東側世界がかつてない混乱に見舞われた際、中国との連携強化を求めるという口実で連絡先を交換したのだって国連加盟から46年の歳月を要したのだ。意気地なしのアーサーは激動の80年間ずっと、かならずスーツの内ポケットに分厚い封筒を入れていた。
そんな臆病なアーサーに神様が愛想を尽かしたのが、2025年のことだった。皮肉にも第二次世界大戦が終結した九月二日に開かれた世界会議。80年の歳月の成せる平和を噛み締めていたアーサーは、昼休憩に一人でランチに出ていた。今回の会議がローマ開催であることに心から感謝する。美味しいイタリアンを食べて機嫌のいいアーサーが会議場の廊下を歩いていると、突き当りで誰かにぶつかった。そしてその拍子にあの封筒がぱさり、と落ちる。「悪い」咄嗟にぶつかった誰かに謝って封筒を拾い上げると、向かいから声がした。
「お前、それ…」
声の主に驚いたアーサーが正面を見ると、同じく驚いた表情の耀と目があった。
「あー…」
言葉が繋げないアーサーに変わって耀が尋ねる。
「…それ、我が預けたやつあるよね?戦時中に」
「あ、ああ。そうだ。返そうと思って持って来てたんだよ、会議のたびに」
クソ、動転したあまり言わなくてもいいことを言っちまった。
アーサーがそう気がついたときにはすでに遅く、耀はしめたとばかりに笑みを深くする。
「ええー、お前、もしかして終戦からずっと返そうと思って持ってきてたあるか」
「そうだよ、悪いかよ。タイミング失ってなかなか返せなかったんだよ。お前いっつも誰か別のやつと話してるし」
「哈哈哈、お前、意外と可愛いとこあるじゃねーか」
「なんだよ、お前だって忘れてなかったんならもっと早くに言えよな」
「忘れちゃいねかったあるけど、でもお前が捨ててる可能性もあるなーて思てたある」
「はあ!?仮にも預かったもんにそんなことするわけねーだろ」
うん、うん、そうね。だからお前を選んだあるよ。
先ほどのからかうような笑みが、しみじみとしたものに変わった。彼が呟いたその言葉の本意は掴めなかったが、ともかくこれで80年の重荷を下ろせると、彼に手紙を渡す。
「まあ結局お前は死ななかったし、こうして無事返せることを嬉しく思うよ」
ほら、と手紙を突き出すが、彼はじっと見たまま受け取ろうとしない。
「…なんだよ」
訝しげに問えば、手紙に向けていた顔をぱっと上げ、おもむろに口を開いた。
「気になるあるか?」
「は?」
「手紙の中身、気になるあるか?」
聞き直しても彼の言葉の意図は掴めなかった。動揺しながら答える。
「そりゃまあ、ちょっとは気になるけど」
だからなんだよ、と続けようとした言葉尻を耀に食われた。
「返すのは次の会議でいいある」
「え?」
さっきから彼の言葉には驚かされっぱなしだ。
「それ、次の会議までに読むよろし。そんで、読んだあとに返せ」
「え、おま、いいのかよ」
大事な手紙じゃないのか、と聞くアーサーに理不尽にも苛立ち始めた耀が続けた。
「啰唆 !くどい!読むも読まねーも自由あるがとにかく返すのは次の会議!それまで預かっとけ!」
そういうやいなや議場に戻っていく彼の背を、ぽかん、と眺めることしかできなかった。