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ソレールの家は、もともと小説家が執筆のために建てたらしいので、キッチンはとても狭い。
しかも、一人で調理することを前提に諸々のキッチン家具や道具が配置されているので、お手伝いをしたくてもかえって邪魔になる。
だからアネモネは、ソレールが手際よく最後の仕上げをしているのを見守りつつ、食器棚から取り皿やフォークやグラスをテーブルに並べる。
ソレールの自宅の食器は、無地がほとんどだ。でも、少しだけ小花柄がリーフ模様のものもある。
アネモネは、そっちの方を好んで使う。
センスが良いねとか、こんな柄があったのかと驚いたり褒めたりしてくれるけれど、ソレールは咎めることはしない。
貴族令嬢ように接してほしいわけではなく、だからと言って空気のように扱われるのも嫌なアネモネは、ほどよく手伝わせて貰えるこの環境が、とても居心地がいい。
それにしても、ひょんなことから同居するようになった騎士様と、当たり前のように食事をする日常がくるなんて。まったく、人生とは、何が起こるかわからない。
「アネモネ、悪いが籠の中のものも並べてくれるかな?」
「はい、はぁーい」
言われた通り、テーブルの上に置いてある籠の蓋を持ち上げれば、中にはふっくらしたパンが入っていた。
「わぁぁぁー……小きつねと小ウサギがいる」
こんがり焼けた小麦色のパンと、ふっくらとした真っ白なパンを見て、アネモネは目を輝かせる。可愛い。そして美味しそう。
一つだけつまみ食いをしたら、ソレールは怒るだろうか。いや善人の代名詞とも言われる彼が、こんなことで怒るわけがない。そうだ、絶対に……。
そんなふうにアネモネが心の中で自問自答を繰り返しながら、そっと手を伸ばした瞬間、ソレールが振り返って口を開いた。
「アネモネ、ちゃんとお皿に並べてから食べようね」
「……はい」
予想が外れてがっかり感は否めないけれど、アネモネは不平不満を口にすることなく素直に子キツネと子ウサギを見栄え良く皿に並べた。
食事を終えて、アネモネはハーブティーをソレールの前に置く。
お茶を淹れるのは当番制で、今日はアネモネが担当だ。
ソレールはというと、帰宅時に持っていた箱から中身を取り出そうとしている。
「あ!待って。待ってください!それは私が……!」
慌てて箱を奪ったアネモネに、ソレールはクスリと笑う。
「じゃあ、任せるよ」
「はい!」
キリッとした顔になったアネモネは、慎重に箱を開けて中を覗き込む。
「おぉぉぉぉぉぉー……これは、すごい……!」
古の財宝を目にしたかのように歓喜に震えるアネモネの視界に映るのは、みずみずしく、色鮮やかな花びらを散らしたチーズタルト。
まるで花畑のようなコレ、本当に食べれるものなのだろうか。
初めて目にする食べ物に、アネモネは箱を覗き込んだまま硬直してしまう。
「エディブルフラワーっていうんだ。食用の花らしいけど、気に入ってくれた……みたいだね」
キラキラと宝石より輝くアネモネの瞳を見て、ソレールはホッとしたように肩の力を抜いた。
「え?まさかソレールさん、緊張してたんですか?!」
「あ……まぁ、うん……そうなんだ。何が好きかまだわからないからね。いつも悩むよ」
照れくさそうに答えるソレールに、アネモネは目を丸くする。
毎回、センス抜群のデザートを買ってきてくれるから、てっきり得意なのだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。ソレールは、いつもアネモネの為に、悩みながら選んでくれていたのだ。
(どうしよう。申し訳ないって思わないといけないけど、それよりも嬉しい……!)
別々の時間を過ごしていても、ソレールの中に自分がいた。
他の人なら大したことない事実でも、<紡織師>のアネモネにとったら、心が震える出来事だった。
「あの……あり、ありがとうござい……ます。ソレールさん」
「ははっ、とんでもないですよ。アネモネさん」
人は予期せぬ幸福をもらえると、ぎこちなくお礼を言うことしかできなくなる。
はにかむアネモネに、温かい眼差しを送っていたソレールだが、おもむろにパチンと手を叩いた。
「さ、食べよう。花はともかく、チーズタルトは絶品らしい」
「は、はい!」
大きく頷いて気持ちを切り替えたアネモネは、一口一口丁寧に味わってチーズタルトを完食した。
向かい合って食べるチーズタルトは、これまでで一番美味しかった。