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王都は、国王が住まう宮殿があるので、賑やかさも、人の多さも、店の品揃えも国一番を誇っている。
そんな波のような人混みの中を、師匠のお古のワンピースではなく、瞳と同じ薄水色のストライプのドレスを着て、アネモネは泳ぐように一人で歩いている。
この国では、成人した女性はくるぶしまであるドレスを着るのが主流で、おしゃれのポイントはバックスタイルにある。
正面から見ると僅かな刺繍だけのシンプルなものでも、背後に回るとコサージュが付いていたり、大きなリボンが付いていたり、あえて生地を変えていたりする。
アネモネのドレスも、後ろに濃い水色のレースと雨粒のようなビーズが縫い付けられ、レースは何重にもプリーツがあり段違いに重なっている。
それが歩くたびに、熱帯魚の尾ヒレのように揺れ、華やかな王都に何の違和感もなく溶け込んでいる。
これはアネモネの自前のものではない。ミルラの娘さんのお下がりだ。
貧相極まりないアネモネの私服を憐れに思ったミルラが「これを着なさい」と、持ってきてくれたのだ。
居候の身でありながら、ドレスまでお借りするのは流石に図々しいと、アネモネは辞退しようした。
しかし問答無用で、着ていた服を剥ぎ取られ、今それは、洗濯されて爽やかな夏の風にあおられている。
アネモネは、普段は膝下のワンピースしか着ないので、裾の長いドレスに慣れていない。
すれ違う女性は、皆、流れるように歩いているが、アネモネは裾をバサバサさせながら、転ばぬよう細心の注意を払って、足を左右に動かしている。
着慣れないそれに四苦八苦しているが、それでも、お洒落とは無縁の生活を送ってきたので、気持ちは浮きたってしまう。「あらまぁ、可愛い」とミルラに言われたら、尚更に。
紡織師は、他人のプライバシーに踏み込む仕事で、その稀有な力は、人によっては悪用したいと思うもの。
危険と隣合わせの仕事だから、紡織師は日常的に人との関わりを極端に避けて生活している。
あてどなく街を歩いていたアネモネだが、肉汁の香りに誘われ、屋台に足を向ける。
近づいたそこは王都屈指の人気店で賑わっていたが、アネモネは臆することなく注文する。
「おじさんっ、串3つ!タレ多めでっ」
「おうよ!お嬢ちゃん。任せときな!」
屋台の主が威勢のいい返事をしたと共に、うっとりするほど美味しそうな肉串が突き出される。
お礼を言ったアネモネは、お財布として使っている小さな革袋から、ぴったりの金額を払って串を受け取った。
王都に滞在してまだ一ヶ月だが、アネモネは、ほぼ毎日ここに通っている。
未だにアニスと面会できていないから、依頼主の記憶はアネモネの身体の中にあり、いわば一つの身体に心を2つ抱えている状態なのだ。
たった一つしかない自分の心ですら持て余す人が多い中、2つ抱えるというのは、とても体力を削ることである。
師匠であるニゲラは、睡眠を得ることで補っていたが、アネモネは食べて食べて、体力を補充する。
とはいえ、ソレールやミルラの前でがっつくわけにもいかないので、アネモネは日中は外で空腹を満たしている。
「んー……ふふっ、やっぱり美味しい」
パクリと小さな口に収まった瞬間、アネモネはうっとりと目を細めた。
貴婦人が小さな砂糖菓子を褒め湛えるような口調で言ってはいるが、胃に収まったのは血も滴る肉の串焼きである。
串にささった肉は大ぶりで食べにくいはずなのに、アネモネはタレを口端に付けることも、服に零すこともしない。しかも丁寧に口元を拭う様は、育ちの良さすら感じる。
「あれ?もう……ない……」
あっという間に串を平らげたが、アネモネのお腹は、まだまだ満たされない。
紡織師は、食べてなんぼの商売なのだ。<紡織師>は得る金も多いが、経費が嵩かさむ仕事でもある。
しょっぱいものを食べたら、甘いものが食べたくなるという自然の節理で、アネモネは今度は揚げ菓子を食べようと、別の屋台へと足を伸ばす。
けれども歩き出した途端、背後から荒々しい男の声が辺りに響いた。
「おいっ、なんだよコレ!!」
振り返ってみれば、肉の串焼きの屋台の主人が、ガラの悪い男に絡まれていた。
男は、串に刺さっている肉が均等でないと責め立て、こんなものは売り物じゃない、返金しろ。あと、お詫びに串10本よこせと有りえない論理で強請っている。
アネモネは眉間にシワを寄せると、すぐに屋台に戻った。
「ねえ、ねえ。おじさん、どうしたの?」
「あ゛、なんだぁ?お前には関係ないだろっ。引っ込んでろ!」
アネモネが無邪気さを装って問いかけたのは屋台の店主ではなく、ガラの悪い男の方。案の定、すぐさま威嚇されてしまった。
もちろん命知らずな行動に、野次馬たちは「お嬢ちゃん、駄目だよ。危ないよ」と、アネモネを止める。店主も、ここを去るよう目で訴えてくる。
でもアネモネは聞こえないフリをして、ガラの悪い男の腕に触れた。
瞬間、男の腕から、ぽわんと赤黒い気泡が姿を表し、地面に落ちる。
アネモネは、それを踏み潰すと、もう一度、ガラの悪い男に話しかけた。
「ねぇ、おじさん。肉ってね、不揃いなところがロマンなんだよ」
にっこりと笑うアネモネに、男は鬱陶しげに舌打ちした……と思ったら、何故かわからないけれど、へらっと笑った。
「そうか、そうなのか。お嬢ちゃん、ありがとう。いいこと教えてくれて──オヤジ、さっきは悪かったな。串10本くれやっ」
つい先程、強請ったことなど忘れたかのように、人の良い笑みを浮かべて代金を突き出すガラの悪い男を目にして、屋台の店主は困惑した。いや、ドン引きしている。
しかし商売をしている以上、金を出されたら、売るしかない。
「……へ……へい。ま、まいど……どうも」
「ああっ、また来るな」
頼むから、二度と来ないでくれ。
誰もがそう思ったけれど口に出すことはせず、一人、また一人と散っていった。
「……お嬢ちゃん、あんた何かしたのか?」
人気が無くなったことを確認した店主は、恐る恐るアネモネに尋ねる。
「ふふっ、まさか」
アネモネはくすっと笑って、嘘を吐いた。