王宮最奥、王家の秘密を守るために造られた地下神殿――その場所に、王と側近、そして限られた魔術師だけが集められていた。
重厚な扉が閉じられた瞬間、空気が震えた。
薄暗い石壁には古い符が刻まれ、中央には“予言の祭壇”が置かれている。
そこには、黒い薔薇の刻印が浮かんでいた。
「……これが、正式に降ろされた予言だ」
王は深い皺を刻んだ額を押さえながら、硬い声で言った。
側に控えるアレクシスが、祭壇の巻物を開く。
そこには不気味なほど鮮明な文字が刻まれていた。
《黒薔薇は王国を沈める》
《黒薔薇は王家の血を喰らう》
そして、アレクシスは続けて読んだ。
《黒薔薇は最も愛した者の手で朽ちる》
一瞬、空気が凍りついた。
ルシアンは眉をひそめる。
リディアは目を見開き、王は沈痛な面持ちで口を閉ざす。
「……この文は、古代“神譚”の書式と一致します」
魔術師長が静かに言った。
「予言であると同時に、“定められた儀式”の記録とも読み取れる」
アレクシスが巻物を置く。
「つまり――黒薔薇の娘は、誰か“愛する者”に殺されなければならない、ということか?」
言葉は淡々としているが、内に宿る重みは凄まじい。
ルシアンは拳を強く握った。
(最も愛した者……?)
その言葉が、心に刃のように食い込む。
王が静かに立ち上がった。
「黒薔薇とは誰か。すでに分かっておろう。
ランドルフ公爵家の娘、セレナだ」
ルシアンの胸が強く脈を打つ。
「陛下! セレナは何も――!」
「予言は未来を告げるものだ、ルシアン。
罪の有無ではない。
“彼女が存在することで王国が破滅する”というのが神の告げだ」
王の言葉は冷たいが、どこか痛みを含んでいた。
娘のように可愛がってきた少女の名を口にするのが、耐え難いのだ。
だが王国のために、情は切り捨てねばならない――
そういう表情だった。
リディアが口を挟む。
「……ですが、予言には“代替の儀”の可能性も書かれています」
アレクシスが眉を上げる。
「代替?」
「はい。“喰魔の呪いを別の器へ移す”術式です。
極めて危険ですが、セレナ様を殺さずに済む可能性が……」
ルシアンが息を吞んだ。
王はわずかに目を細めた。
「成功確率は?」
「……一割もありません」
沈黙が落ちる。
アレクシスが冷たい声で言った。
「そんな賭けに王国の命運を預けるつもりか?」
リディアは言い返さない。
彼女自身もわかっている。
呪いを移す儀式は“生き残った者がいない”禁術だ。
王がゆっくりと玉座へ戻る。
「ルシアン。お前は……セレナと深い縁を持っている」
「……はい」
「故に、この予言における“最も愛した者”は、お前である可能性が高い」
ルシアンの呼吸が止まった。
王の声は続く。
「セレナが暴走したとき――
あるいは、暴走の兆しが見えたとき。
お前が彼女を討たねばならない」
「……!」
胸の奥で、なにかが崩れる音がした。
アレクシスが鋭く弟を見る。
「覚悟を決めろ。王家の血を守りたくば」
だが、ルシアンは絞り出した。
「――無理です」
誰もが目を見開いた。
「俺には……セレナを殺すことなどできない。
彼女は、ずっと……ずっと俺を救ってくれた人なんです」
王は苦しげに目を閉じた。
「……ならば、王国か、公爵令嬢か。
お前はどちらかを選ばねばならない」
運命の選択が突きつけられ、
ルシアンは言葉を失った。
その頃。
ランドルフ公爵邸の塔の部屋では、
セレナがひとり、黒い魔力に包まれながら膝を抱えていた。
胸の奥が痛い。
理由はわからない。
けれど――嫌な予感がする。
(ルシアン……どうか、無事でいて)
その願いが揺れた瞬間、
部屋中の花が一斉に黒く枯れ落ちた。
不吉な音が、静かに響いた。
王国の破滅を告げる鐘は、すでに鳴り始めている。







