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ruruha
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「申し訳ございません。供物をお届けする事を条件に、湯の汲み出しを承服して頂いたのに、不肖シトリン・ドゥ・サフィニア、あろうことかそれを失念しており………」「う……うむ、まあなんだ、とにかく頭を上げてだな……」
翌日、ソラヤと共に赤竜の住処である洞窟を訪れたシトリンは、開口一番に深々と頭を下げて謝罪した。
昨日、赤竜が性別を明かした時はともかく、それ以外は冷静沈着な態度を崩さなかった少女が、しょぼーんと小さく縮こまってるのだから、本人の中では深刻な事らしい。
儀礼的な謝罪ではない、本気で罪を犯してしまったという意識が滲み出ている、心からの謝罪だ。放っておいたら、温泉水で濡れた地面に膝と両手着いて平伏しそうな勢いである。
しかし、そんな事をされても困る。赤竜も、その約束を思い出したのは、今この時、シトリンが忘れていましたと報告するまで忘れていたのだ。
供物が無くとも、シトリンが様々な人間を連れて来たり、送り込んできたりするので、それが楽しくて供物を忘れても不満が出ない程度には、充実した日々を送らせてもらっている。
申し訳なさで、半ば我を忘れているシトリンはともかく、竜神様の態度から、おおよその思考を読み取ったソラヤも、微妙な顔をしたまま立っている。
「そもそもだな………、事業が軌道に乗ったらという曖昧な基準であったのだから、シトリンの裁量で決める事であろう。今供物を持ってきたのなら、事業が軌道に乗ったと感じたのが今だったという事でも、なんの障りもなかろう」
赤竜は、ひとまず自分は気にしていない事を伝えつつ、シトリンが納得してくれるような建前をなんとか考えて作った。
そこにソラヤがフォローの手を伸ばす。
「そうよ、竜神様が気にしないって仰ってくれているんだから、気にしすぎるのは却って不敬よ」
「左様。気にせぬ事じゃ。ほれ、顔を上げて、楽にせよ」
赤竜が更に励ますと、シトリンはようやく顔を上げた。
表情を見るに、未だ申し訳なさを引きずっているが、反省も詫びもこの辺りでいいだろう。
「さて、それだけ頭を下げたのだから、もちろん供物も持って来ておるのだろう?」
「はい、それはもちろん」
正直な所、聞くまでも無く、湯汲みの衆が荷物を抱えているし、荷物を開けるまでもなく爽やかな果実の香りが漂ってくるから、持ってきていないわけはない。
しかし、こうして質問する事で、今の気詰まりな空気を切り替えるきっかけになればいいなと、赤竜は考えていた。
「皆様、供物をこちらへ」
シトリンの号令一下、湯汲みの男衆が持っていた荷物を赤竜の前に並べた。
男衆が背負ってきた背嚢の中には、実にたくさんの作物が詰まっていた。
瑞々しいリンゴ、甘酸っぱい香りの柑橘類、果物だけかと思っていたら、その香りに隠れていた穀物も出てきた。
「ほほう、美味そうな物が沢山あるな」
赤竜は鼻息荒く、食料の山を眺めた。かつての時代に舌鼓を打った記憶が蘇る。
出来る事なら、今すぐ手を出したい所だが、自分が意地汚い所を見せたら、シトリンの威厳まで削がれるような気がして、ぐっと我慢した。
「はい、これは我々人間が、竜神様を長きに渡って怪物扱いしたことの償いでもあります。竜神様のご希望とあらば、いつでも好きなだけご用意いたしますので、気兼ねなくお申し付けください」
「償い……のう。シトリンが気にする事ではないと思うがの」
赤竜の感想は、概ねソラヤと同じだった。
かつての時代に起こった事は、かつての時代の人間が起こした事であり、シトリンには何の関係もない。
「いえ、いつかは誰かがお詫びしなければならなかったのです。それがたまたま、私に回ってきただけの事です」
「うーむ………まあそれで、シトリンの気が済むなら、儂も文句は言わぬよ」
赤竜は、シトリンが妙な責任感に縛られている事を不憫に思う一方で、彼女の贖罪を止める事は、必ずしも最善手ではないように感じた。
言って聞かせれば止めるかもしれないが、シトリンの心には罪の意識が残り続けるかもしれない。ならば、今は好きにさせてやる事が一番かもしれない。
「ご承知いただき、誠に感謝いたします。それから………」
「それから?」
贖罪の流れは、これで終わりかと思いきや、シトリンはまだ言葉を続ける雰囲気である。
(大丈夫か?)
贖罪がしたいなら、ある程度は好きにさせようと思いはしたが、あまりにも深刻に考えるようなら、ある程度は制御してやらねばならないとも思う。
「これも贖罪の一環と考えていただきたいのですが、山の麓に人工の湯船を作って、そこを竜神様と人々が交流の場にする事を計画しております」
「ほう?詳しく聞かせよ」
突拍子も無い話だが、シトリンが話を持ってくると、いつも面白い事が起きるので、赤竜は興味を引かれて続きを促した。
「はい。我々人間と竜神様が交流を絶った原因は、かつてこの山で人死にが出て、それが竜神様の仕業であると勘違いされたことにあることは、ご存知の通りです。その節は、竜神様には不愉快な思いをさせてしまい___
「謝罪はよい。話を進めよ」
このまま放っておいたら、謝罪のために話が脱線していきそうな気がして、赤竜は急ぎシトリンの話を遮った。
「は……はい。これは私の夢想なのですが、元々麓に温泉があったのならば、事故も起こらず、冤罪を着せる事も無かったのではないかと。ですから、今からでも麓に人工温泉を作れば、平和な交流が結べるのではないかと思ったのです」
「ふむふむ、話は分かった。しかし、そんな事が可能なのか?浴槽を作るも、湯を引くも相当に大掛かりな事業になろう」
赤竜が引っかかった部分は、誰もが懸念点として抱く部分である。
「それに、麓に作ったら、火山灰が降った時の整備も手間であろう。火山灰を避けるとなると、もっと山から離す事になるし、湯を引くのが更に大変になる。冷淡な物言いになるが、ラヴァリンにそれを成すだけの資金はなかろう」
シトリンが赤竜を観光名所にしようとしたのは、国の財政難を救うための苦肉の策だ。金が無いからこうなったのに、そんな大金がかかる大工事をする事が、とても出来るとは思えない。
赤竜が難しい顔をしていると、シトリンは待ってましたとばかりに自信に満ちた笑みを浮かべて、答えた。
「そこで、こちらのソラヤ王女殿下のお力添えを頂きたいと考えております。ではソラヤ様、竜神様にご説明を願えますか?」
「はい。竜神様にお分けいただき、アルタリアに持ち帰りし温泉水は、国民に絶大な評判を頂きました。その温泉水の、ラヴァリン国外のおける販売を独占させていただく交換条件として、人工温泉の建設費をアルタリアから拠出することをご提案させていただきます」
この話は昨晩、温泉から帰ってきた後に二人で決めた話である。
アルタリアでの独占販売の件は、後で向こうのお歴々を通さなければならないのたが、ソラヤ王女の決断を止められる者は誰もいない。
国王でさえ止められないし、それなりに見返りのある話ではあるから、否とは言うまいという腹づもりだ。
「ふーむ、アルタリアはそれほどに豊かな国なのか?すまぬが儂は世俗には疎いのじゃ」
赤竜は、数百年はこの山から離れていないし、そもそもアルタリアがどこの土地に位置しているのかさえ分からない。ましてや、国内事情など分かるはずもないのだ。
赤竜の問いに答えたのは、シトリンだった。
「アルタリア王国は、世界有数の宝石産出国にして、商業大国にございます。その豊かさは言わずもがな、建設費を持つくらい造作も無い事でしょう」
「ソラヤ王女、今の言は事実か?」
シトリンの言は、何一つ嘘の無い真実なのだが、言い方が盛りに盛った大言壮語のようにも聞こえてしまう。
本当に真実なのか、直接当事者に聞いて確かめておきたくなった。
「シトリン王女の仰る通りにございます。手前味噌ではありますが、アルタリアの財力は世界でも有数のものと自負しております。人工温泉を作り上げる資金に不足はありません」
ソラヤの説明も、シトリンと同じ物である。
それも、まるで淀みの無い、王女然とした気品に溢れながら、自信に満ち溢れていて、そこに僅かでも嘘があるようには思えない。
「うむ、資金の面で不足無しである事はよく分かった。しかしな………」
赤竜は顎に前足など当てて、逡巡の態を見せる。
「竜神様、何か気になる点でもありましょうか?」
「うむ、懸念は儂だ。儂自身だ、長きに渡って恐怖の象徴であった儂が、人里近くに赴くのを民は許容できるのか?望んでここに来る者はともかく、今も儂を良く思わない者との不和から、無用な争いを生じさせるのではないか」
赤竜に争う気は無いし、温泉水の効能のおかげで、徐々に誤解が解けつつあるという事も聞いている。
だからといって、数百年続いた怨恨がすぐに解消するとも思えない。この山を下りた事により、民との軋轢が生まれたり、争いの火種になるのを赤竜は恐れた。
「それは………」
起こり得る事だ、とシトリンは思った。狭い領地の田舎でも、様々な人が住み暮らし、様々に思想を持っている。
当然に竜神様を忌避する者も居るし、そういう勢力が大きくなれば、人工温泉に乗り込んで、人にも竜も出ていけとシュプレヒコールを上げるシチュエーションもあり得るだろう。
それこそが、竜神様の言う『無用な争い』とは、まさにそういう事だ。
「竜神様!」
シトリンが言葉を紡げずにいると、ソラヤ が大声を上げた。その瞳には確かな決意の炎が宿っている。
「その懸念を払う策は、このソラヤ・アル・カマルにございます!」
ソラヤは自分の胸をバン!と叩いて、言い放った。
(え?)
シトリンは、予想外の展開に固まった。今日言う事は、事前に相談してきたのだが、予定に無い事をソラヤが言い出したものだから、驚きを隠せなかった。
「ほう、申してみよ」
しかし、赤竜は事前準備があった事も、予定から外れた事も知らないから、特にこれという反応もせず続きを促した。
「この温泉の魅力、実際に浸かれば、どんな偏見を抱いた者でも虜になる事でしょう。それを今から、証明して見せましょう」
自信満々という様子で語るソラヤと、その言に興味津々な赤竜。そして、何がなんだか分からないシトリン。
湯汲みの者達は、おっかなびっくりしながら成り行きを見守っている。
「それは如何にして証明するつもりか?」
「はい、シトリンの侍従、ロシュフォール・ミラノは今だに竜神様への恐怖心を拭いきれていません。そんな彼を温泉に入れて、偏見が正されたら、それを証明とするのはいかがでしょうか?」
シトリン侍従、老執事のロシュフォール・ミラノは、赤竜への恐怖心から、今日も洞窟内には入らず、入口の所で待機している。
それを温泉に入れて、偏見が無くなる過程を見せようと言っているのだ。………主人であるシトリンではなくソラヤが。
「シトリン、ミラノさんを借りるわよ」
「え、ちょっとソラヤ……」
シトリンの意思を確認せず、それどころか赤竜の返答も待たずに、ソラヤは洞窟の外に飛び出して行った。
洞窟内の一同は、ポカーンと口を開けて呆然とする他無かった。
程なくして、ソラヤがロシュフォールの手
を引いて、洞窟の中に戻ってきた。
ロシュフォールは、当然ながらラヴァリン王国勤めのシトリンの従者であり、アルタリアの姫君の命令を聞く言われは無いのだが、勢いに負けて引っ張られてきたのだ。
「さあ皆さん、裸に剥いてしまいなさい!そして温泉に放り込むのよ!」
ソラヤが、湯汲みの人足達に命じるが、命じられた方もどうしたものかと困った顔を見合わせている。
ロシュフォールは、シトリンに助けてくれという目線を向けてきたが、シトリンとしては竜神様の懸念を払うのが最優先。ロシュフォールが温泉に投げ込まれたとしても、健康になるだけだから、ここは止めるべきではないと判断した。
「ごめんなさい、ロシュフォール。皆様、ソラヤ様の言った通りにしてちょうだい」
姫様二人が命令したとあれば、人足達に拒否権は無い。ロシュフォールを囲むと、有無を言わさず脱がしにかかった。
「すまねえ、許してくれ!」
「ミラノ殿、申し訳ないが、姫君の命には逆らえぬのだ」
シトリンの配下も、ソラヤの従者も一緒になって脱がしにかかってくるのだから、一人の老人に為す術は無い。
「ちょっ!何を!ひいぃ〜〜〜!」
屈強な男達が老人の服を剥ぎ取る様は、さながら追い剥ぎ強盗である。
服を脱がせると、ロシュフォールの両手両足をそれぞれ捕まえ、担ぎ上げて湯船の方に向かう。
脱衣させた時が追い剥ぎ強盗ならば、今度は証拠隠滅のために川や海へ突き落とす場面のように見える。無論、実際には溺れさせる訳ではなく、ただ単に風呂に入れようとしているだけなのだが。
「お慈悲を!お助けをーーー!」
ロシュフォールは必死に泣き叫ぶが、その声に従う者は居ない。
「そーれ、放り込んじゃいなさーい!」
ソラヤは楽しそうに号令を飛ばす。命令している内に楽しくなってきたようで、どんどんテンションが上がっていっている。
「おりゃーー!」
男達が勇ましい声を上げて、ロシュフォールを浴槽に放り投げる。ざぶんという水音と共に、大きな水柱が上がった。
「ぷはっ!」
頭から湯に浸かったロシュフォールは、湯の中から頭を出し、大きく息をついた。
「はぁ……はぁ……、乱暴が過ぎますぞ……」
ぜいぜいと肩で息をしながら、苦情を口にする。屈強な男達にもみくちゃにされたら、危害を加えられなくとも、疲弊するのは当然だ。
「全く……年寄りには優しくせぬか。儂を敬う気持ちを、少しでも分けてやれ」
赤竜は、哀れ濡れ鼠となったロシュフォールに同情した。シトリンからして、人を振り回すお転婆なのに、それ以上にお転婆なソラヤにまで振り回されてのこの有様は、痛ましく思うほかない。
「まあなんだ、この湯は人の身体にはよく効く薬であるというから、そのまま浸かっておくがよい」
「はぁい………」
ロシュフォールの返事は、気の抜けきったものだった。よほど疲れたのか、それとも投げ込まれた時に頭でも打ったのかと思ったら、何のことはない、早くも湯に癒され、脱力しているだけだった。
「ふふん、こういう時はやっぱり荒療治ね」
温泉に入れたおかげで、ロシュフォールが偏見を捨てたのを見届け、ソラヤは得意げに鼻を鳴らした。
シトリンもまた、ロシュフォールの竜神様に対する恐怖心が消えた事を嬉しく思い、微笑ましいものを見る目で見ていた。