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「ザック……おめぇまたやらかしたな?」「あい………もうちょっと、慎重にならなきゃいけねえとは思っちゃいるんで……思っちゃいるんでぇ………」
ラヴァリン王国、場末の酒場竜山亭にて。
シトリンが雇った男達の中で最年長のハグノスと、最年少のザックがカウンター席で酒を酌み交わしながら、なにやら深刻そうな顔で話をしていた。
「なんだろうねぇ。アレは」
久しぶりに来た二人が、揃って深刻そうな顔をしているのを、竜山亭の女将は他の客に給仕をしながら、遠巻きに見ていた。
声をかけたいが、かけていい話題なのか分からない。何しろ彼らは、お姫様の命を受けて働いている。下手に突っついたら、彼らの首が飛んだり、国が傾くような話が出ないとも限らない。
他の客達も同様で、腫れ物にでも触るような心地だ。この店の客層の中では、王女のご下命を受けている彼らは、今この店に居る人間の中では、とびきりに偉い。身分的な違いは無いが、遠慮して突っ込めない程度には、高いステージに立っているのだ。
二人の話の内容もまた、実に剣呑である。
『やらかした』とは、一体何をやらかしたのか。
王女様の前で粗相をやらかしたのか、裸になった入浴客に手を出したのか、竜神様を怒らせるような事をしでかしたのか。などなど、ハグノスとザックには悪いが、彼らがやらかしそうな事なんて、いくらでも思いついてしまう。
各々が嫌な想像を巡らせていると、ハグノスが口を開いた。
「まあな、温泉水のおかげで、花街はどこもかしこも別嬪だらけだ。オレも若けりゃあ、金をつぎ込んでいたかもしれねぇけどな」
ハグノスがようやく、ザックの『やらかし』の内容を明らかにしたので、店内に漂い始めていた緊張感は霧散した。
ザックがやらかした事というのは、美女の色気にやられて、派手に散財してしまったという、若い男なら、良くあるとまではいかないが、さして珍しい話でもなかった。
掘ったら不味い話ではないと分かったら、女将のような人間が放っておくはずがない。
「あ〜ら、花街の別嬪さんっては、アタシの事かい?」
女将がくねくねと科をつくりながら、二人が座るカウンター席に近づいてきた。ここは酒場ではあるが、花街にあるわけではないし、女が接待してくれる訳でもない。女手は女将ただ一人である。
「ちげえよ!女将さんは別嬪じゃ……ねえとは言いづらくなっちまったなぁ」
ザックは、全くデリカシーの無い、しかし嘘も無い返答をした。
女将もまた、温泉水の愛用者である。中年も後半に入った年格好であるし、元々が肥満体なので、若い娘たちと比べたら劣る事は否めないが、肌には張りがあり、化粧乗りも良くなって、年齢を感じさせない艶めきを放つようになってきている。
「とはいえ、ここは花街じゃねえからどっちみち女将の事じゃねえな」
と、ハグノスが締め括ってから、ガハハと豪快に笑うと、女将は身体をくねらせるのを止めて、悩みの相談をしようという態度に変わった。
「ザックらしくもないねえ。あんたは身持ちの固い方だと思ってたんだけどねぇ」
ザックは、シトリンが集めた人足の中では、比較的金遣いが大人しい。というか、先々の事を考え、金を残しておこうという思考の持ち主である。
そのザックが、女の色気につられて、大盤振る舞いをしたというのだ。そんな話をきいたら、ハグノスだって深刻な顔になるだろうし、女将だって気になってしまう。
「だってよぉ、女将さんがこんなに変わるくらいだぜ?そういう仕事をやってる、元から美人の人が使ったらどうなるかなんて、考えるまでもねえだろ?」
酒を飲ませる店にしても、春を売る店にしても、そういう職業に就くのは、容姿の整った者が多い。それが温泉水の力でさらに美しくなったら、男の理性など簡単に吹き飛ぶのは想像に難くない。
「そうかもねぇ。女のアタシも、街ゆく男達にもずいぶんといい男が増えたもんだから、目移りしてしょうがないよ」
女将は、頬に手を当てながら悩ましげな仕草を見せる。女将は既婚者だから、本気で言っている訳ではなかろうが、温泉水の力でラヴァリンの民が男女問わず美しさを増しているのは事実である。
「な、そういう事だからよ、オイラが女遊びに金を使っても、しょうがねえだろ?」
「しょうがなくはねえだろ」
ザックの言い分も分かるが、決して不可抗力ではないとハグノスはバッサリと切り捨てた。
いくら美女が目の前にいたとしても、そこに金をつぎ込むかどうかは自己責任だ。色欲に負けた事を、恥じるべきである。
「まあまあ、使っちまったもんはしょうがないさ。使った分以上に働いて、お国に奉仕するんだよ」
女将は、ザックを励ます意味を込めて肩を叩いた。金を使いすぎたのを咎めるのは簡単だが、それでザックが萎縮して、仕事のパフォーマンスが落ちたら、国が困るのだから、女将としても、ザックが元気よく働くために励ましてやりたい。
「へいへい、お国の財政をために、働かせていただきやすよ。とは言っても、これ以上何をやりゃあいいかは分かんねえんだけどよ」
ザックは、苦笑を浮かべながら、後頭部を掻いた。湯汲みの仕事を以外、何をしていいのか分からない。そもそも、シトリン姫が他の事を期待しているとも思えない。ザックに出来るのは、粛々と仕事をこなし、姫の指示を仰ぐしかないだろう。
「まさか、花街の様子を語って聞かせる訳にもいかねえからなぁ」
ハグノスが、ケタケタと笑いながら言う。ザックもそれに続くのかと思ったら、意外にも眉間に皺を寄せ、何やら思案顔だ。
「いや………、もしかしたら姫様に言わなきゃならねえ日が来るかもしれねえ」
「おぉ?どういうこったよ」
ハグノスは、ザックが何を言い出したのかは分からなかったが、深刻そうな顔を見て 、少なくとも笑い話ではないと悟った。
「入浴客を男と女で分けるって決まった時もそうだけどよ、姫様は治安が悪くなる事を警戒していなさる」
「そうだったな。山の下に温泉を作ろうって話も、トラブルが起きねえように、起きてもすぐ潰せるようにって理由だったな」
「そうだよ。んでラヴァリンは、右も左も別嬪だらけ!花街にはとびきりの別嬪が揃ってる!となったら、悪い虫だって集まってきちまうって寸法よ」
ザックの意見は、非常に説得力があった。ハグノスとてザックとて、元々はゴロツキ連中の一員だったのだから、そういう輩の気持ちはよく分かる。
女将も、日頃竜山亭でそういう連中の相手をしているから、色気と酒に酔って暴れる者が出かねない事くらいは、すぐに察しがついた。
「なるほど、そりゃあ不味いぜ」
「姫様に言わなきゃだねぇ」
ハグノスと女将は、ザックの意見に同意した。
「そうと決まったなら、早速ご注進だ!ザック、城まで行ってこい!」
「合点承知!善は急げだぜ!」
ザックは、椅子から飛び上がるように立ったかと思うと、猛然と走り出し、竜山亭から走り去っていった。
「ザックの野郎、頼りねえ奴だと思ってたら、意外にしっかりしてやがるじゃねえか。ありゃあ見上げた男だぜ」
駆けていくザックの背中を見送ってから、ハグノスは腕組みをして感心したように頷いた。その直後である、自分の背中に寒気を感じたのは。
(うん?)
何かと思って背後を振り向くと、そこには女将が鬼女の形相で仁王立ちしていた。
「……送り出すのはいいけど、お代を払わせてからにするんだったね」
「あ……」
竜山亭は、どれほど常連になったとしてもツケは認めない。ツケを払わず逃げる者が余りにも多いので、誰であれ一律禁止にしたのだ。
「二人分………まとめて払ってもらうよ!!!」
女将の怒声が、竜山亭を震わせた。とっくに走り去ったザックには、その声が届く事は無かった。