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ユーディア・フィスィは、ピンチだった。
諸々の可能性を考えた結果ピンチだとしか思えない状況で、目の前に立つ男を見上げる。
肩上まで伸びた赤毛を持つユーディアの頭より、二つ分は高い位置にある男の顔。真っ黒で短く刈り込まれた髪と、黒い瞳のたれ目がユーディアを見つめている。
がっしりした体躯は、王立騎士団のエンブレムのついた騎士服と軽装鎧に包まれていた。
「あ、の……」
「っ……」
ユーディアが声をかけると、男は一瞬ぴくりと反応した。だが言葉は返さずに眉間に皺を寄せ、ユーディアから視線を外した。何か考え込んでいるようにも見える。
王都を巡回し、警備をするのが主な役目である、王立騎士団。
それに対して、現在地であるユーディアの家は、王都から馬車で一日かかる場所にあるダソス村の、さらに奥の森の中に建つ小屋だ。こんな場所に、この男はわざわざ訪ねてきたのだ。
短い問答のあと、色々考えを巡らせた結果──ユーディアは、ある結論に至った。
(まさか──現代に、魔女狩りが復活したなんてことないでしょうね……!)
嫌な予感と同時に、冷たい汗がユーディアの背中を流れていった。
■
魔女狩りが行われたのは、百年以上前──現在のオールドートル王国成立前の話だ。
そして現在、魔女そのものが架空のものとして扱われていることもあって、ユーディアが心配するような魔女狩りはない。
だが、魔女の一族は今も生き延びていて、地方では魔女の一族に寄り添う者も存在するのは事実だ。ユーディアの一族は「むしろ今は王都のほうが魔女の存在を忘れているから」として、王都近くの村に身を寄せている。
ユーディアの一族は、オールドートル王国成立前の、魔女狩りによる被害を多く受けた一族だった。だからこそ、今でも魔女狩りは警戒すべきものである──ユーディアは、亡くなった母からそう言い聞かされて育っていた。
魔女狩り疑惑を持った騎士が現れる、数週間前──
「──よし、終わったぁ」
鬱蒼とした夜の森の中で、ぽつんと立つ小屋の中。薄暗くも、うっすら明るい窓際の部屋で、ユーディアは解放感に満ちた声を上げていた。
明かりの源はテーブルに置かれた、蝋燭のランタンだ。しかしその光はそう強くはないので、小屋の中に強い影を落とす。
「魔術切れになったときはどうなるかと思ったけど……蝋燭の予備、ちゃんと買っておいてよかった」
言いながらユーディアが視線を落としたのは、左の人差し指。鮮やかなオレンジ色の石に、濃淡の違う複数の茶色の糸で編み込まれた指輪がはめられている。
その指輪は、微かに発光していた。
太陽の光のような強いものや、都市部で使われるオイル燃料とも違う。どちらかと言えば、今この小屋を照らしているランタンの──蝋燭に灯った炎の光に近い。
近いが、ランタンには遠く及ばない光量で、昼間なら発光していることすら気づけないほど弱い光だった。
「作るのは好きだけど……やっぱり、魔術には向いてないよ」
独り言を呟きながら、僅かに輝きを放つ指輪を撫でる。
木製テーブルの上には、デザインは違うが同じように糸で様々な石──鉱物を編み込んだ指輪、腕輪、首飾りなどが雑然と広げられている。ユーディアの指にはめられた指輪のように発光する気配はなく、ただの装身具のようだった。
「……まぁ、蝋燭を消費するより経済的だから、また作るけど」
言い訳のように言うと、広げていた装身具を一つ一つ小さな袋に詰めていく。
明日の朝、王都に向かう納品用の馬車に乗せてもらうことになっていた。目的は、王都の雑貨屋への装身具の納品と、装身具の素材になる鉱物や糸の調達だ。
「ふあぁ……そろそろ寝ようっと」
大あくびをすると立ち上がり、部屋の奥の寝室に向かった。ユーディアの身体を覆っていたローブの留め具を外した。
ローブの合わせ部分に糸を縫いつけ、編んで作った輪を、鉱物の飾りの根本に引っかける、ボタンのような構造の留め具だ。
鉱物の地の色は灰色だが、表面がうっすらと青く輝いている。青く見える月のような石を、淡いクリーム色とオレンジ色の糸が包んだ。青白い月が明るい太陽の光を放つような、不思議な見た目の飾りだった。
「う、さむっ……母さんの作った留め具つきのローブ、快適すぎて今の室温忘れちゃうな……」
壁の端の突起にローブを掛け、すぐにベッドにもぐり込む。
布団を頭からかぶると、つけたままの指輪が布団の中でほんのり発光していることに気づく。指輪を外してサイドテーブルに置いたときに、光は完全に消えていた。
サイドテーブルにぽつんと残る指輪のオレンジ色の石は、光を失ったことで──寒く、暗い部屋の中に溶けていくようだった。
魔術の込められた装身具であたためられた体温が布団にも少しずつ移ると、疲れと相まってユーディアは意識を手放した。
――この日も、ユーディアはいつも通り一日を終えた。
明日から数日は普段とは少し違う時間を過ごすことになるのだが、このときのユーディアには、緊張感も何もなかった。
それも定期的にある出来事の一つでしかない――無意識の中で、ユーディアはそう思っていたからだ。