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スカーレット軍エレン隊長は
一通の手紙の前に怒りで肩を震わせていた。
「エスカミオの国王が帝国の要請を受けて、
女王陛下暗殺のために傭兵団を送った……?」
その声は低かったが、逆にそれが恐ろしかった。
普段は快活で、誰よりも真っ直ぐな彼女の顔から、今は笑みが完全に消えている。
報告を持ってきた兵士は息を呑み、思わず一歩退いた。
「ま、まだ確証があるわけでは……ただ、国境付近で不審な武装集団が――」
「十分よ」
言い終わるより早く、エレンは踵を返していた。
外套を翻し、丘の縁まで進む。彼女の視線の先には、街道脇の林にたむろする一団があった。
鎧はまちまち。
旗もない。
統一された軍装すらなく、それでいて全員が血の匂いをまとっている。
正規軍ではない。
あれは戦場を渡り歩く、金でしか動かぬ獣どもだ。
エレンの目が細くなる。
「いた……」
次の瞬間、彼女は剣の柄を握りしめた。
「お前かあああッ!」
怒声が丘に響いた。
周囲の兵がぎょっとして振り返る。
「私の女王陛下に!」
「よくも、よくも手を出そうとしてくれたな!」
敵の一団もようやくこちらに気づいたらしい。
数人が顔を見合わせ、ニヤつく。
その態度が、火に油を注いだ。
「エレン隊長、待ってください!」
後ろから副官が叫ぶ。だが、もう遅い。
「待てない」
「暗殺者を見つけて見逃すほど、私は気が長くない!」
エレンは斜面を駆け下りた。
怒りそのものが人の形をとって突撃していくようだった。
副官は顔を青くする。
「まずい……! 総員、隊長に続け!」
「戦闘態勢をとれ!」
兵たちが慌てて槍を取り、馬を寄せる。
そのころには、街道下の傭兵たちも完全に臨戦態勢に入っていた。
「へへ……女が一人で突っ込んで来やがった」
「いや、違う。後ろにもいるぞ」
「面倒だ。とっつかまえて相手してもらおう!」
下卑た笑い声。
それを聞いたエレンの顔は、逆に静かになった。
怒りが限界を超えると、かえって冷える。
彼女は子斧を構えた。
白刃が陽光をはじいた。
「祈れ!」
傭兵たちが訝しげに眉をひそめる。
「そして死ね!」
その背後で、味方の鬨の声が上がった。
槍兵が列をなし、弓兵が弦を引き絞る。
駆け寄る軍馬の蹄が、乾いた地面を激しく打った。
エレンは子斧を敵に向ける。
「スカーレットに仇なす者へ告ぐ」
「ここがお前たちの終着点だ」
風が吹いた。
草が伏せ、砂埃が舞う。
そして次の瞬間――
両軍は、激突した。その頃。
副官ジャスミンが報告する。
「女王陛下、エレン隊長がエスカリオ傭兵団と交戦に入りました」
レイナは地図から顔を上げた。
「……勝手なことを」
ジャスミンが言う。
「止めますか」
レイナは少し考え、それから肩をすくめた。
「よい」
小さく笑う。
「私もあの連中は虫が好かぬ」
「エレンはあれで張り切っておるのだ」
一方、街道の反対側。
エスカリオ傭兵団。
隊長ククルースが遠眼鏡を下ろす。
丘から迫る赤い騎兵を見て、ため息をついた。
「まったく野蛮な嬢ちゃんどもだ」
傭兵たちが笑う。
ククルースは肩をすくめる。
「ちったあ着飾れば、もっとましになるだろうによ」
それから剣を抜いた。
「まあいい」
口元が歪む。
「今日は金の稼ぎ時だ」
丘を下るアマゾネス騎兵。
それを迎え撃つ傭兵団。
二つの軍が、草原の真ん中で激突した。南。
スカーレット騎兵が街道を進む。
「エレン隊長」
偵察兵が叫ぶ。
「エスカリオ傭兵団、前方展開!」
エレンは笑った。
「どうせ死んでも天国に行けぬ金の亡者どもよ」
手に弓を持ち変える
「やっちまうよ!」
赤い騎兵が突撃した。
だが傭兵は固かった。
「固いな」
エレンが舌打ちする。
「矢が通らないのか」
子斧を構える
「抜刀隊!準備できてる~?」
「いつでも!」
その時。
角笛が鳴った。
撤退命令。
エレンは悔しそうに舌打ちする。
「……今日はここまでだ」
騎兵は丘へ戻った。
傭兵団。
ククルースが遠眼鏡を下ろす。
「まあ、適当に切り上げてやれ」
部下が聞く。
「追いますか」
「やめとけ」
ククルースは笑った。
「あの色っぽい恰好は俺好みなんだが」
肩をすくめる。
「今回は見るだけにしとくよ」
王都。
ユンナが戻った。
「手紙、ちゃんと盗まれました」
サイラスは頷く。
三国に疑念は生まれている。
ユンナが言う。
「うまくいってますね」
サイラスは少し考えた。
「ええ」
そして静かに言った。
「ですが」
地図の北を見る。
「ゼイオンはここからです」
その予感は外れない。
後日、
三国の軍は――
同じ場所へ導かれることになる
青野ヶ原
歴史書にはその名が残る
王城の夜は、突然破れた。
最初の爆発は北塔だった。
轟音とともに石壁が揺れ、火の粉が夜空に舞い上がる。
見張り兵が悲鳴を上げた。
「爆発だ!」
「敵襲!」
だが敵の姿はない。
あるのは煙と炎、そして混乱だった。
城の回廊を黒装束の影が駆ける。
帝国影の軍団。
その先頭を歩く男は、音もなく刀を抜いた。
ヤギュウ。
ヴァンガルド帝国、影の軍団の長。
直接命令を受けるのは、――皇帝とゼイオンのみ。
今回の命令はただ一つだった。
「城を混乱させろ」
ヤギュウは静かに呟く。
「それだけで国は崩れる」
影はみるみるその数を膨らませ、
そして散開した。
火薬を投げ込み、火を放ち、兵を斬り、そして闇に消える。
王城の秩序は、瞬く間に崩れ始めた。
その頃、軍議の間では怒号が飛び交っていた。
「城内に間者だと!」
「火薬が仕掛けられていた!」
「北塔が崩れた!」
老臣バルディスは椅子に崩れ落ちていた。
顔面蒼白だった。
「お……終わりだ」
「ほんとうだったんだ…」
震える声で言う。
「もうこの国はおしまいだ……」
将軍たちが怒鳴る。
「軍師!」
視線が一斉に向いた。
サイラス。
「どういうことだ!」
「城内に敵が入り込んだ!」
「貴様、何をしていた!」
サイラスは静かに答えた。
「ゼイオンの手です」
「ふざけるな!」
将軍が剣を抜く。
「王都の中にまで入り込まれて、軍師が何も知らなかっただと!」
沈黙が落ちる。
やがて一人の将軍が低く言った。
「王の許可なく、お前を斬ることはできぬ」
剣を向ける。
「だがおとなしく捕まってもらう」
兵たちが囲む。
「詮議はあとだ」
将帥旗が安置された部屋。
壁には古い戦旗が並び、中央にはグラツィア王国の将帥旗が立っていた。
外では剣戟と怒号が響いている。
近衛隊長エスカミオは扉を閉め、剣を抜いた。
がっしりした体躯。
王の前に立つ。
連鎖爆発続く王城から
王と共にここに逃げ込んだ
「エスカミオ……」
王ヨシュアの声は震えていた。
エスカミオは振り向き、穏やかに笑う。
「王よ」
将帥旗を見上げる。
「この旗と、あなたを守ること」
静かに言う。
「それが私の仕事です」
外で爆発が起きる。
石壁が揺れ、砂が落ちる。
エスカミオは旗の柄に手を置いた。
「チェルソーの戦いで」
少しだけ目を細める。
「私の父がこの旗を掲げたときの歓声を」
遠くを見るように言う。
「私は忘れることはないでしょう」
そして振り向いた。
「戦とは」
低く言う。
「最後に勝てばよいのです」
王の肩を軽く叩く。
「さあ」
剣を構える。
「逃げますよ」
扉の外から兵の足音が迫っていた。
そのとき、回廊の奥で金属音が響いた。
剣と刀。
火花。
近衛隊長エスカミオが剣を構えていた。
その前に立つのはヤギュウ。
黒い影。
エスカミオは剣を振る。
「おれは奪うなら正々堂々奪う」
「暗がりで火を放つような真似はしない」
ヤギュウの刀が閃く。
二人の刃がぶつかる。
鋭い金属音。
三合。
五合。
ヤギュウが低く言う。
「戦とは勝てばよい」
エスカミオは首を振る。
「違う」
剣を振るう。
「勝ち方がある」
次の瞬間。
ヤギュウの刃が軌道を変えた。
影のような速さ。
エスカミオの肩を深く斬り裂く。
血が飛ぶ。
近衛兵が叫ぶ。
「隊長!」
だがエスカミオは倒れなかった。
剣を握り続ける。
「王を逃がせ」
低く言う。
「これは戦じゃない」
遠くで爆発が起きる。
石壁が揺れる。
ヤギュウは振り向いた。
「任務完了だ」
影たちは闇に消えた。
エスカミオは壁にもたれながら言った。
「軍師を呼べ」
王は近衛に守られ、裏門から脱出していた。
だが城内の混乱は止まらない。
将軍たちは再びサイラスを取り囲む。
「どういうことなのだ」
怒声が飛ぶ。
「王の許可なくお前を斬ることはできぬ」
「だがおとなしく捕まってもらうぞ」
「詮議はあとだ」
兵たちが槍を向ける。
そのときだった。
ユイナが一歩前へ出た。
短刀が光る。
空気が凍る。
サイラスが静かに言った。
「ユイナ」
ユイナが振り向く。
「逃げよう」
そして続けた。
「でも切っちゃだめだよ」
ユイナが眉を上げる。
「軍師様?」
サイラスは静かに言った。
「ここは戦場じゃない」
「撤退だ」
ユイナが笑った。
「了解」
燭台が倒れる。
煙が広間に広がる。
その隙に二人は走った。
兵たちの怒号が響く。
「捕まえろ!」
「軍師を逃がすな!」
ガイロは動かなかった。
遠くでサイラスの足音が消えていく。
拳を握る。
「……ちくしょう」
そして突然怒鳴った。
「俺はお前のことが大っ嫌いだ!」
壁が震える。
「お前だって俺のこと
戦場の使いっぱしりの駒かなんかだと
思ってるんだろ!」
拳を壁に叩きつける。
「勝てるんだよなあ……」
声が震える。
「負けねえんだよなあ……」
顔を覆う。
「くそっ……」
「もうどうしていいかわからねえ」
遠くへ消えた廊下を見ながら叫ぶ。
「お前軍師なんだろ!」
「何とかしろよ!」
その声はもう届かない。
ガイロは立ったまま泣いていた。
サイラスとユイナは馬を走らせていた。
王都の炎が遠くに見える。
ユイナが言う。
「完全に盤面ひっくり返されましたね」
二人とも馬から降りた。
サイラスは座って小枝で地面に地図を描いた。
「三国の同時侵攻は間違いない。」
「まだ情報としては少ないけどね」
「そしてまた」
「ゼイオンが三国同盟にこだわる理由は三つある」
ユイナがしゃがむ。
「三つ?」
「一つ目」
「王国にはもう味方がいないと見せるため」
「孤立した国は士気が落ちる」
二本目の線。
「二つ目」
「占領後の混乱を防ぐため」
「三国が勝手に動けば奪い合いになる」
ユイナが頷く。
「それはわかる」
サイラスは三本目の線を引いた。
「三つ目」
静かな声だった。
「まとめて全部潰すため」
ユイナが顔を上げる。
「……三国を?」
サイラスは頷く。
「ゼイオンは最初から」
「全部の国を使い潰すつもりだ」
夜風が草を揺らした。
サイラスは地図の中央を指した。
「だから戦場は一つになる」
ユイナが言う。
「どこです?」
サイラスは答えた。
「格好の場所がある」
少しだけ空を見た。
そして言った。
「青野ヶ原だ」
夜明け前の広間は、焼け焦げた王都の匂いで満ちていた。
石壁は煤に黒く染まり、床には乾いた血の跡が残っている。
将軍たちが集まっていた。
だがその空気は、もう軍議ではなかった。
敗残兵の寄り合いだった。
その中で、ガイロが腕を組んで立っている。
一人の将軍が吐き捨てた。
「王は逃げた」
「軍師も姿を消した」
別の将軍が続ける。
「もう終わりだ」
「我々はそれぞれの領地へ帰る」
「領民を守らねばならん」
ガイロが鼻で笑った。
「領民?」
将軍が睨む。
ガイロは一歩前へ出た。
「違うな」
「あんたらが守りたいのは」
ゆっくり言う。
「自分の身だろ」
将軍の顔が真っ赤になる。
「無礼な!」
剣が半分抜かれた。
だがガイロは気にしない。
視線を横へ向ける。
「エスカミオはどうする?」
近衛隊長は肩に包帯を巻いたまま立っていた。
「俺は王の後を追う」
短い答えだった。
ガイロは頷く。
「そうか」
「気をつけろ」
エスカミオは小さく笑った。
「お前もな」
そして兵を連れて去っていく。
残ったのは数人の将軍だけだった。
ガイロは両手を叩いた。
「さて」
大きな声で言う。
「邪魔者は帰った帰った」
将軍たちが睨む。
だが誰も動かない。
ガイロは広間を見回した。
焦げた旗。
崩れた壁。
そして拳で床を叩く。
「ここはただの王都じゃねえ」
「グラツィア王国の首都だ」
将軍たちを見回す。
「軍師は逃げたんじゃねえ」
静かな声だった。
「脱出したんだ」
そして言った。
「そして必ず戻ってくる」
誰も答えない。
だがガイロは構わず続ける。
「第一師団の残った三百名はここに残る」
「軍師の帰りを待つ」
沈黙。
やがて一人の将軍が言った。
「……本気か」
ガイロは笑った。
「ああ」
「俺はあの軍師に賭けることにした」
王ヨシュアは馬を降り、岩に腰を下ろした。
王都の炎が遠くに見える。
煙がゆっくりと夜空に昇っていた。 ヨシュアは小さく笑う。
「……情けないものだな」
近衛たちが黙って立っている。 ヨシュアは空を見上げた。
「初代聖雄王も戦いの中にその身を置いたという」
「だが――」 自嘲するように笑う。
「私ほどみじめな国王もおるまい」 炎を見つめる。
「戦が始まる前から城を追い出される王など、古今東西聞いたことがない」
誰も言葉を返せない。 やがてヨシュアは静かに言った。
「だが」 少し考える。 「最後に勝てばよいか」
近衛たちが顔を上げる。 ヨシュアは続けた。
「聖雄王もアルファスで敗れた時、七騎で洞窟に逃げ込んだそうじゃ」
「それでも王国は滅びなかった」 ゆっくり立ち上がる。
「では私も同じことだ」
近衛兵の方を見る。 一人一人に声をかける。
「名は?」 兵が慌てて答える。
「ルド、陛下!」 「よし、ルド」
次の兵を見る。 「お前は?」 「ガルスです!」
ヨシュアは頷く。 兵たちは少し驚いた顔をしている。
王が自分たちの名前を聞くことなど、普通はない。
ヨシュアは言った。 「これは儂に課せられた試練じゃ」
王都の炎を振り返る。 「乗り越えてみせる」 近衛たちを見る。
「そしてお前たちの働きに報いる王となろう」
その声は、先ほどまでの弱い声ではなかった。
南の山道を抜けると、小さな砦が現れる。
石を積んだだけの低い壁。
門の上には色あせた旗。
砦を守る兵は、若者ではなかった。
白髪。
曲がった背。
煤で黒くなった手。
南の鉱山の工夫たち――老人兵二百。
その中央で、ひときわ小柄な老人が腰を曲げて土をいじっていた。
禿げあがった頭を布で巻き、短い鍬を握っている。
南の砦隊長、リハク。
兵が駆け寄った。
「隊長! スカーレット王国の軍が来ます!」
リハクは顔も上げない。
「ふむ」
土を叩く。
「何人じゃ」
「三千ほど!」
「多いのう」
それでも鍬を止めない。
やがて砦の外に、鮮やかな旗が並んだ。
紅。
スカーレット王国の軍。
女王の使者が前へ出る。
「南の砦隊長リハク殿!」
リハクはようやく顔を上げた。
「ほい」
使者は文書を掲げる。
「スカーレット女王レイナの通達である」
声が響く。
「戦乱により南方の少数民族が危険にさらされている」
「我らはその保護のため、この道を通行する」
砦の老人兵たちは顔を見合わせる。
戦ではない。
略奪でもない。
使者は続けた。
「通行を許されたい」
しばらく沈黙があった。
リハクはゆっくりと立ち上がる。
腰を叩く。
それから、にやりと笑った。
「ごくろうさんですじゃ」
門兵に手を振る。
「開けてやれ」
重い門が軋みながら開く。
紅の軍が砦を通っていく。
兵たちは老人たちを奇妙そうに眺めるが、誰も武器を抜かない。
隊列の中央を、女王の旗が通り過ぎる。
やがて軍が去り、再び砦は静かになった。
遠くから鉱山の風の音だけが聞こえる。
伝令が駆け込んできた。
「王都より急報!」
リハクは文を受け取る。
読み終え、鼻を鳴らした。
「ほう」
王都混乱。
内乱。
軍師失踪。
帝国進軍。
老人は空を見上げた。
夕焼けだった。
ぽつりと呟く。
「あのねーちゃんたちとは戦いたくないのう」
少し黙る。
それから、鍬で地面を叩いた。
「サイラス」
土を見つめる。
「どうするんじゃ」
風が丘の草を揺らした。