あれから――もう、何日が経っただろう。
喧嘩のあと、彼女とは一度も会っていない。
連絡もない。俺からもしない。
怒ったのは、確かに俺だ。
感情をぶつけて、背中を向けたのは俺だ。
でも、心の中は、ずっと重たいまま。
「……はあ」
五条悟は、自宅のソファに寝転びながら深いため息をついた。
誰もいない空間が、静かで、でもうるさかった。
テレビの音も、外の車の音も、なんの慰めにもならない。
スマホの画面をぼんやり眺めては、名前も押せないまま閉じる。
あのときの彼女の顔が、ずっと脳裏に残ってる。
驚いて、慌てて、言い訳しようとして、それでも俺の怒りには追いつけなかった顔。
「……違うってわかってたのに」
本当は信じてた。
でも、あのときは「信じる」という選択をする余裕がなかった。
妬み、怒り、期待の裏切り。
ぐちゃぐちゃになった感情に、彼女の言葉がどんなに届いても、うまく受け止められなかった。
『今は、君に触られたくない』
あんな言葉、言うべきじゃなかった。
彼女の顔が浮かぶたびに、心臓がチクリと痛む。
恋しさと後悔が、ずっと頭の中をぐるぐる回って離れない。
⸻
数週間後。
予想外の再会は、共通の知人の送別会だった。
「あっ……」
会場に入った瞬間、彼女の姿が見えた。
悟の時間が止まる。
変わらない笑顔。けれど、どこか目の奥に疲れが見えた。
気づけば視線が合っていた。
彼女も、ほんの一瞬だけ目を見開いたあと、視線を逸らした。
その動きが、胸に突き刺さる。
「……飲むか」
その場にいた同僚に酒を注がれ、無理やり口をつける。
味なんてわからない。酔える気もしない。
彼女の隣に近づくこともできず、離れることもできず、ずっともどかしい距離を保ったまま時間だけが過ぎていく。
――そして、二次会が終わる頃。
帰り支度をしている彼女に、つい声が出た。
「……ねぇ」
彼女が、ぴくりと肩を揺らして振り向く。
「ちょっとだけ、話せない?」
周囲の視線も感じる中で、彼女は少し躊躇ってから、ゆっくり頷いた。
⸻
夜の公園。
人気のないベンチに座って、しばらく沈黙。
悟が先に口を開いた。
「……あのとき、悪かった」
彼女は、何も言わない。
「ちゃんと聞けばよかったのに、頭に血がのぼって……君の言葉、全部跳ね返してしまった」
まだ返事はない。
でも、去ろうともしない。
「怒ったくせに、結局、ずっと考えてたよ。君のことばっかり」
「……私だって、言い方もっとあったと思ってる。……でも、こわかったよ。悟があんなに冷たい顔するなんて思わなくて」
「……うん」
「『触らないで』って、あれ、冗談でもなんでもないんだもん。……泣いたよ。帰ってから、すごく泣いた」
その言葉に、悟の胸が締めつけられた。
「……最低だった、僕」
「うん、ちょっとね」
ふっと彼女が笑う。
その笑顔に、悟はもう限界だった。
「……もう一度、やり直せない?」
彼女の目が揺れる。
「また、あんなふうに怒るかもしれない。余裕なくなって、拗ねたり、嫉妬したり……ほんとに、面倒な男だけど」
「……でも?」
「それでも、君じゃなきゃ嫌なんだよ」
悟はゆっくりと手を伸ばした。
触れるか、触れないか、迷うように――彼女の指先に、自分の指を重ねた。
彼女も、そっと握り返してくる。
「……じゃあ、もう浮気疑わないでよ?」
「絶対しない」
「あと、拗ねたらちゃんと理由言って?」
「頑張る」
「甘やかしてくれる?」
「もちろん」
「……うん。許してあげる」
静かに、優しく笑う彼女を見て、悟の胸がじんわりと温かくなった。
ああ、やっと――会えた。
「……会いたかった」
彼女は、ただ一言だけ。
「知ってたよ」
そう言って、悟の胸に顔を埋めた。
夜風がそっと二人を包んでいた。