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荒木羽理が、屋久蓑大葉と部長室でもめた(?)日の夕方――。
羽理は倍相岳斗に誘われて、法忍仁子とともに会社から徒歩数分圏内の居酒屋へ来ていた。
「二人とも急に誘ってごめんね?」
乾杯の後、労うみたいに倍相課長にそんな言葉を投げ掛けられた羽理は、「いえっ。嬉しかったので全然っ」と言いながら、最初は自分だけが誘われたのに、何故か強引についてきた仁子にチラチラと視線を流す。
「この子が課長と二人っきりだと緊張するって言うからっ。何か私まで強引に付いてきちゃって……ホントすみません」
羽理の視線を躱すように言い訳をした仁子に、倍相課長が「いやいや、僕も気が利かなくてごめんね。何か今日の荒木さんと屋久蓑部長のやり取りが妙に気になっちゃってつい。……けど、そりゃそうだよねぇ。上司と二人っきりとか緊張しちゃうよねー」と鼻の頭を掻いて。
(ああんっ、倍相課長のそういう仕草っ! ホント可愛くてたまりません!)
と、ビールジョッキ(中)で顔を隠した羽理を悶えさせた。
「ホントは二人っきりにしてあげるのが良いっていうのは私も分かってたんですよぉ? 何せ羽理は、経理課へ配属された時から倍相課長のファンですからぁっ」
そうこうしているうちに、仁子がとんでもない暴露をしてくれて、羽理は危うく手にしたばかりの二杯目の中ジョッキを取り落としそうになった。
なみなみ入ったままだったため、ピシャッと跳ねたビールが胸元を濡らして、冷たさに思わず「ひゃっ」と悲鳴を上げたと同時、テーブル越しに倍相課長の手が伸びてきて、濡れた胸元にお手拭きが当てられてしまう。
(きゃー、課長! 胸に手が当たってますぅ~!)
パニックに拍車がかかった羽理だったけれど、当の倍相課長は全く意に介した様子がなくて。
(薄っぺらすぎて膨らみに気付かれてないんですかねっ?)
真っ赤な顔をしてオロオロする羽理の様を、仁子がニヤニヤしながら見つめてきて。
羽理はもう、何が何だか分からないままに「もう大丈夫ですっ」と言いながらジョッキの中身をゴクゴクと喉を鳴らして豪快に煽った。
「あっ、羽理っ。そんなに一気に飲んだら……」
仁子の声がしたときには後の祭り。
羽理のクラクラと回る視界の中で、カバンの中の携帯画面が明るく光って着信を知らせているのがふと見えた。
時刻はそろそろ二十二時半になろうかと言う頃。
「あれぇ? 裸男が何の用らろぉー?」
カバンからスマートフォンを取り出して発信者の名前を確認してから、「はぁーい、もしもしぃー」と出たら、すぐ隣でその画面をのぞき込んでいた仁子が怪訝そうな顔をした。
羽理、部長室の一件の後、『屋久蓑大葉』で登録していた電話帳を、大事を取って『裸男』に変えていたのだが、それが良かったのか悪かったのか。
仁子はその着信名を見たのだ。
「はぁーい♥ 楽しく飲んれますよぉ~? 悪いれしゅかぁ?」
「えー。誰と、ってぇ? ……ふふふっ。内緒れすぅ~」
とか。
まるで気心の知れた友人か、ラブラブな恋人との会話のように展開する羽理の声と、電話から時折漏れ聞こえてくるイケメンボイスに仁子は一人、(裸男って誰!?)と疑問を深めていた。
羽理の電話が終わるのを見計らった仁子は、「ちょっとぉ、羽理、裸男って誰なのよぅ?」と、酒の勢いを借りて問うてみたのだけれど。
羽理はニマニマして「いちゅも裸でいる男の人のことらよー? チラッとしか見たことないけろぉ~、めっちゃご立派しゃんなのぉー♥」と、こちらも酔った勢いのままとんでもない説明をする。
もしこの場に屋久蓑大葉がいたならばきっと、「誤解を招くような発言をするな、痴女!」とこれまた話をややこしくしていたことだろう。
「いつも裸って……。何それ、何それ! 羽理ぃー、アンタいつの間に彼氏が出来たのよぅ!?」
だが、酔っぱらい仁子は諸々肝心なところを突っ込まずにそこへ集約して。
目の前でそんな二人のやり取りを無言で見詰める倍相岳斗が、仁子の質問にピクッと反応したのだが、二人とも気付かなかった。
「彼氏なわけないじゃぁーん。ただ裸でいたらけらもん」
「何それー。どういうシチュエーション!」
「分かんなぁーい」
キャハハッと羽理が笑って、「そうか、そうかぁ。分かんないなら仕方ないかぁ~」と仁子がつられて笑う。
倍相岳斗がそんな仲の良い酔っ払い部下二人を見詰めながら「え、そこ、もっと詳しく突っ込んで!」とつぶやいたのだけれど、キャッキャと楽し気に笑い合う羽理と仁子の耳には届かなかった。
結局、当然と言うべきか。
飲め飲めぇ~と羽理と二人でお酒を飲み合いっこしていた仁子も酔いつぶれてしまって、倍相岳斗は方向が一緒だと言う仁子を送って行くことになって。
「荒木さん、本当に大丈夫なの? あれだったら一緒に乗って行ってキミも……」
二人が乗り込むタクシーに、ゆらゆら揺れながらひらひらと楽し気に手を振る羽理に、倍相課長が心配そうな視線を投げかけてきたのだけれど。
すぐに手にしたままのスマートフォンが着信を知らせてきて、羽理は画面にちらりと視線を走らせてから、「大丈夫れす。わらしにもお迎えが来ましたのれぇ」と携帯をふりふりと振って見せた。
倍相岳斗と法忍仁子を乗せたタクシーが走り去ったと同時、まるでどこかでその様子を見計らっていたみたいに羽理のすぐそばへ、ラメ掛かったブロンド色にルーフが黒というツートンカラーのSUV車が停まる。
羽理は車が嫌いじゃないので、すぐにそれが何と言う車か分かって。
「屋久蓑部長、ニチサン自動車のエキュストレイルとかぁ。前にお家まれお送りしら時にも思いましたけろぉ、めっちゃ素敵れしゅ~。わらしが憧れれる車の一つれすよぅ」
運転席から出てきた屋久蓑大葉が、助手席を開けてくれて「つべこべ言わずに乗れ」と押し込んでくるのを見上げながら、羽理はヘラリと笑う。
アフターファイブの屋久蓑部長は、髪型が少し崩れていて、会社より若干幼く見えて。
羽理はキッチリしているより少しラフな髪型のほうが好きだなと思った。
ただ、服装がワイシャツにスーツのスラックスのままだったから。
「まだお風呂入ってなかったんれしゅかぁ? この前見た時はもっとボシャボシャな髪で可愛かったれしゅよぉ?」
思ったままを口の端に乗せてワシャワシャと屋久蓑部長の前髪を乱したら「お前なぁ……酔い過ぎ」と呆れた顔をされてしまう。
でもどこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「でもぉ~、ましゃかお迎えに来て下しゃるとか……。ぶちょぉ~、ひょっとしれ、わらしのこと結構好きれしゅかぁ~?」
「……ああ、そうかもな」
吐き捨てるようにさらりと告げられた言葉にも気付けないまま。
羽理は「ふふっ」と笑うと、「この前の逆れしゅねー。今日は屋久蓑ぶちょぉがわらしを送って下しゃるとかぁ。あー、しゃては借りを作りたくにゃいタイプれしゅね?」
けらけらと笑う羽理に、「少し黙れ。酔っ払い」と告げてから、屋久蓑大葉は車を発進させた。
***
何故こんな風に荒木羽理という女子社員のことが気になるのか、大葉自身にもサッパリ分からない。
ただ、自宅でミニチュアダックスのブラックタン、ロングコートの愛犬キュウリと戯れていて、いつも通り彼女のことを「ウリちゃん」と愛称で呼んだら、ふと就業後にフロアから聞こえてきた「荒木さん、今日はこのあと僕と飲みに行きませんか?」という倍相岳斗の声が蘇ってきて。
何だか分からないけれど無性にイラッとしたのだ。
昼間、部長室で荒木が小説の話をしながら、倍相岳斗に憧れていて、彼をモデルにした話を一つ書いていると言ったのを聞いて以来、何故かモヤモヤとして。
「俺が主役の話はないのか」
思わず聞いたら「そっ、そんなのっ、あ、あるわけないじゃないですかっ。バカなんですかっ!」とやけに激しく否定されたのも、何だかすごく腹立たしかったのだ。
まぁ彼女とまともに話したのは、つい先日が初めてなのだから仕方がないとは思うものの、何だか納得がいかなかったのだから仕方がないではないか。
部長室での会合の際、荒木羽理にはちゃんと、「風呂に入る前には一報入れろ。俺も入る時は連絡するから」と言い聞かせておいたのに、二十二時半を回ろうかという今になってもメールのひとつも寄越さないのは、まさかまだ倍相課長と飲んでいる真っ最中ということだろうか。
「お前が帰って来ねぇと俺が安心して風呂、入れねぇだろ」
――俺はただ、お前と風呂に入る時間がかち合うのが嫌なだけだ。
またお互いに裸で向き合ってしまったりしたら、思わず抱きしめたくなってしまうかも知れないではないか。
彼女の前だと、日頃は割と淡白なはずの愚息がやたらと反応してしまうのも非常によろしくない。
一度ならず二度・三度。部下の裸で自己処理をしてしまっただなんてバレたらマズすぎる。
(これ以上刺激を受けるわけにはいかねぇんだよ)
屋久蓑大葉が、『猫娘』と言う名で登録した荒木羽理に電話を掛けたのは、つまりはそういう理由なのだ。
それ以上でも以下でもない。