🤍「ねぇ、どうかしたの」
村上は、亮平の左肩を掴み、優しく尋ねた。掴み方も柔らかく、詰め寄るというよりは、まるで耳元で甘い愛の言葉を囁くようだった。村上の瞳は澄んでいて、その漆黒の目には今、自分しか映っていない。亮平はその美しい瞳に吸い込まれそうになった。
理性ではこんな人信じられないと思うのに、その瞳の中には、自分には未だ明かしていない事情が何かある気がして、亮平は彼を疑ってしまったことを恥じた。溢れる涙を村上の細い指が拭う。嬉しくて、でもやっぱり悔しくて、亮平は自ら村上に抱き着いた。
💚「先生は、俺の恋人じゃないの…?」
掠れた声はまだ少年らしいソプラノ。
村上は訳が分からなかったが、黙ったまま、亮平の細くて頼りない、小さな身体を抱き止めている。腕の中で懸命に泣くまいとする亮平の息遣いが全身に伝わってきて、そのいじらしさに思わず笑みが零れた。
🤍「俺に甘えてるの?可愛い」
💚「そんなんじゃない…もん」
亮平のくすぐったい吐息が、村上の耳を揺らす。
何やら純粋な少年の心を知らぬ間に自分は傷つけてしまったらしい。
今まで家庭教師をしにここへ来る以外は、村上が亮平に会うことはなかった。
もしそれを寂しいと感じてくれているなら、村上にとってそれは望外の悦びと言える。 村上には、ずっと欲しくて手を伸ばしていた対象が、意外にすんなりと自分の手中に収まる感覚があった。
夏の間、少しやりすぎたかな、と反省していたところへ、亮平からの思わぬ赦しどころか、受け入れようとする性急な心の動きを感じて、感動すらしている。
まったく、若さというのは恐ろしい…。
村上は、自分もまだ成人して間もない若造だということも忘れて、亮平の危うさが心配になった。しかし、これは彼にとっては願ってもないご褒美でしかない。このまま行けば、まだ熟しきってない果実を青いままで刈り取ることがほぼ確実にできるのだから。この調子なら、恐らく、誰にも邪魔されずに。
💙「村上、お兄ちゃんから離れて!」
その時だった。
突如、勉強部屋のドアがノックもなく開くと、絵本を抱えた翔太が入って来た。
翔太は、入ってくるなり、持って来た絵本をかなぐり捨て、二人を引き離すように、兄のシャツを引っ張っている。
🤍「あれあれ?翔太くん、どうしちゃった?」
亮平が村上から身体を離すと、翔太は村上と亮平の間に割り込んで、兄を庇うように立ちはだかっている。翔太の大きな瞳が村上を見据え、ぷっくりした口元は引き締まってへの字になっている。 しかし、村上は翔太の目線の高さまで屈み、なおも翔太に余裕の表情を浮かべていた。
🤍「お兄ちゃん勉強中だよ、翔太くん、邪魔しないでね」
💙「嘘だもん」
翔太は、頭上に降りてきた村上の大きな手を振り払い、なおも村上に対峙しようとした。亮平は驚いて二人を見比べるばかりだ。
🤍「今日はご機嫌が悪いのかな?」
ここのところ、自分によく懐いていたはずの翔太の反旗に村上は初め驚き、余裕を見せていたが、今では不機嫌そうにその美しい顔が歪み始めたのを亮平は見逃さなかった。
翔太の腕を取り、無理やりに部屋の外へと引っ張り出す。翔太は体重をかけて全力で抵抗したが、力で兄に敵う訳もなく、あっさりと部屋の外へと追い出されてしまった。そして、亮平は、 階下に向けて怒鳴るように叫んだ。
💚「お母さん、翔太が困るよ!!」
その日、たまたま早く帰っていた母親は、普段穏やかな亮平の剣幕に驚きつつも、すぐに階段から現れ、あらあらごめんね、と言って小さな翔太を抱きかかえ、階段を下りていく。泣き虫のはずの翔太は、亮平の予想に反して、母親の腕に抱かれながら、真剣な顔で亮平をじっと見詰めていた…。
💚「一体、なんだっていうんだ」
しかし、今の亮平にとっては、弟よりも村上だ。 はやる胸を押しとどめつつ、部屋に戻ると、村上はすっかり上機嫌な笑顔で亮平を迎え入れた。
🤍「やっぱり家の中って落ち着かないよね」
💚「……すいません」
申し訳なさそうに頭を下げる亮平に、村上が言う。
🤍「今度、俺ん家来る?そこで勉強見てあげる」
💚「えっ!!いいんですか?」
🤍「うん。そういえば俺たち、連絡先も交換してなかったね。亮平くんはスマホとか持ってる?」
💚「あっ、あります!!!」
亮平は慌てて自分の鞄の中をまさぐり、目的のスマホを取り出した。
そして、息を呑んだ。
不恰好な子供用のキッズスマホ…。連絡先には親と数人の同級生しか入っていない。幸い連絡先の制限はされていないので、問題なくやりとりはできるが、明らかに子供っぽいそのデザインに亮平は落胆した。
受験合格したら新しいの、買ってもらうはずだったんだ…。
🤍「それ?俺の電話番号入れてもいい?」
亮平がおずおずと差し出した子供用スマホを、村上は何の躊躇いもなく受け取ると、慣れた手つきで自分の番号を登録した。そして、これでいつでも繋がれるね、とウインクをしてみせる。
亮平は先ほどとは一変、この瞬間に、舞い上がるような心持ちになって、駅で見た出来事も、弟のことも、何もかもを愚かにも忘れてしまった。
続
コメント
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あべちゃんが傷つかないといいなぁこの先と願ってしまう私🥺💚
え~!あべちゃん?! 続き楽しみです(〃▽〃)