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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
「リアスはね……ハーちゃん。
アナタを元に作られた、”失敗作のクローン”よ。」
マシロのその言葉は、波紋のように静かにじんわり耳に届き、店内に寒気が舞った。
イロハはゆっくり、その言葉を飲み込もうと拳を強く握り、レンは呆然と、マシロの顔を眺めていた。
頭が、一瞬で真っ白になった。
……なんだって?あの、リアスが。
イロハのクローンだって?
いや、嘘だ。
リアスとイロハ、似てないにも程がある。
リアスは俺の家族を平気で殺すし、死後の世界の守護者ーーつまり支配者で、生者と死者の境界線を曖昧にしている。
幼い見た目のくせに、やることは全く可愛くない。
イロハは、人を殺していないといえば嘘になるけど、人のために戦い傷つき、時々馬鹿な、そんなやつだ。
そんな別人とも言える二人が、同一人物だってーー?
水の流れる音が、蕭々と空白を埋めるために響き渡り、外の雲が太陽を隠し、やや店内が曇る。
太陽がかくれんぼを始めたせいか、マシロもイロハもレンも、皆同じように暗い顔をした。
喉にねっとりとした感覚、思い返す、リアスの顔。
赤い目に、丁寧に編まれた、漆黒の髪。
命に興味のなさそうな、冷たく、それでいて熱い視線。
その印象が、「そんなわけない」とレンの頭で反芻する。
「そんなの、嘘に決まって……!」
「嘘つくと思う?」
レンの否定を、マシロは遮った。
腕を組んだあとに、淡々と続けた。
「現実よ、これは。
ワタシも、アナタも、所詮は同じ魂。」
真っ直ぐに二人を射抜くその目は、稲妻のように光って見えた。
突然、絶望と困惑を落とし、人を恐れさせるのだから。
イロハは、息が上がり始めていた。
机の下に隠した手を、皮が剥がれてしまうほどに傷をつけた。
マシロの顔が、見られない。
かろうじて出した声は、あまりにも情けなかった。
「嫌……わたし、あんなのと同じなの?」
しかも、元になっているのが自分なわけで。
つまり、あれは、わたし。
もう一人のわたし、わたしは、世界を曖昧にして徐々に壊そうとしてる?
わたしの、記憶が……そんな魂を生み出したの?
「嫌って言わないでよ。」
マシロは、初めてイロハから目を逸らさずに言った。
「でも、それじゃあ、わたしのせいで世界がこんなふうになってるってことじゃない!
まず偽物の人間なんて、どうしてそんなの作りだしたのよ!」
その瞬間、マシロが猫のように瞳孔を縦に細めた。
息が浅くなっていく。ドクドクと、作り物の血が逆流していくのがわかった。
ーーは?
口内を歯で思い切り噛み、痛みで理性を保とうと努力する。
だが、痛みなどない。
マシロの目に映るイロハは、自分を見ていなかった。
それどころか、その言葉は、”ワタシ”という存在そのものを切り捨てる刃みたいに聞こえた。
それが、マシロの心の奥底にあるものに、油を注ぎ、火をつけた。
気づけば、マシロは机を勢いよく叩いたのだった。
ーーバァンッ!
卓上のパフェの器が、衝撃でささやかな音楽を奏で、店主は音は聞こえないものの、床から伝わる力強さに、洗い物をする手を止めた。
ビクリと身体を飛び跳ねさせたレンと、マシロの顔をまっすぐと見つめるイロハ。
マシロは、痛みは感じない。
血が上る感覚に沿って、感情のままにものに当たっただけだ。
待って、落ち着こうよ。
心の内でそう言い聞かせるのに、口は勝手に叫んでいた。
「そんな事言わないでよ!!」
ーーやめて、ハーちゃんは悪くないんだから。
でも、津波のように、マシロの口は止まらなかった。
喫茶店の静けさを、一瞬で引き裂いた。
「ワタシが存在しちゃダメだったみたいに言わないで!!
ワタシだってね、生きられんなら普通のニンゲンで居たかったわ!
痛覚もないし、血も偽物だし、根本的なとこが違うから、生きてるのに何もかも違う!
いい?もう二度と言うんじゃないわよ!
何言っても笑ってると思ったら大間違いよ!!」
そこまで言ってマシロは、イロハとレンを交互に確認した。
レンは否定も同情も、何もしない。イロハの背中をさすり、眉はぎゅっと締まり、真剣な表情。
イロハは、顔を手で覆い、小さく「ごめんなさい」と連呼をしている。
ーーあ、言い……過ぎた。
これじゃあ、ワタシのせいじゃないか。
「……えっと。」
子供相手に、なに言っているんだろう。
イロハは人間で言う高校生、マシロは成人を超えた大人。
大人気なさすぎるわ、ワタシ。
誰も悪くない、イロハだって混乱の末にそう言ってしまっただけだ。
早急に笑顔を貼り付けると、マシロは声を明るくし、「なぁんて!」
と、取ってつけたように言って見せた。
「ゴメンネ……怖かったねぇ。」
「いいや、わたしが悪いの。わたしが……あんなこと言ったから。」
顔を上げずに、イロハはひたすら謝り続けた。
肩を微かに揺らし、手は、濡れ始めていた。
レンは、どちらの味方もせずに、ただただ、この一連の様子を見ていた。
マシロはイロハのクローンで、それでも「人」らしく生きようとしている。
イロハは自分のせいで、世界がこんなふうになっていると自己嫌悪に陥り始め、
レンは必死に言葉を求める。
誰も悪くない、それは分かっている。
だからこそレンは、こう言い放った。
「イロハ、マーちゃん。
……仕方ないだろ。二人とも、悪くない。
混乱するのも、傷つくのも分かるけどさ……
互いの苦しみ、ちゃんと知ってから言おうぜ。」
その声は、二人の心に水を注いだ。
マシロは、一瞬、きょとんとした、イロハはレンの言葉を聞いて、手を濡らすのをやめた。
「ええ、そうよね」と顔を上げるイロハに、レンは謎に混乱し始めた。
自分でも、びっくりしていた。
「そんなこと、今俺が言ったのか?」と言わんばかりに口元を抑え、助けを求めるようにマシロに視線を送る。
マシロは、へにゃ、とぎこちなく笑うと、「いいこと言うじゃん、レンタロー」と素直に褒め称えた。
改めて姿勢を正し、マシロはわざと手首を振って痛がる素振りをする。
「いやぁ、自分で机叩いたのに、めっちゃ痛い。」
すかさず、レンはジトリと目を細め、「痛くないんだろ」と呆れ台詞を吐いた。
「マーちゃん、続き聞いてもいいか?
リアスがクローンなんだろ。その後……もし、嫌ならもう解散しよう。」
「そんな気ぃ使わないでって。話すよ、ワタシが教えたげるって言ったんだし。」
「本当にごめんなさい」と、イロハは最後にもう一度謝ると、不器用な綻びをマシロに向けた。
ーーいい子たちだな、最近の子。
マシロの口角も、自然に上がっているのだった。
「じゃあ、続き行くぞー!」
天井に向かって手を大きく上げ、高らかに宣言した。
そして、冗談交じりでペラペラと、続きを語り始めたのだった。
「へぇ、それで?言い訳の続きによっては、それなりの罰を与えるけど。」
統合因果観測機構、 通称――I.C.O.。
そこの長専用の部屋で、ドリミアとアネモネが事情を話していた。
長であるリアスの部屋は、時が止まったように古い雰囲気満載だった。
床一面に赤い絨毯が敷かれていて、作業用のアンティークな机に彼女は足を組んで座っていた。
リアスの両端の壁は一面窓ガラスになっていて、空がよく見える構造になっている。
彼女は、部下二人を見下して、淡々と事情――彼女に言わせれば“言い訳”を聞いていた。
その瞳に、理解しようとする色は一切なかった。
ドリミアは頭を下げ、必死に口の中で言葉を転がし、アネモネは謝罪の素振りも見せずに、ただリアスを眺めるだけ。
ドリミアが、囁き声でアネモネに言った。
「アネモネも、頭を下げろ。」
「……。」
それをアネモネはスルーして、事情を話すのは全部ドリミアに丸投げにしている。
ーーこの野郎!
全部こっちに任せる気か!?
頭を下げつつ、ドリミアはアネモネを睨みつける。
仕方ない、何言っても赦すことはないだろうが、事情を説明しなければ。
ドリミアはゆっくり、リアスの反応を確認しながら頭を上げて、視線を重ねた。
口角をできるだけ平らにして、説明を続ける。
「それでですね、桜月イロハを抹消する前に、篠塚レンを捕縛しようと考えたのです。イロハはレンの結界によってがっちり守られていて、抹消できるような状況ではありませんでした。」
「うん、続けて。」
「ええと、それで篠塚レンを捕縛して連れていこうとした時に、邪魔が入ってやむを得ず撤退をした、という訳です。」
リアスは相槌を打ちながらも、その内容を“結果”としてしか聞いていなかった。
「説明、ご苦労。さて、言いたいことがあるわ。」
机から飛び降りると、ドリミアの腕を強引に引っ張り、口を耳に近付けた。
そして、小さく囁いた。
「何も分かっていないのね。」
「……え。」
リアスはドリミアの腕を離し、突き放すと、絨毯の上を歩き始めた。
靴底が、絨毯を踏む。
トカ……トカ……っ。
大地を踏み潰すようなその音が、小さいのに大きく響く。
長の動きに応じて、部下二人は視線を動かす。
絶対に、目を逸らさない。
ふと、止まると、リアスはゆっくり振り向いた。
にたぁ……と横に口を広げて、言った。
「計画名を忘れた?
最優先すべきはあの女の抹消。レンの捕縛はその次でいいのよ。
あんな女、いらないわ。」
「申し訳ございません。」
「すぐに謝って済ませようとするな。あんたの魂胆、見え見えよ。 」
低い、声。
大きく見開いたその目は、血を閉じ込めた飴玉に見えた。
唇は血が滲むほどに噛み締められ、一言でも言葉を滑らせれば、首が跳ねそうなほどの恐怖を植え付けた。
「あの。」
そんな中で、アネモネがようやく口を開いた。
この恐怖を、なんとも思わないまま、空気も読めずに声をかけて、続ける。
「どうして、そこまでイロハさんに執着を?
あなたは、両方の世界を支配したいのでは?ならイロハさんを殺さなくとも、良いはず。
それとも、並々ならぬ恨みでも?」
その問いに、恐怖や遠慮はなかった。
リアスは、楽しそうに目を見開き、小さく首を傾げ、その後笑った。
「ふふ……あははっ!
恨み?そんな安っぽい言葉で済ませないで。
あいつは存在しちゃダメなのよ。」
「どうして?」
「あなたは、まだ知らないんだっけ?
同じ人間が三人もいたら変でしょう?」
ーーどういう意味だろう。
リアスの言うことが理解できないまま、「そうですね」と適当に返事をした。
ドリミアは、呆れたように横目でアネモネを見る。
そして、リアスの方に視線を向けて、事情の中で一番大事なことを説明し始めた。
「リアス様、お伝えしたいことがあります。
それも、聞いて驚くこと……。」
「……聞くわ。」
腕を組んで、聞く耳を立てる。
ドリミアは、眉間に皺を寄せて、語る。
「もう一人……イロハではない、もう一人のあなたが、まだ、生きていました。
しかも、先程会い、イロハとレンを庇ったのです。」
「ーーそいつの名前は、マシロ……とか言うやつかしら?」
「はい。リアス様……これは……。」
「重要な情報をどうも。……にしても、あいつまだ生きてたの?」
元々横に伸びていた口が、横と縦に伸びた。
目は閉じられ、手で前髪を整える。
「ーーそいつも、抹消しないとね。」
ドリミアはようやく安堵したように、誰にも聞こえない程度のため息をついた。
アネモネは、やはり何も分からないまま、頭に「?」を浮かべるだけ。
ーーイロハ、マシロ。
どうしてあいつらは、必要とされるようなやつらで、私は”失敗作のクローン”だなんて呼ばれないといけないのよ。
私も必死にやったと言うのに、どうしてみんなそんなこと言ってくるの?
イロハみたいなやつと同じ魂なんて……信じたくない。
私がクローンだなんて、絶対。
だから、抹消する。
同じ人間が三人もいるなんて、おかしいもの。
私が作りものって、おかしい。
どうしてイロハが本物?
そんなの認めない。
イロハとマシロを抹消し、レンの力を手に入れて、両方の世界の支配者となる。
そうすれば、私は本物になったと、世界に見せつけられる。
それは、正しい行為だ。
間違っているのは、存在の方なのだから。
嗚呼ーーやっと。
「面白くなってきたじゃない?」
その頃――
喫茶店では、溶けかけのパフェを前に、マシロが笑っていた。
「えっと……リアスはね、ワタシやハーちゃんを理不尽に恨んでる。
どうしてかって言うと、”自分の存在を否定されてしまうから”、みたいよ。」
口の周りにクリームをつけながら、マシロはレンとイロハをスプーンで指した。
「リアスは、初めて生み出されたクローンなの。だから、ワタシは二体目。」
「え?二体もクローンなんて必要かしら?」
いちごを噛みながら、イロハが素直な質問を投げた。
マシロは、窓の外を一瞬見ると、すぐにまた二人の方を見た。
「さっき言ったでしょー?”失敗作”って。
リアスはクローンとしては、使い物にならなかった。個としての意思があるし、観測者としての能力は使いこなせないし。
だから代わりとして、ワタシが生み出された。
その事に……リアスは、酷く腹を立てた。」
イロハの、いちごを噛む動きがゆっくりになっていく。
ーーもし、わたしがリアスのような立場になったら、確かに腹を立ててしまう。
そういう部分では、一概に「悪」とも言えない?
マシロはスプーンでクリームといちごをすくって、口に放り込んだ。
そして、 口に食べ物が入ったまま、もごもごと喋りだす。
「それで、ここからが本番。
失敗作のリアスがただのお荷物だと判断した当時の長が、リアスを、抹消しようとしたの。 」
マシロは、パフェの器にスプーンを置いて、クリームを口の中で浸透させた。
できるだけ意識を味覚に向けるために。
レンが思わず、身を乗り出して叫んだ。
「そんな!勝手に生み出したのは組織の奴らだろ!?そいつらの都合で、抹消しようとするなんて!!」
「そう!」
「ナイス質問!」と指さしてふざけた事を言ったマシロは、探偵のようだった。
そして、出来事を、淡々と語った。
「だから、リアスは。
当時の長を、殺して、代わりに自分が長になった。」
空間に、沈黙が降り注いだ。
雲隠れをしていた太陽は、ここに来てやっと姿を現し始めた。
パフェの器の縁が光に反応して、プリズムを生み出す。
アイスコーヒーの氷はほとんど熔け、結露ができ、味が薄まりつつあった。
洗い物を終えたのであろう店主は、カウンターで突っ立っている。
その沈黙を、レンが破った。
「……なぁ、だから。
世界に存在する他の自分、イロハを殺そうとしてるのか?」
「さぁ?ワタシ、キミたちに会ったの今日が初めてよ?そこまでは知らんわ。
でも、そうじゃない?ワタシも殺そうとしてきたんだから。」
「!」
「ん?びっくり?でもね、これはワタシが組織から抜け出した理由にも繋がるのよ。」
イロハはスプーンを持つ手を止めて、マシロの次なる言葉を真剣に待ち構えていた。
レンの中で、違和感が生まれ始めていた。
ーーリアスが、自分の存在を証明しようとしてイロハを狙っているのは、なんだか腑に落ちない。
過去にマーちゃんを殺そうとしたみたいだけれど
それで何が変わるんだ?
クローンである事実は、消えないはずなのに。
「二人とも、ここからは、ワタシのヒトリ語りとして聞いて。」
マシロは机に肘をつき、ため息をぽつり。
口にクリームが付着していることには気付かぬまま、自分の過去話を始めた。
リアスが長を殺して、彼女が長になった時期のこと。
それは、いつの季節だったか、覚えていない。
生まれて、そう時間の経たない頃の出来事だった……気がする。
ワタシは生みの親が死んだことに涙も見せずに、構成員たちに言われるがまま、戦闘の練習をしたり、ハーちゃんの魂との適合率を度々測ったり……そんな感じだった。
別に、もうヒトリのワタシが長になったことに興味はなかった。
ーーワタシは、ね。
けれど、脱走の日は、突然やってくる。
深夜ーー寝床で横になっていた。
牢屋みたいな場所で、脱走防止用に足に鎖をつけられた状態。
窓はあるけれど、当時のワタシの身長じゃあ、何も見えないし、届かない。
「……ワタシ、誰なんだろう。」
まだ完全には魂との融合をしていなかった頃だったから、頭の中で走馬灯のように駆け巡る”ハーちゃんの記憶”があった。
母親に子守唄を歌って貰いながら眠る姿。
ヒトリ森の奥でいる姿。
炎の中、暴れ回り、泣きじゃくる姿。
そして、なにより印象に残っていたのが、
フユリと呼ぶ友や、母親と静かな、しかし確かに
幸せそうな時間を過ごしていたのが一番、不思議だった。
母親ってなんだろう?
友達ってなんだろう?
そもそも、ワタシに母親はいない?
じゃあ、どこから生まれたの?
毎晩、そんな答えのない問いを、高い高い天井にぶつけていた。
それに……フユリって、この組織の試作体にも、いたような?
そんな疑問を抱き始めた時だった。
「ーーマシロ、マシロ!」
「ん……?」
聞き覚えのある、声が聞こえた。
檻の外を見ると、ベージュの長い髪の毛を、低めに縛った男がいた。
目は、夜みたいに青くて綺麗。
そんな彼は、焦っている様子だった。
息が上がっているし、汗まみれだし、何があったのだろう。
柵をつかむと、彼はこんなことを言い出した。
「今すぐ逃げて……」
「え?」
「じゃないと、君は死んでしまう!」
あとから彼に聞いた話、その時リアスは、ワタシを殺そうとしていたらしい。
なぜなら、世界に同じニンゲンは必要ないから。
それを、彼は必死で止めようとしていた。
だが当時のワタシはアホなもんで、”死ぬ”という言葉の意味が、分からなかった。
だから、最初は逃げる気なんてなかった。
それさえも見越していた、彼は。
「いいかい?死ぬっていうのはね、肉体と魂が離れ離れになることさ。そんなことになったら、君は君じゃなくなる!」
「でも……アナタ。」
ーーこの組織の、裏切り者で、刑罰も受けているんでしょう?
「ワタシの元のヒト……イロハを助けたのだってアナタなんでしょ?ワタシを逃がしたら、もっと重い刑罰を課されるかもしれないよ? 」
「いいよ。」
キッパリ、彼はそう言うと、ワタシを真っ直ぐ見つめた。
「僕は、生きているだけで罪だ。
ならせめての贖罪を……っていう魂胆だ。」
彼は、慣れた手つきで檻の鍵を開けた。
鉄と鉄が触れ合う音、支配が解除される音。
檻の中に彼は入ると、今度はワタシの足の鎖を外し始めた。
その顔は、真剣だった。
ワタシみたいなやつを、助けようとするなんて。
どれだけアホなんだろう。
これを”お人好し”って言うのかな。
「よし……外れた……」
そう言った彼に、ワタシはつい、尋ねてしまった。
自由になった足で、立ち上がる。 その時の床は、冷たかった。
裸足だったからか、じんわりと伝わる冷たさが、初めての感覚でこれまた不思議だった。
「ねぇ、どこに逃げればいい?」
「遠くだ。白世羅マシロという名のクローンじゃなく、一人の人間として生きなさい。君のことは、僕が何とかするから 」
ワタシは曖昧な回答に首を傾げたけれど、そんな余裕もないようだった。
その後、彼にされるがまま着替えたりして、逃げる準備を着々と進めた。
終始、彼の手は震えていた覚えがある。
最後に、真っ暗な抜け道を使って、組織を後にした。
別れ際、彼はこう言っていた。
「これからも、僕と君は会うことがあるだろうね。その時は、もう少しちゃんと話をしようか。
」
「……?、うん」
うんとだけ返事して、ワタシは真夜中に抜け出したのだった。
そして彼は、当時よりも更に、生きにくくなってしまった。
「まぁ、こんなもんだね。」
そこで、マシロの語りは終わりを迎えた。
誰も、すぐには言葉を出さない。
レンとイロハは、少しずつ違和感を抱き始めていた。
ーーその男って。
「……。」
「……っ。」
二人は同時に視線を重ねては、頷いた。
言葉を交わさずとも、何となく言いたいことが分かった。
「そんな感じで逃げたわけだけど、正直リアスもリアスよね。未だに試作体実験は続けてるんだし。」
マシロは、ソファの背もたれに体重を預け、口をとんがらせた。
「にしても、アク……いや。
アイツって自分のこと考えてないのかな。
ワタシなんて、助けなくてもバチは当たらんだろうに。」
ーーあっぶない。名を言うとこだった。
誤魔化すようにマシロは、苦笑した。
手を振り、「そういえば〜」と、話題をすり替える。
でも、その失言をレンとイロハは、聞き逃さなかった。
イロハが、マシロを見つめる。
隠された名を、言い当てようと、自分の中の記憶を掛け巡らせる。
ーー書架にあるフユリの記録にいたあの人と、マーちゃんを助けた人は、同一人物かもしれない。
それと同時に、わたしの記憶も奪ったのも……
イロハは口を閉じた。
確証のないことを言って、大丈夫なのだろうか。
でも先程話していた過去に出てくる男と、フユリと関わった男は、特徴が似すぎている。
わざわざ名を伏せようとするって、知られてはいけないのだろう。
ぱぁん!と手と手を合わせた後に、この話の雑なまとめを担当した。
その音で、我に返る。
「まぁ、この一連の話の結論!
リアスはワタシとハーちゃんの命を狙う三人のハーちゃんのうちのヒトリ!
レンタローを使った世界征服はその次!以上!」
ーー嗚呼、やっと、語り終わった。
これ以上は、話したくないものね。
その後は、ハチャメチャだった。
ただの雑談を、あーでもない、こーでもないと繰り返す。
レンがツッコミ役に回り、イロハは純粋で間抜けな質問を飛ばし、マシロがふざける。
これでもかと量があったパフェは、いつの間にか綺麗さっぱり姿を消し、外の太陽は、この光景を飽きたというように、地球の裏側へと沈み始めた。
気づけば、外は、戌(いぬ)の刻。
街の音だけが、静かに流れていた。
「それでさぁ〜……って、外、夕日!」
マシロの声と同時に、窓の外を見た。
「あれ、もうこんな時間なの?」
と、イロハ。
「そろそろ、帰ろうぜ……喉が、死ぬ。」
レンは、げっそりとした表情で、喉仏をさする。
「いやぁ〜久々にこんなに話したわ。もう疲れた。」
「こっちがな。」
マシロはソファにもたれかかってだるそうな声を絞り出した。
ーーまさか、こんな子たちと出会うなんて。
無機質に回るシーリングファンを見て、花びらを連想させたり、ドレスを連想させたりしていると、ふいに
「そうだ」と思い立ったように飛び起きた。
そして、既に帰る用意を始めているレンの肩を、ちょいとつついた。
彼は厄介者を見る目で振り返ると、「何……?」と言った。
するとマシロは、携帯端末をレンに差し出した。
猫のスマホケースに、クマのキーホルダーがついた使いにくそうな端末をみせると、レンは「え?」と困惑する。
「……マジで、何……?」
察しが悪い彼に、妙な勝った気分を味わう。
レンは一瞬、画面とマシロの顔を見比べた。
「……は?」
「連絡先、交換しよ?」
なんで?と、首を傾げると、マシロはレンを上目遣いする。
おねだりをする五歳の子供のように。でも、口だけはニヒルで。
レンは、ため息を大きくついた。
「も〜……なんで? 」
「合理的じゃない?アナタたちはこれからも命を狙われた子犬さん。
バトル漫画でよくあるじゃん?元敵の仲間のキャラが味方になるって。
そーゆー感じ!」
「イロハとすればいいのに……ってあいつスマも持ってないよな。」
「嫌?」
「嫌じゃないよ。」
「じゃあしよ。」
「……。」
レンは渋々、交渉を許可した。
許可と言っても、あまりに簡単すぎて、すぐに成立するほどだが。
「レンタローのスマホの画面、すごい割れてるじゃん。」
「使えるから別に大丈夫。」
「ものを大事にするなんて、いい子だねぇ!」
わしゃわしゃレンの頭を撫で、和気藹々と笑い合う。
思春期真っ只中のレンにとっては、成人女性にそんな扱いをされては、困るを通り越して、勘違いが生まれてしまう。
最後はイロハが半ば強引にマシロからレンをひっぺがして、会計を済まし、二人は店を後にした。
コーヒーの匂いが、二人の鼻から離れていく。
ドアベルの心地よい音を聴きながら、イロハはマシロに「また会いたい」と言って手を振った。
レンも、「また連絡します」とだけ言って、イロハと共に店を後にしたのだった。
残されたのは、喧騒の跡が残る机と、そばかすのある可愛らしい店主と、マシロだけ。
静寂が、訪れた。
踵を返すと、マシロは店主に、声を交えながら手話で話しかけた。
「片付け、手伝わせて。」
でも店主は、「ふふふ」と笑って、右手を左胸に当て、移動させて、「大丈夫」の手話をした。
『今日も疲れただろうから、ゆっくりしなよ。
ココアでも飲む?』
マシロは、その心優しい問いに頷いた。
季節外れだけれど、いつでもココアは大好きだ。
お言葉に甘え、片付けは店主に任せると決めたマシロは、今度はカウンター席に腰掛けた。
店主は黙々と片付けを始め、器をシンクに運ぶ。
それをする時の店主の表情は、なぜかワクワクしているようで。
ーー後片付けって、めんどくさいはずなのになぁ。
眺めながら、マシロはいつもそう思っているのだった。
ここの喫茶店に来て三年ほど経つが、店主の思考には理解できないところがある。
店主は、後片付けが好き。
なぜか。
「お客様が器を綺麗に空っぽにしているのを見ると、頑張ってよかったと思えるから」と言っていた。
マシロには、片付けがめんどくさいとしか思えないところを、店主はそう思う。
その思想の差に、マシロはいつも感心する。
運び終えると、
店主はカップに粉末を入れ、お湯を注ぎ、よくかき混ぜると、カウンターにそっと置いた。
『熱いからね』
「うん」
『ごめんね、こんなにテキトーで。』
マシロが手に持ったココアの器は、確かに熱かった。
最初はほんのりと掌を温め、その後急激に攻撃をしてくる。
さすがに熱いので、慌てて器を置いた。
「あち……」
意味もないけれど、掌をブンブン降って、ふぅっと息をふきかけた。
本当に気休め程度にしかならないが。
『熱い?』
眉を下げて尋ねる店主。
手話は表情が大事なので、心配している時は大袈裟に眉を下げる。
眉を下げる店主とは対照的に、マシロは眉を上げて、「まぁ!びっくり!」と苦笑した。
飲むのは適温になったあととして、店主がこうやってココアを飲むかと尋ねる時は、だいたい何か聞きたいことがある時。
それをよく知っているマシロは、カウンター越しに先に尋ねた。
「なぁに?」
店主は微笑むと、
『今日も、また困っている人を助けたの?』
ーーああ、それ?
「うん、通りすがりにね?」
店主は、一層眉を下げて、迷いながら、指を動かした。
『あの子たち、服が血まみれだったじゃない?
いつもの人助けとは、何か違うなって。』
ーーいつものヒト助け。
マシロは、この喫茶店に来る時は大抵、人を助けた時なのだ。
この間は、痣だらけで一人歩いている少年の話を喫茶店で聞いて、最終的に警察と児相に通報したり。
その様子を一番近くで見ている店主は、さすがに今日は可笑しいと思ったらしい。
『マーちゃん、いつも笑ってふざけるでしょ?
でも今日は、なんだか怒ってたし。
……何か、あった?』
手話をするその指先は、分かりやすすぎるほどに
震えていた。
聞いていいのか、真剣に迷っている。
絵に書いたように困り眉で、回答を待っていた。
ーーそっか。わかっちゃうのね。
なんと答えるべきか。
イロハとレンが悪の組織に襲われていて、しかもイロハはもう一人の自分で……なんて話、誰も信じない。
なら、ぼかして説明するか。本当にざっくり、悟られない程度に。
それで、いいか。
途中から適当に考えて、軽めに説明した。
「そろそろ、ここに来れなくなるかもね。
これは、早々に解決する問題じゃないからさ。」
『そっか。』
店主は、それ以上踏み込もうとはしなかった。
洗い物があるはずなのに、マシロの隣に腰掛ける。
そして、足を組むと、悪戯に笑った。
『最近の子は、みんな優しそうね。』
「うん……そうだね。」
そろそろ飲めるようになったココアを、慎重に口に運んだ。
ーーハーちゃん、レンタロー。 フタリとも苦労してんなぁ。
ワタシも、そろそろ生きることが難しくなっていくのかね?
もし、そうなったらここには来られない。
マスターとは、サヨナラだ。
外で虫の音が聞こえる。
車の音は聞こえない。
店内は、音楽も流れない。
ただ、自然の音だけ。
そんな安堵としか言えぬ場所で、
マシロは肘をついて手話はせずに、独り言を呟いたのだった。
「そろそろ、死ぬかもね、ワタシ。」
レンとイロハは、過ぎ行く街の風景を、同じ歩幅で見ていた。
子供の姿は少なくなり、部活帰りだろう学生が、自転車を漕いで横を通り過ぎる。
「ねぇ……あの人たち。」
と、ヒソヒソ話をする老婦人。
血まみれの服。
死にかけた記憶。
それが、二人の心に負担をかける。
何よりも、マシロとイロハと、リアスの関係性が信じたくないものだった。
ーーイロハを元に作られた、クローン。
その事実は、泥みたいにねっとりとしたなんとも言えぬ不快感を植え付けた。
二人は、ようやく“それが現実だ”と理解し始めていた。
ーーそんな、漫画みたいなことあっていいのか?
「ふぅ」と、無意識にため息を零したレン。
その時に、イロハが口を開いた。
「ねぇ。」
「ん?」
「マーちゃんを助け出した人って、わたしの記憶を消した人と同一人物なのよね?」
突然の問に、レンは戸惑って、「マーちゃん、そんなこと言ってたような?……さぁ?」とスルーした。
イロハは、気にせず続ける。
「心当たりがあるの。」
「え?」
「だから、今度付き合って欲しいんだけれど。」
「……う、うん?おっけー?」
とりあえず親指を立てて、目を細めた。
だが、語尾には「?」がつく。
レンはポカンと頭を搔き、歩き続けた。
ずっとずっと、歩き続けて、藍色と茜色が混ざり始めた頃に、イロハが先にさよならを言った。
「じゃあ、また。」と手を振ると、
彼女は人の海へと馴染んでいった。
レンは、後ろ姿を眺めて、安堵のため息を漏らす。そして、方向転換をすると、彼も帰路を通ることにした。
頭を上の方に動かし、グラデーションの空をうっとり見つめた。
ーーこの世界の仕組みは、思ったより複雑すぎるのかもしれない。
イロハの母親が、初代死後の世界の守護者で、でも何故か立場を悪の組織に譲った。
I.C.O.は、イロハの故郷をめちゃくちゃにし、記憶を奪い、あまつさえ、それを使ってクローンを作り出した。
そして、それが原因でイロハとマシロが命を狙われる?
レンは何故か選ばれし能力を持ち、家族の幸せは壊れ、利用しようと企まれている?
「なんか……よく分からないな。」
片目を擦り、一つ、ふと考えが降ってきた。
ーーというか、なんでイロハの持ってる剣には、母親の魂が込められているんだ?
ああ……もう。
「わっかんない。」
吐き捨てて、レンは考えるのをやめた。
彼は空気の悪い家に帰るべく、早歩きをし始めるのだった。
第二十三の月夜 「少女のお誘い」へ続く。