テラーノベル
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49
しばらくして。
玄関が開く音がした。
「ただいま」
目黒の声が聞こえる。
阿部と佐久間は、同時に玄関の方を見た。
少しして、買い物袋を持った目黒がリビングへ入ってくる。
そして、二人の顔を見て、少しだけ足を止めた。
佐久間の目は、まだ赤い。
阿部の目元にも、泣いた跡が少し残っていた。
けれど、目黒は何も聞かなかった。
「おかえり」
阿部が言う。
「ただいま」
目黒は、いつも通りに笑った。
佐久間が、少し気まずそうに目黒を見る。
「蓮」
「ん?」
「……」
何を言うか迷っている佐久間を見て、目黒は急かさずに待った。
やがて、佐久間の顔を見ながら、短く尋ねる。
「話せた?」
それだけだった。
佐久間は少し驚いたあと、小さく頷いた。
「うん」
「そっか」
目黒も頷く。
「よかった」
それ以上、何も聞かない。
佐久間は、張り詰めていた肩の力を少し抜いた。
「……ありがと」
「何が?」
「二人にしてくれて」
目黒は、ふっと笑った。
「今日は貸したから」
「だから、俺の意思」
阿部がすぐに口を挟む。
佐久間が吹き出した。
「まだ言ってる!」
「だって、ずっとおかしいもん」
目黒も笑う。
少し前まで泣いていたのに、三人で普通に笑えた。
そのことが、佐久間には少し不思議だった。
泣いたあとでも、笑っていい。
重い話をしたあとでも、いつも通りに戻っていい。
そんなふうに思えるだけで、胸の奥に残っていた苦しさが。
ほんの少しだけ薄くなった。
「腹減った!」
突然、佐久間が言った。
阿部が目を丸くする。
「切り替え早くない?」
「泣いたら腹減った!」
「子どもみたい」
「何かない?」
佐久間は、目黒の持っている買い物袋を覗き込む。
目黒は袋をキッチンへ置きながら答えた。
「作るけど」
「カレー!」
「また?」
阿部が笑う。
「カレー好きなんだからいいじゃん!」
「めめ、カレーある?」
「材料はあるよ」
「やった!」
佐久間は、さっきまで泣いていたとは思えないほど嬉しそうに魔王ソファへ戻っていく。
阿部も、その隣に座った。
「佐久間」
「何?」
「もう元気?」
佐久間は、少し考えた。
すぐに「元気」と答えることはできなかった。
まだ胸の奥には、病院で感じた恐怖も、夢の中で阿部に知らない顔をされた寂しさも残っている。
話したからといって、全部が消えたわけではない。
それでも、さっきまで一人で抱えていたものを、阿部が受け止めてくれた。
それだけで、呼吸が少し楽になっていた。
「全部元気になったわけじゃない」
佐久間は正直に答えた。
「うん」
「でも」
少しだけ笑う。
「さっきよりは楽」
阿部も、小さく笑った。
「そっか」
それで十分だった。
無理に元気にならなくてもいい。
すぐに前を向けなくてもいい。
少し楽になれたなら、それでいい。
目黒が作ったカレーを、三人で食べた。
佐久間は大盛り。
阿部も、いつもよりしっかり一皿食べた。
「うま!」
佐久間が声を上げる。
「蓮、やっぱ料理できるよね」
「普通だよ」
「これ普通じゃないって!」
阿部が目黒を見る。
「めめ、褒められてる」
「知ってる」
「嬉しそう」
「そりゃ嬉しいよ」
佐久間が笑う。
「蓮、分かりやす!」
目黒は少し照れたように笑い、阿部はそんな二人を見て笑った。
食べながら、イベントの話になった。
佐久間が撮った写真を見返し、阿部が当日のことを思い出す。
そこから、またアニメの話になった。
次に見る話の展開を予想して、佐久間が熱く語り、阿部がそれに反論する。
気づけば、さっきまでの重い空気は、ほとんどなくなっていた。
話したことが、なかったことになったわけではない。
傷が、全部消えたわけでもない。
それでも、泣いたあとにカレーを食べて、笑える。
その時間が、今の佐久間には必要だった。
夕方。
佐久間が帰る準備を始めた。
「そろそろ帰る」
「うん」
阿部も玄関まで見送る。
佐久間が靴を履き終えると、スマホを取り出した。
イベントの日の写真。
二人で撮った一枚を開く。
「ねえ」
「何?」
「これさ」
阿部も、佐久間の隣から画面を覗き込む。
「やっぱ持って帰れないんだよね」
「多分」
「そっか」
佐久間は、少しだけ寂しそうに写真を見つめた。
この写真は、夢の中で撮ったものだ。
目が覚めれば、きっと消えてしまう。
そう思うと、さっきまで楽しかった時間まで、全部幻になってしまうような気がした。
けれど、今はもう、それだけではなかった。
写真が消えても、あの日のことまで消えるわけではない。
阿部と笑ったこと。
一緒に歩いたこと。
また行こうと約束したこと。
それらは、佐久間の中に残る。
「じゃあ」
佐久間は顔を上げた。
「覚えとく」
阿部が笑う。
「うん」
「帰ったらさ」
「うん」
佐久間は、写真を阿部に見せた。
「同じ構図で撮ろ」
「これ?」
「そう」
「同じイベント、あるかな」
「なくても似た場所探す!」
「そこまで?」
「撮りたいから!」
佐久間の声には、もう寂しさだけではなく、未来を楽しみにする気持ちが混ざっていた。
阿部は笑った。
「いいよ」
「約束ね」
「約束」
佐久間はスマホをしまった。
それから、少しだけ真面目な顔になった。
「あべちゃん」
「何?」
「昔のあべちゃん探して」
一度、言葉を止める。
「ごめんね」
佐久間は、ずっとそのことを謝りたかった。
阿部が目の前にいるのに、今の阿部ではなく、記憶の中の阿部を探していた。
本を渡したのも、イベントに誘ったのも、昔の阿部が戻ってくることを期待していたからだった。
今の阿部と向き合うより先に、失ったものを取り戻そうとしていた。
そのことが、ずっと引っかかっていた。
阿部は少しだけ考えた。
そして、佐久間をまっすぐ見た。
「でも」
「……」
「今の俺も、ちゃんと見つけたでしょ」
佐久間の目が、少し大きくなる。
「……うん」
「じゃあ」
阿部は笑った。
「それでいいよ」
佐久間は、少しだけ唇を噛んだ。
それから、ゆっくり笑った。
「うん」
その笑顔を見て、阿部も安心した。
佐久間は、昔の阿部を探していた。
けれど今は、目の前にいる阿部を見ている。
それだけで、十分だった。
佐久間が、目黒を見る。
「蓮」
「ん?」
「あべちゃん返す」
目黒が、すぐに言った。
「貸した覚えないけど」
「それ、俺もずっと言ってる」
阿部が呆れたように言う。
佐久間が大笑いする。
「じゃあ、またね!」
「うん」
「次、アニメ見るからね!」
「分かった」
「先に見ないでよ!」
「それは約束しない」
「あべちゃん!」
「面白かったら見るかも」
「待ってって!」
玄関の外まで、佐久間の声が響く。
阿部は笑いながら手を振った。
「またね」
佐久間も笑う。
「また!」
扉が閉まる。
その向こうで、佐久間の足音が少しずつ遠ざかっていった。
二人きりになる。
阿部は、しばらく玄関を見ていた。
目黒が隣に立つ。
「いっぱい話した?」
「うん」
「そっか」
阿部は、少しだけ目黒に寄った。
「佐久間」
「うん」
「俺のこと、二回失ったって思ってた」
目黒の表情が、少し変わる。
「病院で一回」
阿部は、ゆっくり言葉を続けた。
「夢で、俺が佐久間のことを知らなくて、もう一回」
「……そっか」
目黒は、それ以上何も言わなかった。
阿部は、玄関の方を見たまま続ける。
「みんな」
少しだけ俯く。
「俺が思ってたより、ずっと傷ついてたんだね」
目黒が、阿部の手を握る。
その手の温かさに、阿部は少しだけ目を伏せた。
前なら、きっとここで自分のせいだと思っていた。
みんなを傷つけた。
自分が悪い。
そうやって、全部を背負おうとしていた。
けれど、今は少し違う。
傷つけたことをなかったことにはできない。
でも、これから一緒に向き合うことはできる。
「帰ったら」
阿部が言う。
「うん」
「ちゃんと続きを作りたい」
目黒が、阿部を見る。
「続きを?」
「佐久間とも」
「うん」
「みんなとも」
阿部は、少しだけ笑った。
「今までの続き」
そして、少し考えてから付け加える。
「夢の中で増えた分も含めて」
目黒は、柔らかく笑った。
「うん」
「作ろう」
阿部も、小さく笑った。
夜。
阿部は、またノートを開いた。
今日のことを書く。
『佐久間と話した。』
少し考えてから、続きを書く。
『佐久間は、昔の俺を覚えていてくれた。』
『今の俺とも、もう一度友達になってくれた。』
ペンを動かす。
『帰ったら、またイベントに行く。』
『同じ写真も撮る。』
最後に、少しだけ考えてから、一行を書いた。
『昔の俺も、今の俺も、全部連れて帰る。』
阿部は、その文字をしばらく眺めた。
目黒が、隣から覗き込む。
「決まった?」
「何が?」
「連れて帰ること」
阿部は、少し笑った。
「うん」
「全部?」
「全部」
目黒が、嬉しそうに頷く。
阿部は、ノートを閉じた。
昔に戻るために、帰るんじゃない。
夢を終わらせるためでもない。
ここで増えたものを、ちゃんと持って、みんなと続きを作るために帰る。
そのためなら、怖くてもいい。
まだ迷っていてもいい。
少しずつでも、前に進めばいい。
阿部は、目黒の手を握り返した。
そして初めて、帰ることを考えたときに、胸の奥に浮かんだのは恐怖ではなかった。
佐久間との約束。
みんなとの続きを作る未来。
その先にある、九人で歌うステージ。
少しずつ。
本当に少しずつ。
阿部は、そんな未来を思い描けるようになっていた。
#BL
コメント
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お疲れ様です。 一気に読みました。 気持ち的に1番重いストーリーでした。 それでも全部なのか話せた事は良かった。 ほんの少しづつ前に進んでる 続き待ってます♪
うわ、この回すごくよかったです……。佐久間が「全部元気になったわけじゃない」って正直に言えるところとか、阿部が「それでいいよ」って返すところにぐっときました。無理に明るく終わらせないのがリアルで、でも最後に「帰ったら同じ構図で撮ろ」って未来を見せるバランスが絶妙でした。阿部が「全部連れて帰る」と決めたシーン、じんわり響きます。みらさん、今回も丁寧な心情描写をありがとうございます。続きが楽しみです。