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第一話②【拾ったのは、ベースと厄介ごと】
救急車とパトカーが来て、現場は一気に騒がしくなった。 誉とシオンは別々に事情を聞かれ、誉はただでさえ少ない語彙をさらに失っていた。
「えーと、駅で見かけて、その……ついてきてる、ような……」
「知人ではない?」
「たぶん……違うと……」
「たぶん?」
「いや、あの、こっちも初対面で……」
誉は視線の端で、シオンが警察相手にも妙に堂々としているのを見た。
なんなんだ、あれは。度胸が違いすぎる。
聞き取りがひと段落したのは、日付が変わってしばらく経ってからだった。
倒れた男は搬送されたが、意識は戻っていないらしい。
警察から「しばらく連絡が取れるように」と言われ、誉はぐったりした顔で頷いた。
駅前まで戻ったところで、シオンが隣に並ぶ。
「で?」
「何がですか」
「泊めて」
「嫌です」
「財布ない」
「知りません」
「終電もない」
「漫喫とかあるでしょう」
「金ない」
「……本当に?」
「たぶん落とした」
「たぶんって何なんですか」
シオンはポケットをひっくり返して見せた。
スマホ、ピック数枚、くしゃくしゃのレシート、飴玉。
財布は、ない。
「ほら」
「いや、でもそれでなんで俺の家なんですか」
「ここから近い顔してる」
「顔で家の位置を判断しないでください」
「あと、あんた、俺を放って帰ると寝覚め悪いタイプ」
「その決めつけ本当に嫌いです」
「じゃあ帰る?」
「帰りますよ、普通に」
「俺どうするの」
「知りません」
「冷たいなあ」
「あなたが異常に図々しいんです」
そう言いながらも、誉は足を止めてしまった。
シオンはそれを見て、にや、と笑う。
「ほらね」
「その顔やめてください」
「どの顔」
「人の良心を人質に取る顔です」
「褒め言葉?」
「違います」
十五分後。
誉は、自分でも信じられないことに、見知らぬ男を自宅に連れてきていた。
築二十五年、一K、駅徒歩十二分。
誉の部屋は、特筆すべきものの何一つない、疲れた独身男の部屋だった。
シオンは入るなり言った。
「うわ、ちゃんとしてる」
「どこがですか」
「床に物がない」
「最低限です」
「偉いじゃん」
「あなたの褒め方、幼児に対するやつなんですよ」
シオンは勝手に靴を脱ぎ、勝手に冷蔵庫を開けた。
「ねえ、何もなくない?」
「勝手に開けないでください」
「卵、豆腐、納豆、缶チューハイ一本。終わってる」
「うるさいな」
「ちゃんと生きてる?」
「今日初対面の人に言われたくないです」
「俺、カップ麺なら食うけど」
「ありません」
「買ってきて」
「ふざけるな」
シオンはけらけら笑いながら、ベースケースを壁際に置いた。
その仕草だけはやけに丁寧だった。
誉はネクタイを外し、ソファ代わりの座椅子に沈み込む。
全身の力が抜けた。
「……最悪だ」
「何が?」
「全部です」
「駅で知らん男と出会って、知らん男が尾けられてて、知らん男と一緒に通報して、知らん男を家に上げたから?」
「全部って言ったでしょう」
「でもちょっと面白かったじゃん」
「面白くない」
「俺は面白かった」
「あなたの感性を基準にしないでください」
シオンは床に座り込み、壁に背を預けた。
髪をかき上げた拍子に、ピアスが小さく鳴る。
「ねえ北松」
「なんですか」
「今日のあれ、ほんとにただの転倒だと思う?」
誉は黙った。
思いたくはない。
でも、路地の奥の人影が頭から離れなかった。
それに、あの男は確かにシオンを追っていた。
「……分かりません」
「ふーん」
「ただ」
「うん」
「もし、あの人があなたを尾けてたなら、あなたにも何か心当たりがあるんじゃないですか」
シオンは少しだけ目を細めた。
「あるかも」
「あるんですか!?」
「いや、なくもない、くらい」
「一番嫌な言い方!」
「でも確証ないし」
「いやいやいや」
「ライブハウスの客かもだし、知り合いの知り合いかもだし、ただの変なやつかも」
「最後が雑すぎる」
「でも」
シオンはそこで笑った。
悪戯っぽく、でも少しだけ鋭い顔で。
「北松も気づいてたでしょ。あの人、俺だけ見てたわけじゃない」
「……」
「あんたのことも、見てた」
部屋の空気が、少しだけ冷えた気がした。
誉は反射的に顔をしかめる。
「そんなわけ」
「あるかもよ」
「なんで俺が」
「知らない。でも、巻き込まれ体質っぽいし」
「そんな体質いりません」
誉は深くため息をついて、額を押さえた。
今日一日で何回ため息をついただろう。百回は超えている気がする。
シオンはしばらく黙っていたが、ふと、低い声で言った。
「まあでも」
「なんですか」
「退屈はしなさそう」
「俺は退屈なくらいでちょうどいいんですよ」
「そういうやつに限って、厄介ごとに愛されるんだよな」
「愛されなくて結構です」
誉はそう返したものの、眠気の奥で、妙な予感がしていた。
この夜は、これで終わらない。
たぶん、始まりだ。
明日になれば警察からまた連絡が来るかもしれない。
駅の防犯カメラを確認するかもしれない。
倒れた男の身元が分かるかもしれない。
そして財布を落としたと言うこの男は、きっと簡単には帰らない。
最悪だ、と誉はもう一度思った。
隣を見ると、シオンはいつの間にか目を閉じていた。
勝手に人の部屋へ上がり込み、勝手に話し、勝手に居座ったくせに、もう寝る気らしい。
「……ほんと最悪」
だがその呟きは、少しだけ、ほんの少しだけ。
自分でも腹が立つくらい、嫌いじゃなかった。