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ジェシーは、朝起きて電動ベッドを起こしたあと、体温を測りながらココアを飲んでいた。
自律神経がうまく働かないために起立性低血圧があり、寝起きは静かにしているのだ。
動きにくい両手でマグカップを握り、甘いココアをすすっていると、小さなテレビに流れているニュースが変わった。
「ゴールデンウィークに入り、空港には旅行に出かける観光客で溢れています。どちらまで行かれるのか、聞いてみましょう」
旅行客のインタビュー映像になった画面を見ながら、ジェシーは思った。
一度でいいから、身軽に何も考えずに好きなところに行きたいな。
電動車いすで自分の意志のままに遠くに行くのは、難しいことだ。クラリティでは行事としてみんなで出かけることはあるけど、それはたいていが近場。
電車や飛行機に乗ったことは、彼はほとんどなかった。
でもここのスタッフは優しいから、「行きたい」と言えば尽力してくれることをジェシーは知っている。
だからこそ、ジェシーは自分の気持ちに知らないふりをしていた。
ココアを飲み干すと、体温計が平熱を指していることを確認してコールボタンを押した。車いすに移乗させてもらい、エレベーターに乗ってダイニングへと向かう。
そこでは、慎太郎がすでに朝食を摂っていた。
「おはよう、慎太郎」
「ジェシー。おはよう」
2つの車いすが並ぶ。ジェシーは、介助を受けながら食べ始める。
「んっ。うま、このパン」
「だよねー」
そこに、高地がやってきた。「その声は…ジェシーと慎太郎?」
「当たり!」
慎太郎が笑顔で答えた。声のするほうに歩いて行き、高地は席に着く。職員からお皿の場所を聞くと、笑みがこぼれる。
「今日フルーツあんじゃん。やった」
「っていうか、北斗くんまだなのかな。樹はいつも通り遅いけど」
ジェシーが、2階の部屋へ続く階段を気にする素振りを見せた。
「どうだろう、来れるのかな」
しばらくして、樹が眠たげに目をこすりながらダイニングに来た。慎太郎は、グーの手で頬をなでるようにする「おはよう」の手話をする。樹もちょっと笑って返した。
平日の朝食の場は、いつもより少しテンションが低く静かである。先に食べ終えた慎太郎が、「いってきまーす」と一番に仕事に行ったから。
みんながごちそうさまをしても、大我と北斗がここに現れることはなかった。心配したジェシーが職員に尋ねると、それぞれ部屋で食べたという。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから。きっと、2人にも届いてると思うよ」
そして今日は、B型の作業所は休みの日なのだった。高地と樹が出かけていき、暇を持て余したジェシーは北斗の部屋を訪ねることにした。
ノックしようと思ったが弱々しい音しか出ず、「北斗くん」と扉の向こうに呼びかける。
しばらくして、ドアが細く開いた。
「よかったら、一緒に下行かない?」
しばしの沈黙ののち、北斗の首は横に振られた。そっか、とジェシーはつぶやく。
「じゃあまた遊ぼうね」
ニコリと笑いかけ、ドアを閉めた。
続く