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第四話:霊力の疼きと、女狐の調律
玉藻が僕の首筋に刻んだ熱い牙の感触は、彼女が部屋を去った後も、消えない火傷のようにじりじりと皮膚の裏側を焼き続けていた。
宿の主として「結界の修復」に向かった彼女を見送った後、僕は一人、広い畳の部屋に取り残された。静寂が耳に痛い。窓の外は、相変わらず乳白色の深い霧がすべてを呑み込んでいる。現実の世界では、今頃何時なのだろうか。最後に時計を見てから、もうどれほどの時間が過ぎたのかも分からない。会社では僕が行方不明だと騒いでいるだろうか。それとも、僕のような使い捨ての歯車ひとつが欠けたところで、誰も気づかずに世界は無機質に回り続けているのだろうか。
「……っ、あ、つい……なんだ、これ……」
ふいに、下腹部の奥底から突き上げるような熱気が、全身の血管を逆流するように駆け巡った。
それは昨夜感じた「身体が軽くなるような快楽」とは正反対の、内側から肉体が膨張し、内臓が焼き切れてしまいそうな、暴力的で過剰なエネルギーの奔流だった。
額の角が、ドクンドクンと生き物のように脈打っている。
たまらず鏡の前に這いずり、自分の顔を覗き込む。そこには、左右の角の根元が赤黒く充血し、そこから血管のような細い、しかし禍々しい紫色の紋様が、こめかみを経て頬へと伸びている無残な姿があった。
視界がちかちかと点滅し、呼吸が熱を帯びて喉を焼く。
「っ、はぁ、……っ……あ……!」
自分の中にある「何か」を吐き出さないと、自我が熱に溶かされて消えてしまいそうな、底知れぬ恐怖に襲われた。霊力という名の毒が、僕という人間を内側から破壊しようとしている。
「……おやおや。もう我慢の限界かえ? 随分と、溜まりの早い器じゃのう」
背後から、衣擦れの音と共に、聞き慣れた鈴の鳴るような声が響いた。
振り返る間もなく、柔らかな、しかし鉄のような強靭さを持った腕が僕の腰を抱きすくめる。沈香の香りと、熟れた果実のような甘い匂い。
「玉藻……っ、結界は……終わったのか……」
「そんなことより、お主の調子の方が大事じゃ。……見てみよ、その角。今にも霊力が溢れ出して、身を焼き尽くさんとしておるぞ。人の身で妾の精を受ければ、こうなることは分かっておったが……ふふ、実に美味しそうな熱じゃ」
玉藻は僕の背中にぴったりと密着し、豊かな胸の弾力を押し当ててくる。彼女の冷ややかな肌が僕の灼熱の背中に触れた瞬間、そこから暴走していた熱が吸い出されるような、狂おしいほどの安堵感が広がった。
「お主の角は、今や妾と繋がるための導火線。……ほら、妾を見よ。お主のその熱、妾がすべて飲み干してやろう」
彼女は僕を強引に向き合わせると、着物の帯を指先一つで解いた。
はらりと床に落ちる真紅の布。湯殿で見た時よりもさらに白く、そして妖しく発光する彼女の肢体が、薄暗い部屋の中で浮かび上がる。玉藻は僕の首に腕を回すと、僕の角を、まるで愛しい赤子をあやすように優しく、しかし執拗になぞった。
「あ、……っ、あ……め、めて……!」
指先が角に触れるたび、脳内に直接火花を散らすような衝撃が走る。
それは、痛みを通り越した、純粋な破壊に近い快楽だった。
僕が全身を痙攣させて震えていると、玉藻は満足げに黄金の瞳を細め、僕をふかふかの寝所へと押し倒した。
「怖いか? ……無理もない。お主の魂は、今まさに人間であることを辞め、妾のつがいへと作り替えられておる最中じゃからな。……泣いても叫んでも、もう止めてはやれぬぞ。お主はもう、妾の一部として生きるしかないのじゃ」
彼女は僕の上に跨り、その九つの白い尾を扇状に広げた。
そのうちの数本が、僕の両手首を、両足首を、縛り上げるように固定する。絹のように滑らかな毛並みなのに、その力は巨木をも締め上げる蛇のように強く、微動だにできない。
自由を奪われ、僕はただ、上から見下ろす女狐の、嗜虐的で情熱的な瞳を見つめることしかできなかった。
「さあ、お主の中に渦巻くその熱を、すべて妾に捧げよ。……お主が空っぽになるまで、妾がじっくりと、芯まで吸い尽くしてやるわ。溢れさせるなよ? 一滴たりとも、妾以外に渡すことは許さぬ」
玉藻の唇が、僕の喉元、鎖骨、そして激しく脈打つ胸元へと降りてくる。
彼女が肌を吸い上げるたび、暴走していた霊力が激流となって彼女の中へと流れ込んでいく。それは、ただの肉体の交わりではない。命の根源を削り合い、一つに溶け合わせる「調律」という名の神事。
僕は背中を仰け反らせ、絶え間なく襲いかかる、脳が溶けるような感覚に呑み込まれていった。
頭の中では、現世での記憶が砂の城のように崩れ去り、ただ玉藻という圧倒的な存在だけが、僕の世界を埋め尽くしていく。
「玉藻、……玉藻……! あ、っ、ああ……!」
「そうじゃ、そうやって妾の名を呼べ。……お主の熱い霊力が、妾の奥まで満ちてゆく……。ああ、堪らぬわ。お主は本当に、最高級の種馬じゃのう」
激しく揺れる視界の中で、彼女の九つの尾が、部屋全体を埋め尽くすようにうねっていた。
僕の魂は、もう二度と、元の場所には戻れない。
この女狐の底なしの愛撫と支配の中で、僕はただ、彼女の所有物として生まれ変わることを、心から叫びながら願っていた。
汗に濡れた畳の上で、二人の荒い息遣いと、霊力が火花を散らすパチパチとした音だけが、永遠のような時間の中に響いていた。