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第五話:理の教授と、女狐の独占
激しい調律の余韻が冷めやらぬ寝所。
僕は玉藻の豊かな尾に包まれながら、荒い息を整えていた。身体は芯から熱いのに、どこか不思議な万能感に満たされている。しかし、鏡に映る自分の角を見るたび、拭いきれない不安が胸をよぎる。
「……玉藻、ひとつ聞いてもいいか」
僕を背後から抱きしめ、僕の髪を愛おしそうに梳いていた玉藻が「なんじゃ?」と鼻を鳴らした。
「さっき、僕の中にあるのは『霊力』だって言ったよな。あやかしたちが持っている『妖力』とは、何が違うんだ? 僕は……もう人間じゃないのか?」
玉藻はくすりと艶然に笑うと、僕の角を指先で弾いた。キィィィ、と高い金属音が脳内に響き、背筋に甘い痺れが走る。
「ふふ、良い質問じゃ。お主、ただ骨抜きにされておるだけではなかったようじゃな。よいか、よく聞きなさい。……お主の中に渦巻いておる『霊力』とは、天から与えられた純粋な生気、いわば清らかなる水の源泉じゃ。対して、妾たちが持つ『妖力』とは、その水を己の業や執着で濁らせ、力へと変えた加工品に過ぎぬ」
彼女は僕の肩に顎を乗せ、窓の外に広がる深い霧を指差した。
「妖力は、現世を侵食し、己の望む形に世界を歪める力。じゃがな、それは使えば使うほど枯れ、澱んでゆく。……今のこの宿を見てみよ。霊感のない者には見えず、あやかしも寄り付かぬほどに寂れておる。それは、妾の妖力を支えるための『清らかな霊力』が、この土地から枯れ果ててしもうたからじゃ」
玉藻の瞳が、どこか哀しげに細められた。
「あやかしは、自ら霊力を生み出すことはできぬ。ゆえに、古より我らは、お主のような『器』を持つ人間を愛で、守り、時には奪い合ってきた。お主の中に眠っておったのは、あまりにも純度の高い、枯れることのない霊力の泉じゃ。……妾の精を注ぎ、その角が生えたことで、泉の蓋は完全に壊された」
「じゃあ……僕は、君たちにとっての『電池』か何かってことか?」
僕が自嘲気味に呟くと、玉藻は僕の首筋に鋭い爪を立てた。痛みはない。ただ、彼女の独占欲が肌を通じて伝わってくる。
「電池などという味気ない言葉で片付けるでない。お主は妾の『つがい』じゃ。……妖力に染まった妾の身を浄化し、枯れゆく魂を潤せるのは、お主の霊力だけなのじゃ。お主が注いでくれる熱い霊力があるからこそ、妾はこうして美しい姿を保ち、この宿を維持できる」
玉藻は僕の耳元に唇を寄せ、重厚な熱を孕んだ声で囁いた。
「霊力を持つ者は、あやかしたちにとっての至宝。……もしお主がここを出てみよ。飢えた百鬼たちが、その一滴を求めてお主を食らい尽くそうと群がるじゃろう。お主を守れるのは、この隠れ宿と、この妾だけなのじゃよ」
彼女の言葉は、慈愛に満ちているようでいて、完璧な監禁宣告でもあった。
僕はもう、外の世界――霊力を持たない者たちが無機質に生きる現世には、戻る資格も場所もないのだ。
「……分かったよ。僕は、君のものだ」
僕がそう答えると、玉藻は満足げに喉を鳴らし、僕の角を優しくなめ回した。
「そうじゃ、聞き分けの良い男は嫌いではないぞ。……さて、霊力と妖力の違いを教えたついでに、もう一つ教えてやろう。……お主のその角、霊力が高まれば高まるほど、妾以外の女の匂いに敏感になる。……妾が少し宿を空ける間、妙な誘惑に負けてはならぬぞ? もし妾を裏切り、霊力を他へ漏らそうものなら……」
玉藻は僕の喉元に牙を押し当て、低い声で笑った。
「お主のその角を、根元から噛み砕いてくれるわ」
彼女はそう言い残すと、宿の再興のための「儀式」に向かうべく、朱色の着物を翻して部屋を去っていった。
残された僕は、火照った身体を畳に投げ出す。
玉藻がいなくなった静寂の中で、僕の角は、彼女に教えられた通り「別の気配」を感じ取っていた。
廊下の向こう。障子の隙間から漏れ聞こえる、小さく、しかし卑しいまでの、飢えた獣の喉鳴り。
「……くんくん、……堪らんにゃ……。玉藻様がいなくなった途端、こんなに濃い匂いが漏れ出して……」
玉藻の不在を狙い、若旦那という名の「至宝」を盗み食いしようとする、最初の影が忍び寄っていた。