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凌空が篠原の陰毛をあぶり、佐倉が凌空をボコってから、ひと月が経とうとしていた。

ある朝、今まで空席だった篠原の席には、何事もなかったかのように眼鏡をかけた彼が座っていた。

「――――」

クラスメイト達が見守る中、凌空はわかりやすく篠原をシカトした。

皆一瞬で意向を読み取り、誰も彼に絡んだりしなかった。

それが凌空にできる唯一の意思表示だった。

また佐倉にボコられるのはゴメンだ。

そしてなんとなく漠然と、今度もし同じ状況になったら、彼が手加減しないこともわかっていた。

オモチャは解放してやることにした。

遠方とは言え、愛してくれる家族がいるオモチャは何かと面倒くさい。

凌空は自虐的に胸の内で笑うと、やっと穴が埋まった教室を見渡して、小さくため息をついた。



しかし、


「市川君、ちょっといい?」


せっかくこっちが無視してやっているのに、篠原はあろうことか自分の方から凌空を呼び出した。


◆◆◆◆


「なによ?」

「ええと、ごめん。付き合わせて」

彼は体育館裏に凌空を連れていくと、きょろきょろと周りを伺いながら凌空を見上げた。

「光くんと会った?」

「…………」

それが佐倉の名前だと思い出すまで、たっぷり3秒はかかった。

「会った?って……。さすがに白々しいって。お前が俺のことチクったんでしょ?」

今さらそこを責める気はない。半ば呆れながら言うと、

「うん。それは、そうなんだけど、わからないことがあって……」

篠原は奥歯に物が挟まったような、すっきりとしない物言いをしながら俯いた。

「何よ。まだ何かあんの?キミは学校来なかったから知らなかっただろうけど、俺、結構こっぴどくヤラれたんだけど」

半ばイラつきながら言うと、

「……うん。それじゃ、おかしいんだ」

篠原は何かを決心したように顔を上げた。


「光くんに会って無事だった人なんていないから」

「は?なにそれ」

右目がヒクヒクと痙攣する。

言っている意味が分からない。

「だからさ、無事じゃなかったって言ってんだろうが」

つい口調がきつくなる。

「無事だよ。だって、市川君、歩いてる」

篠原が発した言葉の意味が分かるまでに、今度は10秒ほどかかった。

そして理解した瞬間、ストレッチをしているサッカー部の声も、ランニングを始めた野球部の声も何も聞こえなくなった。


じゃあ何?

アイツに会った人って、歩けなくなるの?


凌空は鞄を肩に引っ掛けたまま固まった。


「まさかとは思うけど、市川君、光君に気に入られたりした?」


篠原の声だけが、脳裏に直接響いてくる。


「だとしたらヤバいよ。あの人、バイだから」




(ヤバいって言われてもな……)


自宅のマンションのエレベーターに乗りながら文字盤を眺めた。

眼球を舐められているだけでそれ以上の性行為はされたことがない。

性行為どころか、キスだって、手を繋いだことさえない。

ただただ、眼球を舐められるだけ。

彼が興味のあるのは自分ではなく、この眼球であり、それは舐めるという行為以上を求めない完結されたものだった。

ガラスフィルムで覆われた扉に、自分の姿が薄く映る。


自分の目はそんなに特殊なのだろうか。

確かに大きい気はする。

二重の幅も厚くて、確かにあまりいないかもしれない。

でも別に不自然なほどではないし、異常に興奮されるようなものでもないと思うのだが。


扉が開いた。

「あ」

自分とほとんど同じ視線上に、その目はあった。

大きくて、瞳の色が濃い。

自分とは違うが、美しいと形容するのに十分な目が2つ、こちらを見つめていた。


(こいつは……)

隣に引っ越してきた男。

確か名前は城咲と言っただろうか。

こうして正面からちゃんと見るのは初めてだ。


いい年齢のはずなのに、こんな日の沈みきらない夕方に仕事着やスーツも着ないで、ラフなシャツとジーンズで自宅にいる。

どんな仕事をしているのだろう。

軽く会釈をしてすれ違おうとすると、


「お帰りなさい。今帰り?」

男は微笑を浮かべつつ話しかけてきた。


「あ、そっす」

「あのさ」

短く答えて立ち去ろうとすると、彼は尚も話しかけてきた。

「君の名前ってあれで、なんて読むの?」

「―――?」

凌空は城咲が指さした先を見た。

そこには市川家の表札が掛かっていた。


「―――リクですけど」

「ああ、なるほど」

城咲は大げさに頷いて見せた。

「……え。読めないすか?」

馬鹿にされたような気がして、凌空は城咲を軽く睨んだ。


確かに凌空の凌、しのぐと読むその字は、一般的には使用頻度が低い。相手の上にのし上がるという意味のほかに、辱しめる、みさげるなどの悪い意味もあるので、名前として使うのも珍しい。

しかし、大の大人が読めないことはないと思うのだが。

「そうだね、ピンとこなかった。どこかで見たことのある字だとは思ったんだけど」

「『はるかに凌駕する』とか?」

自分の字を説明するときによく言う慣用句を言った。

「ああ」

城咲は凌空と入れ違いに、エレベーターの箱に入ると胸元から煙草を一本取り出しながらこちらを振り返った。


「思い出した。凌辱の凌だ」

城咲は煙草を咥えたまま、口の端を引き上げた。

扉が閉まる瞬間、低い笑い声が聞こえたような気がした。


「なんだアイツ……」


凌空は呆然と光る文字盤を見上げた。


「へんなやつ」


凌辱の凌。

確かにそうかもしれないが、そんなの本人を目の前にして言うだろうか。


どうやら見た目通りのただの爽やかな好青年ではなく、一癖も二癖もありそうだ。


「ふっ」


凌空は笑いながら廊下を歩き出した。


(城咲……か)


次にあったらちょっと喋ってみたい程度には興味がわいた。


とその時、スラックスのポケットにつっこんでいたスマートフォンが震え出した。


【佐倉光】


「…………」

いつもなら間髪入れずに出るのだが、やはりどこかで篠原の言葉が気になっていた。

(そもそもなんなんだ、あいつ。自分が佐倉をたきつけて俺をボコらせたくせに、今度は俺に気を付けろって忠告するとか……)

よく考えればおかしな話だ。

篠原は結局、自分をどうしたいのだろうか。

考えているうちにコールは切れた。


「…………」

かけ直すべきだろうか。

どうせ呼び出しの電話だろうし。

今日も何気ない顔で行くべきだろうか。

そもそも眼球を舐める以上のことを求められないということイコール、彼がバイであれゲイであれ、自分はタイプではないということなんだから、堂々としていていいはずだ。

虐めていた相手、いわば凌空に恨みを持っているであろう篠原の言うことよりも、今までの佐倉との付き合いの方を信用すべきかもしれない。

わかってはいるのだが―――。


チン。


後ろでエレベーターが鳴った。

忘れ物でもした城咲が戻ってきたのかと思い振り返ると、そこには晴子が立っていた。


(またそんなに花を買って……)

凌空は晴子が抱えていた、花瓶と観葉植物の鉢、そしてピンク色の花束を順に眺めた。

(あんな家をこれ以上飾り付けてどうする……)

「…………」

なぜか驚いた顔で立っている晴子に、

「おかえり」

一応声をかけると、彼女は眉間に皺を寄せながら言った。

「あなた、またどこかに出かけるの?」

この言葉にはほんの少し驚いた。

大好きな輝馬でも、大嫌いな紫音でもない自分には、何の関心も持ち合わせていないと思っていた。

「違うって。帰ってきたんだよ、今」

「……?」

晴子は今自分が下りてきたエレベーターを振り返った。

まさに今晴子が乗ってきたエレベーター。先に帰っていたはずの凌空がまだ玄関前に立っているのがおかしいと言いたいのだろう。

「電話がかかってきて、ちょっとここで話してた」

ほぼ事実を言っているはずなのに、妙に言い訳臭い自分に首を傾げながら、凌空は持っていたスマートフォンを振った。

その瞬間、手の中のそれがまた震え出して、凌空は慌ててそれをポケットに押し込んだ。

「あー、腹減った。夕飯、肉にしてね」

そそくさとカギを取り出すと、家のカギを開けた。

「…………」

晴子はなぜか何も言わなかった。



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