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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
ひび割れた地面が微かに震え、鉄の匂いが鼻を突く。冷たい光が鋭く反射し、喉はカラカラに乾き、心臓は跳ねる。
この異空間――戦場そのものが、二人を試すかのように存在感を放っていた。
「さぁ!見せてよ!その力!」
ヒバルは両手を広げ、道化師のようにくるくると回りながら、口角の片端を引き上げた。
レンは手にした剣を不器用に握りしめ、深く息を吸い込む。
胸の奥の恐怖と覚悟が、全身にじわじわと広がる。
足を踏みしめ、全神経を一点に集中させた――戦う覚悟は決まった。
その瞬間、空気が歪み、ヒバルの影が数本に裂けて揺れる。
レンの前で、光の剣が脈打ち、まるで自ら意思を持っているかのように振動した。
「いくぞ……!」
レンは声を張り上げ、刃先をヒバルに向けて踏み出す。
ヒバルは嘲笑い、片手で空気をかき分けるように短剣を構えた。
戦いの幕が、静かに、しかし確実に上がった。
足を踏みしめた瞬間、ヒバルの姿が霧のように揺らいだ。
次の瞬間には、目の前に――いや、背後にいた。
「遅いっ!」
鋭い風切り音。短剣が、レンの頬を掠める。
レンは咄嗟にしゃがみ込み、地を蹴るように回避した。
背後からの斬撃を読み、光の剣が反射的に振り上がる。
金属音が弾け、ヒバルが小さく笑った。
「へぇ、今の、反応できるんだ?面白いねぇ!」
挑発するように距離を詰め、ヒバルは再び姿を歪ませる。
“認識の延長”――それは、見る者の知覚を欺く、幻のような能力。
動いたと思えば、姿が消え、声だけが真横で響く。
「君、怖いでしょ?人を斬るの。」
「――!」
図星だった。
自分の弱点を、既に見透かされている。
相手はためらいもなく刃を振るう。だがレンには――人に刃物を向ける度胸が、まだなかった。
だから攻撃しようにも、腕が震え、何もできない。
ヒバルは一度地を蹴って距離を取り、すぐさまふわりと、空気の中へ熔けていく。
それでも、嘲笑う声のみ、レンの耳に届く。
レンは困惑する。姿形も見えないのに、一体どこからその声が聞こえるのか、耳を澄ましても分かるわけが無い。
ただ信じるのは、己の”未来予知”の能力。それで全ての攻撃を避け、相手がどこにいるかも予測すれば、相手に勝ち目は無い。
だが、レンには自分の能力を操る力さえ、まだない。いつも勝手に”未来予知”が発動するが、自発的に未来予知を使ったことは、ない。
「ねぇ?痛くないの?気づかないの?」
ぬるりと、鳥肌。
背後にレンの肩を掴み、笑顔を見せるヒバル。がっしりと掴まれて、ジンジンと痛む。
咄嗟に肩から解いて、剣を構えて振り上げた。
その途端。
腕と脚から、尋常ではない血が溢れ出て、レンを脳を突き刺すような痛みが襲う。
「……は?」
なんで……相手は攻撃もして来てないはずなのに。
足取りが歪み、自身を支えるため地面に剣を突き刺す。
まともに前が見えない。痛み、痛みだけが、レンを支配する。
その様子を、ヒバルはゴミ屑を眺めるように見下した。
「大丈夫だよ。ちょっと斬るだけ。大人しく捕まってくれるとは思わないからね。……命は残してあげる。」
「……そん、な。捕まってたまるか。」
レンは強気の言葉を絞り出す。けれど内側は焦りで焼けついていた。身体はどんどん蝕まれ、やがて何もできなくなるだろうという予想。特別な力──この“剣”があるというのに、今の自分はそれをまるで使いこなせていない。
いつまで、強がっていられるだろうか──。
そんな考えが頭をよぎった。だがそんなことを言っている場合でもないと、レンは自分に言い聞かせた。
「お前らみたいなやつらに、負けるわけ……いかないんだよっ!」
自分を奮い立たせるように、レンは腹の底から声を張り上げた。
続けて、レンは殴り掛かるような動きで剣を振り上げた。
だが、それも空を斬るのみ。ヒバルはまたしても姿を消し、
風切り音は、虚しく静かに響いて消えていく。
「ちっ……」幽霊と戦っているのかと錯覚するほど、突然消える。
血の匂いが、レンの集中力を削いでいく。
遠くでは、イロハとシスの戦闘が白熱していた。
だが、ヒバルの姿は――どこにもない。
どこいった? あいつ……。
気配もない。足音も、声すらも聞こえない。
立つのがやっとの身体で、辺りを見渡し、耳を澄ます。
こういう時に、未来予知で相手の行動を見られたらいいのに――。
そう思った瞬間。
「……不思議なんだね? 自分の能力が、上手く使いこなせないことが。」
囁くような声が、耳のすぐそばで響いた。
挑発とも、観察ともつかない響き。
勢いよく振り向く――が、誰もいない。
ただ、空気の中で声だけが続く。
「君はね、自分の力を理解していないんだ。
君の能力は、“強く守りたい”と思った時にしか発動しない。
自己防衛のためには、決して動かない。」
ヒバルの声が、どこか楽しげだった。
「その証拠に、これまで君が力を使えたのは――桜月イロハが危険に晒された時ばかり。
今みたいに、自分を守ろうとしても、何も起きない。」
レンの胸に、冷たい針が刺さる。
確かに、その通りだった。
「つまり、君の“守りたい”って気持ちが強ければ強いほど力は増し、
逆に心が沈めば、力も沈む。
君の力は、“感情”そのものなんだ。」
冷や汗が、頬をつたう。
“守るために発動する”――そんな馬鹿な。
頭の中が黒い靄で覆われていく。
小鳥のような、甲高い笑い声が耳を刺した。
「焦ってる。困ってる。だからだよ、余計に使えなくなるんだ。
ねぇ……そんなに悩んで僕に攻撃できないようじゃ――」
心臓が暴れ、世界の音が遠のく。
食道を締め上げられるような、不安。
その次の言葉を、聞きたくなかった。
「――イロハも、居なくなるよ?」
呼吸が止まる。
予想していた言葉のはずなのに、耳にした瞬間、心臓を抉るような絶望が走った。
――俺のせいか? 俺のせいで、イロハが。
俺は、これ以上……!
「ねぇ、その剣で僕を攻撃してみてよ。
君のお父さんと妹を奪った、組織の狛犬を。……それとも、まだ怖いの?」
「……黙れ」
黙れ!!
抑えきれぬ衝動が、ふつふつと胸から沸き上がる。
父の最期、妹の笑顔が消えた瞬間の残像が走馬灯のように脳裏を駆ける。怒りが、震えが、制御を失いかける。
両手で柄をがっしり握り締め、レンは剣を大きく回転させた。
──背後から、ヒバルの声が嘲る。
「大ハズレだね。」
「はっ、笑わせんなよ。」
その吐き捨てるような声と同時に、剣の根元がレンの鼓動に合わせて淡く震えるように光り始めた。
さて、どうしようかしら。
小さく息を整えて、イロハは一人思考を巡らせていた。
鋼と鋼が織り成す音が、この空間を白熱に包む。
軽く響くシスの足音は、踊り子のような優雅さを持ち構えている。
相手は小さな少女――だが、ただの少女ではない。
イロハの命を狙い、レンの力を標的にして。
そして何より厄介なのは――。
「あなた、その剣。私と同じですね。」
イロハは静かに目を細めた。
どうして。なぜ、私とまったく同じ剣を。
形も、質感も、光の揺らぎさえも。
それどころか、剣技も、身体の動きまでも。
まるで――“私”を真似ているように。
一拍、風が止まった。
「模倣、だよ。」
シスは唇の端を吊り上げ、片手で剣を持ち上げる。
その切っ先が、月光を弾いてイロハを指した。
「模倣、ですか?」
「そう。あなたの能力を借りたの。その剣も、治癒能力も、全部ね。」
「……中々、面倒な能力ですね。」
模倣されて、何の問題があるというのだ。
シスが真似ているのは――“過去の私”の力にすぎない。
過去は、今には勝てない。
そう思いながら、イロハは相手を睨んだ。
先ほど刺された左肩は、すでに癒えている。治癒能力の賜物だ。
――ここで問題。
この少女に勝つには、どうすればいい?
答えは簡単。
イロハには、一時的に視覚を極限まで高め、すべてを見切る力がある。
まるで“心眼”のように。
世界が粘つくように遅れて見えるほどの集中の果てに放つ、一撃必殺の技――「桜吹雪」。
それを使えば、敵は一瞬にして散る。
なら、使えばいい。使用後に身体へ不調が出るだけのこと。
……それでも、躊躇した。
理由は単純。
その技は、敵味方の区別をしない。
イロハの一米以内にいれば攻撃の難を逃れられるが――レンは遠い。
この距離では、彼に深手を負わせてしまう。
それに、シスとはあまりにも近い。
使ったところで、治癒能力で傷を消され、閉幕だ。
つまり、解答は――謎のまま。
自分のすべてを模倣されるというだけで、厄介極まりない。
なら、今は。
「……“私の弱点”を、突けばいい。」
イロハは地を蹴った。
一瞬で距離を詰める。狙うのは――腹部。
そこは、イロハ自身にとっても致命的な弱点のひとつ。
彼女の治癒能力は即座の回復を得意とするが、腹部への深手だけは別だ。
臓腑を傷つけられれば、治癒が追いつかず、再生まで数秒の“空白”が生まれる。
つまり、シスが模倣しているなら――同じ弱点を抱えている。
「なら、そこを突けばいい。」
両眼が開くと、瞳の中には群青の宇宙が広がっている。
”心眼”ーー、能力の発動を意味する。
光を反射して、白刃が閃いた。
「――!」
シスが反射的に剣を横に振る。
金属がぶつかり合い、火花が散る。
空気が裂け、地面に衝撃波が走った。
「狙いが、いいね……でも甘い!」
シスは笑いながら、剣を押し返す。
力の流れを読んでイロハの体勢を崩し、すかさず足払い。
イロハの足元を掬うように蹴り上げた。
だが、その一瞬を――イロハは読んでいた。
「……見えてます。」
イロハは刃を下げ、身体をひねりながら宙を舞う。
袴の裾が翻ると同時に、シスの攻撃は空を切った。
「避けたかぁ、上手い上手い!」
「私の動きを模倣できても、“次”までは読めません。」
着地と同時に、イロハの剣が低い姿勢から突き上がる。
切っ先が裂き、一直線にシスの腹部を貫かんと迫る。
その瞬間、シスの瞳が見開かれた。
同じ能力――“心眼”を発動させたのだ。
「……やりますね。」
二人の視界が、世界の隅々を捉える。
音が遠ざかり、時間が引き延ばされる。
動くのは、二人と、交差する刃だけ。
「……私を、真似たところで。」
「人は、真似るから強くなるんだよ!」
閃光。
二つの剣が交錯し、月明かりが弾け飛ぶ。
静寂のあと、風が流れた。
二人は背を合わせるように離れ、剣を構えたまま止まる。
どちらが斬ったのか――まだ、誰にも分からない。
でも、すぐに解答が発表されることとなる。
「……か、は」
咳き込み。
イロハの口から赤い液が溢れ出た。
どくどくと、途切れずに。
腹部から血が滲み、じんわりと熱をもった痛みが広がっていく。
遅れた――ほんの、少しだけ。
既に能力は発動している。
傷は治る。だが、完全な再生にはわずかな時間を要する。
まさか、模倣に負けるとは。
イロハは腹を押さえた。ぎゅ、と。
血が指の隙間から零れ落ちる。
足が言うことをきかない。
揺れ、視界が滲む。
背後から、嘲る声。
「ふふっ、お姉さん雑魚だね。あんなに余裕ぶってたのに、このザマ?」
イロハは静かに息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
唇に、かすかな笑みを浮かべて。
「……あまり、年上を見下すものではありませんよ。お嬢様?」
痛いからって、なんだ。
傷ついたからって、どうした。
吐血も、手足の麻痺も、恐れる理由にはならない。
イロハは剣を構え、一歩踏み出した。
血の跡を残しながら、まっすぐに進む。
「怪我は治ってないのに、いいの?」
「ええ。……もともと、こんな身体、大事にする価値なんてありませんから。」
「……やっぱりおかしいんだ、あなたは。」
シスも負けじと剣を振るった。
柄をペン回しのように操り、鋭く跳躍する。
その跳躍はイロハの身体能力のコピーだ。
まるで“私”を演じるかのように、シスはイロハの動きをなぞる——高く舞い、重心を落とす勢いで地面めがけて襲いかかる。
――空気が走った。
シスの刃が天から落ちてくるように降り注ぐ。
イロハは咄嗟に身を翻し、避けたが、まだ完全に安定していない足が滑った。
血で湿った地面に足を取られかけ、さすがにまずいと剣を地面に突き刺し、半ば強制的に立ち上がる。
間隔を置かず、刃が迫る。
しゃがみ込んだシスは、すくい上げるように剣で弧を描いた。
速い。攻撃速度が。
イロハは顔を引っ込ませるも、一足遅く、長い髪が刃に摺れて、少しばかり地に落ちる。
シスの攻撃は、速く、休む間もない。
怪我を負った状態では、イロハの反応速度も限界がある。
怪我を負った? また治るではないか。
――今はレンのためにも。
子供が相手だろうがなんだろうが、飛びついてでも斬り伏せねば。
胸の奥でぼやきながら、自分を支えていた剣を抜く。
一歩退き、無防備に見える背中を目掛けて、串刺しにする覚悟で、その小さな身体を狙う。
だが――。
「遅いよ。」
金属がぶつかり合い、耳に刺さる高音が響く。
人間には解読できない速度で、刃と刃が何度も擦れ合う。
そのままイロハの身体は後方へ押し込まれていく。
シスは、余裕を漂わせたまま、ゆっくりと口を開いた。
「あなたに、人の心はないの?」
「……?」
「何かを守るために、私みたいな子供も刺せるの? 子供だよ? まだなぁんにも知らない――」
「ふざけないで。」
イロハは声を震わせながら、押し負けるまいと力を込める。
だが、シスは笑った。
「ふざけてなんてないよ。でも、事実でしょ?
“願いを叶えるために”って言葉で、今まで人を殺してきたんでしょ? それも――子供を、何度も。」
「殺しているのではありません。救っているのです。」
「何から? 一体、何から救ってるの?
そう言って誤魔化してるだけじゃないの? 本当は――人の気持ちを理解してあげるのが、苦手なだけなんじゃないの?」
イロハの手が、ほんの一瞬、止まった。
胸の奥を針で刺されたような感覚。
言葉が、刃よりも鋭く突き刺さる。
「……私は、そんなつもりでは。」
口を開いても、声が震える。
“救い”という言葉を、自分のための逃げ道にしてきたのかもしれない。
そう思った瞬間、シスの唇がわずかに吊り上がった。
「ほら、図星でしょ?」
「――!」
反応が遅れた。
シスの刃が閃く。
イロハの頬を掠め、紅い線が走った。
痛みよりも先に、怒りが湧いた。
だが、その怒りは純粋な憤りではない。
自分に向けたものだった。
違う……私は。救いたくて――。
「“救いたくて”なんて、綺麗事だよ。」
シスが笑う。
まるで心を読まれたように、言葉が重なった。
「あなたはただ、救い方も分からないから、そうするしか無かっただけ。人殺しだよ。」
その一言が、決定的だった。
イロハの剣先が、わずかに震える。
ほんの数ミリの揺らぎ。
それで十分だった。
シスは滑るように懐へ潜り込み、腹部へと切り上げる。
鉄の匂いが空気を満たす。
イロハの身体がのけぞり、息が詰まった。
「……ぁ」
血が、花弁のように散る。
意識が白く塗りつぶされ、ついに、地面へと転がってしまう。
貪るように息を吸い、吐く。上手く呼吸ができない。
しくじった。揺れてはだめなのに。
レン。
レン。
レンの方にイロハは視線を移すと、そこには出血をした彼がいた。
足、腕、肩からの酷い出血。致命傷ではないが、血を流し続ければ健康を害する。
どうしよう。
イロハの治癒能力は、相手に触れれば相手の傷も治せる。”触れれば”、だが。
距離が、遠い。
「……このまま負けを、認め、たら。レンが……。」
「連れてかれちゃう? それは嫌? 大丈夫、あの子と世界が終わる瞬間を、君は見る前にここで終わるから。」
「させるもんですか……そんな、がっ……!」
釘を刺すように、シスが手の甲をグリグリと押し込む。
血がじわりと滲んで、痛覚よりも寒気が先にくる。
その表情は、無――まるで壊れた人形のようだった。
「あなた……こそ、人間なのか疑わしい。大切な人も、いないのでしょうか?」
一瞬、シスの瞳がぴくりと揺れた。
そして、笑うでも泣くでもなく、叫んだ。
「……あんまり、そういうこと――言うのよそうよ、ねぇ!」
更に奥深く、刺しこんで鍵穴に鍵を嵌めて開けるように、捻った。
「私はね……お兄ちゃんとリアス様が大切なの。お兄ちゃんは私を守って”私だけ”だって……必要としてくれて、リアス様も必要としてくれる。
パパやママと違うの。二人だけ、私を大切にしてくれるの。」
壊れたオルゴールの如く、笑い声を発するシス。
狂って依存しているように見えるその姿に、イロハは心底震えた。
「……ふふっ。さぁ、あなたが息の根を止められるまで、ここでずっと傷つけてあげるよ。」
第十三の月夜「弄ばれる心と過去」後編へ続く。