楽屋の片隅、床に膝を抱えてうずくまるSHOOTの肩が、小刻みに震えていた。
照明の落ちた静かな室内、薄暗がりの中に、彼の荒い呼吸と、かすかに鼻をすする音だけが漂っている。
涙の熱が頬を伝っては、静かに首筋を濡らし、床に落ちる前に袖で拭う。けれど、その袖ももうびしょ濡れだった。
「誰にも……見られたくない」
そう願っていた。
せめてこの瞬間だけは、誰にも知られず、壊れた自分を隠したまま、時間が止まってくれたらと。
だが、その静寂は唐突に破られた。
――カチャ。
楽屋のドアが、ためらうように静かに開いた音が響く。
すぐに、ひとつだけ、足音が近づいてきた。ゆっくりと、でもためらいのない歩み。
「……SHOOT」
その声が耳に届いた瞬間、SHOOTの身体がびくりと跳ねた。
目を上げなくても分かる。兄のMORRIEだ。
「やめて……来ないで……っ」
かすれた声。喉の奥にひっかかったような、泣き声まじりの拒絶。
平静を装いたくても、MORRIEにはもうすべてが見透かされていた。
「泣いてるの、気づかないとでも思った?」
低くて、けれど優しい。
逃げ場をなくすようなその声に、SHOOTはぎゅっと唇を噛んでうつむいた。
MORRIEは、SHOOTのそばまで歩いてきて、静かにしゃがみ込む。
その高さは、まるで彼の痛みを真正面から受け止めるための位置だった。
「お前、全部抱えすぎなんだよ。俺に甘えていいって、何回言わせんの……」
その言葉に、SHOOTの頬をまた涙が伝う。
どうしても――
どうしても、甘えたくなかった。
アイドルとして、弟として、ちゃんとした“自分”でいたかった。
でも、それができなくなった。
MORRIEは、小さくため息をつくと、やわらかな声で言った。
「ほら、こっち来い。……俺の前でぐらい、泣きたいだけ泣いていいから」
その一言で、胸の奥で張りつめていた最後の糸が、ぷつん、と音を立てて切れた。
「……もう、頑張れない……」
SHOOTは立ち上がることもできず、そのままMORRIEの胸元に崩れるように飛び込んだ。
MORRIEの腕がしっかりと彼を抱きしめる。何も言わず、ただ強く、優しく包み込む。
弟が壊れそうになるたびに、何度でも、何度でも、MORRIEは支え直すつもりだった。
SHOOTが一人で立てなくなったなら、何度だってその肩を貸すと決めていた。
──
数日後、公式から発表があった。
「日頃より、弊社所属グループBUDDiiSを応援いただき、誠にありがとうございます。
メンバーのSHOOTですが、心身のバランスを整えるため、一定期間の療養が必要との診断を受けました。
現在は医師の指導に基づいて治療をしております。
本人の回復を最優先に考え、メンバー、スタッフとも協議を重ねた結果、今回の公演に関して、出演を見合わせることに致しました。
今後につきましては、主治医の指導のもと、経過観察を行いながら仕事再開の時期を調整させていただきます。
いつも応援いただいておりますファンの皆様、関係者の皆様にはご心配・ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。」
SNSには、ファンたちの心配と励ましの声が溢れた。
あたたかいメッセージの合間には、心ない噂や憶測も飛び交っていた。
けれど、その時のSHOOTは、もう何も見ていなかった。
スマホも、テレビも、SNSも──一度、すべての光と音を手放した。
彼は今、海辺の小さな街にいた。
MORRIEが時間をかけて探し出してくれた、静かで穏やかな場所。
風の音が波にまじり、朝日がレースのカーテンをやわらかく照らす。
遠くで鳥が鳴いていた。
誰にも気づかれない部屋で、SHOOTはただ、自分の呼吸だけを感じていた。
MORRIEは、東京での忙しい日々の合間を縫って、何度も訪ねてきた。
アイドルの話も、ステージの話も、音楽の話も、しなかった。
ただ、一緒にラーメンを食べた。
波打ち際を散歩して、夜空を見上げた。
コンビニで買ったアイスを半分こした。
ある夜、星のきらめく空を見上げながら、SHOOTはぽつりと呟いた。
「ねぇ、ひで……俺、もう戻れないんじゃないかな……」
その声は震えていなかった。涙も、もう出なかった。
ただ、どこまでも静かで、少しだけ哀しかった。
MORRIEはしばらく黙って空を見ていた。
そして、ゆっくりとした声で、空に向かって言った。
「戻るために休んでんだろ。……お前が“帰りたい”って思ったら、そん時は絶対迎えに行くから」
その言葉を聞いても、SHOOTは泣かなかった。
ただ、目を伏せて、小さく「うん」とだけ呟いた。
それだけで、十分だった。
──夜が、少しずつ明け始めていた。
コメント
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今回も最高でした! お知らせの所が本物そっくりすぎてびっくりしました! 次も楽しみです!