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ありんす
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#ライトノベル
こはる
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自転車和尚
1,608
2,949
=第1話 木の子と天環樹✢=======
【登場人物】
リト
天環樹で暮らす木の子。
背丈はソラフネの大人の腰ほどで、小柄な身体に大きな頭を持つ。
髪は若葉のような黄緑色で、毛先が葉の形に分かれている。
丸みのある頬と大きな茶色の瞳が特徴。
肌は薄いベージュで、手首や足首には樹皮に似た模様がある。
右腕には小さな年輪のような印が三つ並んでいる。
緑の短い上着に茶色の腰袋を身につけ、木製の短い棍棒を持ち歩いている。
好奇心旺盛で、珍しい素材を見つけると夢中になる。
ノックバックは得意だが、まだ大型の樹獣を押し返すほどの力はない。
ミトラ
天環樹の工房で働くソラフネの武器職人。
小柄で細身の女性。
背丈はリトの二倍ほど。
長い耳の先が少し外側へ曲がっている。
柔らかな茶色の髪を後ろで束ね、額には短い前髪がかかっている。
瞳は落ち着いた緑色。
モカ色の作業着に、丈夫な革の前掛けを身につけている。
腰には加工道具がいくつも下がっている。
武器の性能にこだわりがあり、木の子が持ち帰る素材を見るのが楽しみ。
ポル
天環樹の市場で道具屋を営むソラフネ。
丸い顔とふっくらした身体を持つ中年の男性。
短い黄緑色の髪が頭の左右へ跳ねている。
耳はミトラより短く、先端が丸い。
黄色の上着に茶色のズボンを合わせ、大きな腰袋を身につけている。
陽気で世話好き。
木の子たちが樹ダンジョンへ出かけるたびに、必要な道具を持っているか確認する。
ネム
リトと同じ天環樹に暮らす木の子。
リトより少し背が低い。
淡い緑色の髪は丸く膨らみ、頭の上から小さな双葉が伸びている。
瞳は薄い紫色。
茶色の短い服に、黄色の肩掛け袋を身につけている。
腕には年輪の印が二つある。
慎重な性格で、樹ダンジョンの道順を覚えることが得意。
リトとはよく一緒に探索へ出かける。
樹獣・コロネ
樹ダンジョンの浅層に生息する小型の樹獣。
丸い身体は樹皮に覆われ、四本の短い根を脚のように動かす。
頭には小さな葉が二枚生えている。
目に見える部分は二つの丸いくぼみだけ。
身体を転がして突進する習性がある。
攻撃力は低いが、勢いをつけると意外に重い。
ノックバックの練習相手として木の子たちによく知られている。
樹獣・ネバネ
樹ダンジョンの浅層から中層にかけて現れる樹獣。
背丈はリトの膝ほど。
弾力のある根が何本も絡まって丸い身体を作っている。
頭には黄色の小さな花が一輪咲いている。
ゆっくり移動するが、地面へ根を張ると簡単には動かなくなる。
身体には弾力のある繊維が含まれている。
◆
天環樹の朝は、足元から始まる。
こつん。
こつん。
幹の奥から、小さな音が聞こえてきた。
それは誰かが扉を叩いている音ではない。
樹液が太い管を通り、天環樹の内部を巡っている音だった。
ソラフネたちは、その音を聞きながら眠り、目を覚まし、食事をする。
何世代も前から続いてきた、ごく当たり前の暮らし。
今日も天環樹は、ゆっくりと朝を迎えていた。
幹の内部には、いくつもの町がある。
樹皮をくり抜いて作られた住居。
太い枝を利用した通路。
樹液を流すための管。
根を編んで作られた吊り橋。
それらが幹の内側を上下左右に広がり、一つの大きな生活圏を作っていた。
天環樹の中心へ向かうほど通路は太くなり、外側へ向かうほど細くなる。
外壁に近い場所には、自然にできた窓がいくつもある。
そこから朝日が差し込み、幹の内側を淡い黄色に照らしていた。
市場では、すでに店が開き始めている。
焼いた木の実の香り。
樹液を煮詰めた甘い菓子の香り。
新しく削られた樹皮の香り。
小さな荷車を押すソラフネたちが、通路を行き交っていた。
「今日はよく流れてるねえ」
「昨日より樹液が多いんじゃない?」
「そうかもしれないね。朝から管がよく鳴ってるよ」
ソラフネたちは足元から伝わる振動を感じながら、いつも通りに仕事を始める。
天環樹の中では、樹の調子も日常の話題だった。
その町の一角。
樹皮でできた小さな扉が、内側から勢いよく開いた。
「よしっ!」
飛び出してきたのは、一人の木の子だった。
若葉のような黄緑色の髪。
毛先は葉のように分かれ、動くたびにふわふわと揺れる。
丸い頬に、大きな茶色の瞳。
緑の短い上着を着て、腰には茶色の袋を下げている。
名前はリト。
天環樹を守る木の子の一人だった。
リトは扉の前で立ち止まり、両腕を大きく伸ばした。
「んんーっ!」
背中を伸ばすと、右腕に刻まれた三つの輪が少しだけ動いた。
樹皮に似た模様。
木の子なら誰でも持っている、不思議な印だった。
リトはその輪を気にすることもなく、腰袋の中を確認する。
小さな水筒。
樹液を固めた保存食。
素材を包む布。
そして、使い慣れた木製の棍棒。
「よし。全部ある」
そう言って歩き出したところで、背後から声が飛んできた。
「リトー!」
振り返ると、細い通路の向こうからネムが走ってきた。
淡い緑色の髪が丸く膨らみ、頭の双葉が上下に揺れている。
黄色の肩掛け袋を押さえながら、短い脚で一生懸命走っていた。
「待ってよ。今日は一緒に行くって言ったでしょ」
「あれ、もう来てたの?」
「来てたの、じゃないよ。約束したんだから」
「ごめん、ごめん」
リトが笑うと、ネムは少しだけ頬を膨らませた。
けれどすぐに、リトの腰にある棍棒へ目を向ける。
「今日もそれ?」
「うん。まだ使えるし」
「先が減ってるよ」
「昨日、コロネをいっぱい押したからね」
リトは棍棒を抜き、先端を見せた。
木の表面には細かな傷がついている。
先端も少し丸く削れていた。
「そろそろミトラに見てもらったほうがいいんじゃない?」
「今日は素材を集めるつもりなんだ。いいものが見つかったら、新しい武器を作ってもらう」
「それなら早く行こう」
二人は並んで市場へ向かった。
天環樹の通路には、ソラフネだけでなく木の子も暮らしている。
木の子の住居は、ソラフネの家より小さい。
扉も低く、窓も丸い。
大きな家具を必要としないため、幹の細い部分に作られていることが多かった。
ソラフネの子どもたちは、通りかかる木の子を見つけると手を振る。
「リトー!」
「今日はどこまで行くの?」
「中層?」
「今日は浅層だよ!」
リトが答えると、子どもたちは少し残念そうな顔をした。
「なんだあ。中層じゃないんだ」
「浅層にも珍しいものがあるんだよ」
「ほんと?」
「たぶん!」
「たぶんかあ!」
笑い声が通路に広がった。
市場の入口では、ポルが店先に道具を並べていた。
丸い顔に、左右へ跳ねた黄緑色の髪。
黄色の上着を着たポルは、二人の姿を見るなり大きく手を振った。
「おお、今日も元気だねえ!」
「おはよう、ポル!」
「おはようございます」
ネムが丁寧に頭を下げる。
ポルは二人の腰袋をじっと見た。
「保存食は?」
「ある!」
「水は?」
「あるよ」
「帰りの分まで?」
リトは少し考えた。
「……たぶん」
「たぶんじゃ困るねえ」
ポルは店の奥へ引っ込み、小さな樹液菓子を二つ持って戻ってきた。
「ほら。持っていきな」
「いいの?」
「今日は浅層だろう? でも道が変わるかもしれないからね。食べ物は多いほうがいい」
「ありがとう!」
リトは受け取った菓子を腰袋へ入れた。
ネムも礼を言って肩掛け袋へしまう。
ポルは二人の頭を順番に撫でた。
「怪我しないようにね」
「大丈夫。今日はいっぱいノックバックしてくる!」
「いっぱい押してもいいけど、帰り道まで押し忘れるんじゃないよ」
「そんなことしないって!」
二人が笑いながら歩き出すと、ポルも笑って手を振った。
樹ダンジョンの入口は、市場から少し離れた場所にある。
町の通路を進み、太い根で作られた階段を下りると、大きな円形の広場へ出る。
広場の壁には、巨大な裂け目があった。
裂け目の内側からは、ひんやりとした風が流れてくる。
その奥に広がっているのが、樹ダンジョンだった。
入口の横には、木製の案内板が立っている。
浅層。
中層。
深層。
根層。
四つの階層名が、古い文字で刻まれていた。
浅層には小さな丸印。
中層には二つの丸印。
深層には三つ。
根層には何も描かれていない。
リトは案内板を見上げた。
「今日は浅層の奥まで行こう」
「昨日の採取場所?」
「うん。あそこならネバネがいるかもしれない」
「ネバネの繊維が欲しいんだよね」
「そう!」
リトは棍棒を肩に乗せた。
「ミトラが言ってたんだ。あれがあれば、もっと押しやすい武器が作れるって」
ネムは肩掛け袋から折りたたんだ地図を取り出した。
昨日歩いた通路が、丁寧な線で描かれている。
「でも、今日も同じ道とは限らないよ」
「大丈夫。ネムがいるから」
「ぼくが全部覚えてると思わないでよ」
「覚えてるでしょ?」
「……少しは」
ネムは地図を広げ直した。
リトは笑いながら、裂け目の奥へ一歩踏み出した。
樹ダンジョンの中は、町とはまるで違っていた。
通路の壁は削られていない。
自然に曲がった樹皮が、そのまま天井や床を作っている。
足元には細い根が走り、壁の隙間からは小さな葉が伸びていた。
ところどころに光る樹液が固まり、淡い緑色の光を放っている。
そのため、たいまつを持たなくても歩くことができた。
リトは壁に触れた。
ひんやりしている。
けれど奥のほうには、わずかな温かさがあった。
「今日も元気だね」
リトが壁を軽く叩く。
こつん。
返事のように、奥から樹液の流れる音が聞こえてきた。
ネムは地図を見ながら首を傾げる。
「ねえ、リト」
「なに?」
「昨日、ここに曲がり道あった?」
リトが顔を上げた。
正面には二つの通路がある。
右側は昨日通った道。
左側には、昨日までなかった細い道が伸びていた。
「なかったと思う」
「だよね」
ネムは地図を裏返して確かめた。
「やっぱりない」
「じゃあ新しい道だ!」
リトは嬉しそうに近づいた。
ネムが慌てて袖を引っ張る。
「待って。今日は素材を集めるんでしょ」
「ちょっとだけ見たい」
「ちょっとだけって言って、いつも奥まで行くじゃない」
「今日は行かないよ」
「本当に?」
「……たぶん」
ネムは深く息を吐いた。
「その返事、信用できない」
二人は顔を見合わせ、結局、昨日から使っている右側の通路へ進んだ。
しばらく歩くと、床が少し広くなった。
丸い部屋だった。
天井から細い根が垂れ下がり、中央には大きな樹皮の塊がある。
その塊の横で、何かが動いた。
ころん。
小さな丸いものが転がる。
「いた!」
リトが棍棒を構えた。
樹皮に覆われた丸い身体。
四本の短い根。
頭から伸びる二枚の葉。
コロネだった。
コロネはリトたちに気づくと、身体を小さく震わせた。
葉がぴんと立つ。
次の瞬間。
ころころころっ!
勢いよく転がってきた。
「来た!」
リトは棍棒を横へ構える。
コロネが近づく。
あと三歩。
二歩。
一歩。
「えいっ!」
棍棒がコロネの身体へ当たった。
ぽこん!
軽い音とともに、コロネが後ろへ飛んだ。
床に落ちたコロネは、ころころと転がって止まる。
「よし!」
リトは棍棒を持ち直した。
しかしコロネはすぐに起き上がる。
二枚の葉を揺らし、また身体を丸めた。
「まだ来るよ!」
ネムが声を上げる。
「分かってる!」
今度は少し斜めから転がってきた。
リトは足を開き、棍棒を下から振り上げる。
ぽこん!
コロネの身体がふわりと浮いた。
そのまま樹皮の塊へぶつかる。
ころん。
コロネは一度跳ね返り、床に落ちた。
そして小さく震えたあと、身体の端から崩れ始めた。
樹皮が細かな粒になり、床へ吸い込まれていく。
四本の根も、二枚の葉も、少しずつ形を失う。
やがてコロネがいた場所には、小さな樹皮の欠片だけが残った。
リトは駆け寄り、欠片を拾い上げた。
「やった! 硬い樹皮!」
ネムも近づいて覗き込む。
「今日は状態がいいね」
「うん。これならミトラも喜ぶかな」
「きっとね」
リトは欠片を布で包み、腰袋へ入れた。
樹獣を倒すと、こうして素材が残ることがある。
残らないこともある。
同じ樹獣でも、手に入る素材は少しずつ違う。
だから木の子たちは、樹ダンジョンで何が見つかるかを楽しみにしていた。
リトもその一人だった。
「次はネバネだ!」
リトが歩き出そうとすると、ネムが腕を引いた。
「ちょっと待って」
「どうしたの?」
「棍棒、見せて」
リトは差し出した。
ネムは先端を指で触る。
「ほら。さっきのでまた削れてる」
棍棒の端には、新しい傷が増えていた。
「まだ使えるよ」
「使えるけど、次はもう少し押し方を考えたほうがいいよ」
「押し方?」
「コロネは転がってくるから、正面から押すと力がぶつかるでしょ。少し横へずらして押したほうが、棍棒も傷みにくいと思う」
リトは棍棒を眺めた。
「なるほど」
「それに、ノックバックって遠くへ飛ばすだけじゃないから」
「うん?」
「行かせたくない方向へ行かせないのも大事なんだって」
リトは少し考えた。
「つまり、押す場所を選ぶ?」
「そう」
「じゃあ次はやってみる!」
リトは棍棒を肩へ戻した。
二人はさらに奥へ進んだ。
通路は少しずつ細くなり、床には弾力のある根が増えていく。
踏むと、ふにっと沈む。
ネムは歩くたびに足元を確認していた。
「ここ、昨日より柔らかいね」
「そう?」
リトも足を踏み込んだ。
ふにっ。
「ほんとだ」
「根が増えてるのかも」
「じゃあネバネもいるかな」
「いるかもしれないけど……」
ネムは地図を見た。
「昨日の部屋は、この先のはず」
二人は曲がった通路を抜けた。
そこには、昨日と同じ大きな部屋があった。
天井が高く、床の中央には太い根が輪を描いている。
壁には樹液の光が点々と並び、奥のほうまで見渡せた。
そして中央の根の上に、小さな黄色の花が揺れていた。
「ネバネ!」
リトが声を弾ませる。
花の下には、絡み合った根の塊がある。
その根がゆっくりほどけ、短い脚のように動いた。
ネバネだった。
ネバネはリトたちを見ると、身体を左右へ揺らした。
一歩。
また一歩。
ゆっくり近づいてくる。
「今日はあの繊維が欲しいんだ」
リトは棍棒を構えた。
ネムは少し離れた場所へ移動する。
「根を張る前に押したほうがいいよ」
「分かってる!」
リトが駆け出した。
ネバネとの距離が縮まる。
「えいっ!」
棍棒が横から当たった。
ぽよん。
ネバネの身体が大きくへこんだ。
しかし、すぐに元へ戻る。
「わっ!」
反動でリトの腕が押し返された。
ネバネはその場で揺れながら、床へ細い根を伸ばし始めた。
「まずい、根を張る!」
ネムが叫ぶ。
リトはもう一度棍棒を振った。
ぽよん!
また弾かれる。
「全然動かない!」
ネバネの根が床へ食い込んでいく。
身体が少し低くなり、黄色の花だけが揺れていた。
リトは一歩下がった。
「どうしよう」
ネムは周囲を見回す。
「正面から押しても無理だよ」
「じゃあ横?」
「うん。でも根があるから……」
ネムはネバネの足元を見つめた。
「根を張ってない側がある」
リトもしゃがみ込んだ。
ネバネの身体の下から、何本もの根が伸びている。
しかし右側だけは、まだ床へ届いていない。
「そこか!」
リトは棍棒を握り直した。
「ネム、反対側へ行って!」
「分かった!」
ネムが小走りで移動する。
ネバネの身体が、そちらへゆっくり向いた。
その瞬間。
リトは右側へ回り込んだ。
「今だ!」
棍棒を低く構える。
狙うのは身体の中心ではない。
根を張っていない部分。
リトは足を踏み込み、棍棒を押し出した。
「ノックバック!」
ぽこんっ!
ネバネの身体が斜めへ傾いた。
床に張っていた根が引っ張られる。
ぷつん。
一本が外れた。
「動いた!」
リトは続けて押す。
ぽこん!
もう一本の根が外れる。
ネバネは身体を立て直そうとした。
けれどリトは止まらなかった。
「もう一回!」
ぽこんっ!
最後の根が外れた瞬間、ネバネの身体が床を滑った。
ころん。
ぽよん。
ぽよよん。
大きく跳ねたネバネは、部屋の端まで転がっていった。
「やった!」
リトが棍棒を掲げる。
ネムも嬉しそうに駆け寄った。
「うまくいったね!」
「うん! 真正面からじゃなくても押せるんだ!」
二人が喜んでいると、ネバネの身体が小さく震えた。
黄色の花が一度だけ揺れる。
そして、絡み合っていた根がゆっくりほどけていった。
細い繊維が床へ落ちる。
根の大部分は樹ダンジョンへ吸収されていったが、数本だけが残った。
リトは急いで拾い集めた。
「見て! これ!」
両手いっぱいの繊維。
柔らかいのに、引っ張っても簡単には切れない。
ネムが一本を持ち、軽く伸ばしてみた。
「いい素材だね」
「これなら新しい武器が作れる!」
リトは満足そうに笑った。
素材を袋へしまい終えると、二人は部屋の隅へ腰を下ろした。
樹液菓子を取り出す。
リトは包みを開き、小さくかじった。
甘い味が口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
「ポルのところの菓子って、いつも甘いよね」
「うん。もっと持ってくればよかった」
「さっき全部あるって言ってたのに」
「食べると減るから」
「それはそうだけど」
ネムは笑いながら水筒を開けた。
しばらく二人は何も話さず、樹液の流れる音を聞いていた。
こつん。
こつん。
幹の奥から、規則正しい音が伝わってくる。
樹ダンジョンの中でも、その音は聞こえた。
リトは菓子を食べ終えると、床へ寝転がった。
「ねえ、ネム」
「なに?」
「天環樹って、どこまで大きいんだろう」
ネムは天井を見上げた。
「どこまでって?」
「ぼくたちが歩いてるところも天環樹でしょ。町も、工房も、ダンジョンも」
「うん」
「外から見ると、もっともっと大きいんだよね」
「そうだね」
リトは両腕を広げた。
「こんなに大きいのに、まだ成長してるんだ」
ネムは少し考えてから答えた。
「だから毎日、道が変わるんじゃない?」
「そっか」
リトは笑った。
「じゃあ明日は、もっと面白い道ができるかも!」
「危ない道かもしれないよ」
「そのときは戻ればいい」
「リトは簡単に言うなあ」
ネムは呆れたように笑った。
休憩を終えると、二人は帰り道へ向かった。
ネムが地図を確認し、リトが先を歩く。
ところが、しばらく進んだところで二人は立ち止まった。
「あれ?」
リトが首を傾げる。
昨日まで通っていた細い通路が、途中で塞がっていた。
新しい樹皮が盛り上がり、壁のようになっている。
「ここ、通れたよね?」
「うん」
ネムは地図を広げた。
「昨日は真っ直ぐだった」
リトは壁を触った。
表面はまだ柔らかい。
天環樹が新しく作った樹皮だった。
「じゃあ別の道を探そう」
「待って。さっきの分かれ道、覚えてる?」
「あっ」
リトの顔が明るくなった。
「朝見つけた新しい道!」
「たぶん、あそこへつながってると思う」
「行ってみよう!」
二人は来た道を少し戻った。
途中、また一匹のコロネが現れた。
ころころと転がってくる。
リトは棍棒を構えた。
けれど今度は、正面から受け止めなかった。
少し横へ動く。
コロネが通り過ぎようとした瞬間、身体の側面を軽く押した。
ぽこん。
コロネは進む方向を変えられ、壁際へ転がっていった。
そのまま細い通路の奥へ消えていく。
「おお!」
リトは棍棒を見つめた。
「倒さなくても通れた!」
ネムが頷く。
「今の、よかったよ」
「ネムが言ってた通りだね」
「うん。押す方向を変えるだけでもいいんだ」
リトは嬉しそうに棍棒を振った。
「これなら棍棒も長持ちする!」
「そこが一番嬉しいんだ?」
「もちろん!」
二人は笑いながら歩き出した。
やがて朝に見つけた新しい通路へ出た。
壁には小さな葉が生え、足元の根もまだ柔らかい。
ネムが地図へ新しい線を書き加える。
「ここを通れば入口へ戻れそう」
「じゃあ今日の地図、少し新しくなったね」
「明日にはまた変わるかもしれないけど」
「それでもいいよ」
リトは前を見た。
「今日歩いた道は、今日の道だから」
ネムは少しだけ笑った。
「そうだね」
二人は新しい通路を抜け、樹ダンジョンの入口へ戻った。
外へ出ると、市場は朝より賑やかになっていた。
ソラフネたちが昼の食事を買い、工房からは道具を叩く音が聞こえてくる。
木の子たちも何人か帰還していた。
素材を抱えた者。
新しい道具を見せ合う者。
今日出会った樹獣について話す者。
みんな思い思いに過ごしている。
リトは腰袋を叩いた。
「早くミトラのところへ行こう!」
「うん!」
二人は工房へ向かった。
ミトラの工房は、市場の奥にある。
入口には、いくつもの武器が並んでいた。
短い棍棒。
長い杖。
根を編んだ盾。
先端に樹皮を巻いた槌。
どれも木の子が扱いやすい大きさに作られている。
ただし見た目は似ていても、性能は少しずつ違っていた。
工房の奥では、ミトラが作業台へ向かっていた。
茶色の髪を後ろで束ね、モカ色の作業着の上に革の前掛けをつけている。
長い耳の先が少し外側へ曲がり、緑色の瞳が手元の道具を見つめていた。
「ミトラー!」
リトが呼ぶ。
ミトラは顔を上げた。
「あら、リト。もう帰ってきたの?」
「うん! いい素材が取れた!」
「そう。それなら見せてちょうだい」
リトは作業台へ腰袋を置いた。
中から布包みを取り出す。
まずはコロネの硬い樹皮。
次にネバネの繊維。
ミトラは一つずつ手に取った。
「これは……なかなかいい状態ね」
樹皮を指で軽く叩く。
こんこん。
乾いた音がした。
「表面が均一だわ。これなら押力を受け止める部分に使える」
続いてネバネの繊維を引っ張る。
伸びる。
けれど切れない。
「こっちもいいわね」
「新しい武器、作れる?」
リトが身を乗り出した。
ミトラは微笑んだ。
「作れるわよ。でも、今の武器を見せて」
リトは棍棒を差し出した。
ミトラは先端を確認し、少し眉を上げる。
「ずいぶん削れたわね」
「いっぱい押したから」
「それは見れば分かるわ」
ミトラは棍棒を作業台へ置いた。
「でも、押し方も少し変わったみたいね」
「え?」
「傷の位置よ」
ミトラは先端を指差した。
「前は真正面からぶつけた傷ばかりだったけど、今日は側面にも細かい跡がある」
リトは驚いた。
「そんなことまで分かるの?」
「武器を作っているからね」
ミトラは笑った。
「今日は何と戦ったの?」
「コロネとネバネ!」
「ネバネを押せたの?」
「うん! 根を張ってたけど、横から押したら動いた!」
ミトラは満足そうに頷いた。
「なるほど。それなら次の武器は、今までと少し違うものがいいわね」
ミトラは棚から一本の短い柄を取り出した。
先端はまだ何もついていない。
「これを使いましょう」
「棍棒?」
「そう。でも先端にネバネの繊維を巻くの」
ミトラは素材を作業台へ並べた。
「普通の棍棒は、ぶつけた力がそのまま手へ返ってくるでしょ」
リトは頷いた。
「今日もネバネに弾かれた」
「でしょうね。でもこの繊維には弾力がある。押した瞬間に少し縮んで、そのあと元へ戻ろうとするの」
ミトラは繊維を引っ張り、指を離した。
ぴん。
元の長さへ戻る。
「この力をうまく使えば、リトが出した押力を相手へ伝えやすくなる」
「じゃあ、もっと遠くへ押せる?」
「相手によるわ。でも今より扱いやすくなると思う」
リトの瞳が輝いた。
「作って!」
「そのつもりよ」
ミトラは作業台の椅子を引いた。
「少し待っていてね」
工房の中に、細かな作業音が響き始めた。
ミトラは柄の先端へ硬い樹皮を取りつけ、その周囲へネバネの繊維を巻いていく。
繊維は柔らかく、巻きつけるたびに少し縮む。
ミトラは道具を使って長さを揃え、最後に細い根で固定した。
リトは作業台の横から、その様子をじっと見つめていた。
ネムも隣で見守っている。
「ねえ、ミトラ」
「なあに?」
「どうして木の子の武器って、押すものが多いの?」
ミトラの手が一瞬止まった。
「押すもの?」
「うん。ほら、普通の武器って、相手を倒すために作るんでしょ?」
「そうね」
「でもぼくたちの武器は、押力が大事って言うじゃない」
ミトラは少し考えた。
それから作業を続けながら答える。
「昔から、木の子の武器はそう作るものなのよ」
「昔から?」
「ええ。私が子どもの頃も、その前も」
「どうして?」
「さあ……」
ミトラは小さく首を傾げた。
「木の子は天環樹の用心棒だから、危ないものを遠ざけるためじゃないかしら」
リトは棍棒を見つめた。
「遠ざけるため……」
「倒さなくても、近づけなければ守れるでしょう?」
ミトラは穏やかに笑った。
「それに、押す力は便利よ。道を塞ぐものを動かすこともできるし、誰かが危ない場所へ近づいたときに助けることもできる」
「そっか」
リトは頷いた。
「じゃあ、もっと押せるようになりたいな」
「そのための武器を今作ってるのよ」
ミトラは最後の根を結び終えた。
新しい棍棒が完成した。
先端は以前より少し大きい。
硬い樹皮の周囲を弾力のある繊維が包み、表面には細かな模様が浮かんでいる。
柄はリトの手に合わせて細く削られていた。
ミトラは武器を持ち上げた。
「はい。試してみて」
リトは両手で受け取った。
「わあ……!」
持った瞬間、少しだけ重さが違うと感じた。
けれど振ってみると、意外なほど軽い。
「すごい!」
「まだ喜ぶのは早いわよ。試し押しをしてみましょう」
ミトラは工房の奥から、丸い訓練用の樹皮球を持ってきた。
床に置く。
「この球を、向こうの線まで押してみて」
リトは棍棒を構えた。
足を開く。
球を見つめる。
そして、ゆっくりと振った。
ぽこんっ!
球が床を滑った。
ころころころ。
目印の線を越え、さらに奥まで転がっていく。
「えっ!」
リトは目を丸くした。
ネムも驚いている。
「すごい! 前より遠い!」
ミトラは満足そうに頷いた。
「押力が伝わりやすくなったみたいね」
リトは棍棒を見つめた。
「もう一回やっていい?」
「いいわよ」
球を戻す。
リトはもう一度構えた。
今度は少し斜めから押す。
ぽこん!
球は進む方向を変え、別の目印へ向かって転がった。
「できた!」
リトは嬉しそうに跳ねた。
「これならコロネも押しやすそう!」
「ただし、強く押せばいいってものじゃないわよ」
ミトラは球を拾い上げた。
「相手の大きさや動きを見て、どこへ押すか考えること」
「うん!」
「それと、無理に中層へ行かないこと」
「……うん」
ミトラはリトの顔を覗き込んだ。
「今、少し迷ったでしょう?」
「ちょっとだけ」
「まったく」
ミトラは笑い、リトの頭を軽く撫でた。
工房を出る頃には、天環樹の内部に夕方の光が差し込んでいた。
外壁の窓から入る光が、通路の樹皮を柔らかく照らしている。
市場では夕食の準備が始まっていた。
焼いた木の実。
温かな樹液のスープ。
蒸した根菜。
あちこちから食べ物の香りが漂ってくる。
リトとネムは、ポルの店の前を通った。
「おや、帰ってきたね!」
ポルが顔を出す。
「ただいま!」
「今日はどうだった?」
「いっぱい押した!」
「素材は?」
「ちゃんと集めたよ!」
リトは新しい棍棒を掲げた。
「見て! ミトラに作ってもらった!」
ポルは目を細めた。
「おお、いい武器だねえ」
「前より遠くまで押せるんだ!」
「そりゃ頼もしい」
ポルは頷きながら、店先の籠を持ち上げた。
「それじゃあ、今日も天環樹は安心だ」
リトは少し照れくさそうに笑った。
そのとき、近くを通りかかったソラフネの子どもが、リトの棍棒を見つけた。
「新しい武器?」
「うん!」
「見せて!」
リトはしゃがみ、棍棒を子どもの前へ差し出した。
子どもは目を輝かせる。
「大きい!」
「でも軽いんだよ」
「これで何を倒すの?」
リトは少し考えた。
それから、ゆっくり答えた。
「倒すんじゃなくて、押すんだ」
「押す?」
「そう。危ないものが来たら、遠くへ押し返すの」
子どもは首を傾げた。
「どうして?」
リトは棍棒を持ち直した。
「天環樹を守るため!」
子どもは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ぼくたちも守ってくれる?」
「もちろん!」
リトは胸を張った。
「任せて!」
子どもは満足そうに頷き、家族のところへ走っていった。
ネムはその背中を見送りながら、リトへ顔を向けた。
「今の、かっこよかったね」
「そう?」
「うん」
リトは新しい棍棒を眺めた。
「でも、まだ浅層の樹獣しか押せないよ」
「それでも十分だと思う」
「もっと強くなりたいな」
「明日も樹ダンジョンへ行く?」
「もちろん!」
リトは迷わず答えた。
「今日見つけた新しい道も、まだ全部見てないし」
ネムは少し笑った。
「じゃあ明日は地図を描き直さないとね」
「お願い!」
「リトも手伝ってよ」
「うん!」
二人は並んで歩き出した。
天環樹の夕暮れは、町の上からゆっくり降りてくる。
外壁の窓から差し込む光が少しずつ弱くなり、代わりに樹液の灯りが通路を照らし始める。
ソラフネたちは店を閉め、家へ戻っていく。
工房の作業音も少しずつ減っていった。
リトは自分の住居へ戻ると、新しい棍棒を壁の道具掛けへ置いた。
腰袋から水筒を取り出す。
残っていた保存食を棚へしまう。
そして、今日使った布を広げて乾かした。
小さな部屋だった。
丸い窓。
樹皮の床。
根を編んだ寝床。
壁には、これまで樹ダンジョンで拾った小さな素材が並んでいる。
珍しい形の葉。
硬い樹皮の欠片。
不思議な模様のある根。
どれもリトにとっては大切な思い出だった。
リトは壁の前へ座り、新しい棍棒をもう一度手に取った。
先端を指で押す。
少しへこむ。
離すと、すぐに元へ戻った。
「すごいなあ」
リトは小さく笑った。
明日はどんな樹獣がいるだろう。
どんな素材が見つかるだろう。
新しい道は、どこへつながっているだろう。
考えているだけで楽しくなってくる。
ふと、リトは自分の右腕を見た。
三つの輪。
樹皮に似た模様が、手首の少し上に並んでいる。
リトは指先で一つずつなぞった。
「これも天環樹と同じなのかな」
誰に聞くでもなく、つぶやいた。
けれどすぐに棍棒へ目を戻す。
「まあ、いいや」
今は明日の探索のほうが楽しみだった。
リトは棍棒を壁へ戻し、寝床へ潜り込んだ。
樹皮の床はほんのり温かい。
幹の奥から、いつもの音が聞こえてくる。
こつん。
こつん。
樹液が流れる音。
天環樹が生きている音。
リトは目を閉じた。
今日もたくさん歩いた。
コロネを押した。
ネバネを押した。
素材を集めた。
ミトラから新しい武器を受け取った。
ポルにも褒めてもらった。
明日もまた、樹ダンジョンへ行く。
それがリトの日常だった。
同じ頃。
天環樹の奥深くでは、ゆっくりと根が伸びていた。
今日、リトたちが通った新しい道。
その先で、細い根が少しずつ絡み合っていく。
樹皮が盛り上がり、小さな部屋が形作られる。
床の中央には、丸い樹皮の塊が生まれていた。
やがて塊から四本の短い根が伸びる。
頭の部分には、二枚の葉。
ころん。
小さな樹獣が身体を転がした。
新しいコロネだった。
その近くでは、別の根がゆっくりと編み込まれている。
柔らかな繊維。
弾力のある身体。
小さな黄色の花。
ネバネも、少しずつ形を作り始めていた。
誰も見ていない樹ダンジョンの奥で、天環樹は明日の準備を続けている。
新しい通路。
新しい樹獣。
新しい素材。
木の子たちがまた訪れるための、小さな冒険の場所。
町ではソラフネたちが眠りにつき、工房の灯りも消えていた。
リトの部屋にも静かな夜が訪れる。
けれど天環樹の奥では、樹液が絶えず流れ続けていた。
こつん。
こつん。
規則正しい音が、幹の隅々へ伝わっていく。
リトは寝返りを打った。
枕元には、明日の探索に使う腰袋が置かれている。
壁には新しい棍棒。
窓の向こうには、枝の間を抜ける夜風。
その風が葉を揺らし、柔らかな音を立てていた。
リトは眠ったまま、小さく笑った。
明日もきっと、楽しい一日になる。
天環樹がそこにあり、
ソラフネたちが暮らし、
木の子たちが樹ダンジョンへ出かける。
そんな毎日が、これからもずっと続くと思っていた。
幹の奥から、また一つ音が響いた。
こつん。
こつん。
天環樹は今日も生きている。
そして木の子たちの次の冒険を、静かに待っていた。
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コメント
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読み終わりました🌙 「押す」っていう戦い方がすごく優しくて、天環樹の世界観にぴったりだなって思いました。リトが新しい武器もらって喜んでるシーン、すごく可愛かったです…! ネムとの距離感も自然で、二人並んで歩く後ろ姿が目に浮かびました。明日の探索も楽しみにしてますね☺️