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————放課後、私は上履きのまま学校の外階段を下っていた。
今度はローファーがなくなっていたのだ。家に帰れば古いやつがまだ残っているはずだけど、どうやって帰ろう。
上履きも恥ずかしいけれど、裸足やスリッパで帰るよりもマシのはず……。
我慢して電車に乗るしかない。
忍び寄る人影に気づき、足を止める。振り返るとその人物は花壇の隣で体育座りをしていた。
「……」
見なかったことにしよう。
小さく頷いてから、私は前を向いて歩き出す。
「なっ、なんで無視するんだ!」
いじけた子どものように叫ぶ人物は、このまま放っておいても収まらなさそうだったので、再び振り返った。
「……なにしているんですか、武蔵先輩」
「べ、別に声かけてほしかったわけじゃないからな!」
自分が声をかけてほしがっていたのに、何故だか照れたように言う武蔵先輩。
そして、立ち上がって目の前に立つと朗らかな笑みで私の手をとった。
「武蔵先輩の行動って本当に予測不可能ですよね」
武蔵先輩が眉を寄せて私の足下を眺めていることに気づいた。
「つっこみ待ちなのか、天然なのか……悩むな。どうオブラートに包んで切り返すのが一番恥をかかせずに済むのだろう……」
先輩、心の声漏れてます!
「靴が上履きのままだぞ」
「先輩、オブラートどこいったんですか?」
清々しいくらいはっきりと言ってくる武蔵先輩は腕を腰にあてて、仁王立ちしている。
その表情は〝言ってやったぜ!〟とでも言いたそうで、誇らしげだ。
「上履きなのは知ってます」
「そうか……」
武蔵先輩がなにかに気づいたように目を見開く。
「つっこみ待ちだったのか」
「もう、そういうことでいいです。先輩、私帰るところなんで」
「え? 靴は履き替えないのか?」
「ちょっと壊しちゃって」
咄嗟に嘘をついてしまった。
わざわざ言ったところで、どうにかなる気もしなかったし無駄な心配をかけたくなかった。
「家は遠いのか?」
「……隣駅です」
武蔵先輩は顎に手を添えて、少し考え込む素振りを見せる。
「ここで待っていろ」
そう言って足早に校舎の中に消えていった。
武蔵先輩って嵐のような人だ。
なにを考えているのかさっぱりわからないけれど、とりあえずここで待つしかなさそう。
十分後。階段に座って待っていると、自転車をひいていた武蔵先輩がやってきた。
「自転車通学だったんですか?」
「いや、部活のヤツに頼んで借りてきた」
「え! 借りてきたって……!」
「後ろにのれ」
夕日を背に武蔵先輩が優しく微笑む。
黒髪がオレンジ色に染まり、心地良さそうにふわりと風に靡いた。
「先輩が帰り大変ですよ……?」
「気にするな。その靴で電車にのるのは嫌だろう」
それは嫌だけれど……でもこのまま甘えて送ってもらっちゃっていいのだろうか。
きっと同じ方向ではないし、自転車も返さないといけない。
でも武蔵先輩は嫌な顔一つせずに微笑んで歩き出す。
「ましろん! 置いてくぞー!」
頼ってもいいものなのかと迷っていたけれど、この後に及んで断るのは気が引ける。
……それならお願いしちゃおう。
上履きで帰るの嫌だったし、せっかく先輩が自転車借りてきてくれたんだし!
「待ってください!」
私は自転車をひいて歩いている先輩の背中を追った。
電車で見る景色と、こうして自転車に乗りながら見る景色とでは全然違って見える。
こうして武蔵先輩と二人乗りをしているのが不思議。先輩の運転は最初不安だったけれど、案外安全運転で揺られるたび吹き抜けていく風が心地いい。
「しっかり腰つかんでくれないか?」
横を向いて乗っているため、片手で武蔵先輩のシャツをつかんでいる状態だった。
「段差でお前が落ちて怪我したら怖い」
「は、はい!」
ぎこちない体制で武蔵先輩の腰に腕を回す。武蔵先輩の背中は思ったよりも大きくて、温かかった。
「ん、それでいい」
武蔵先輩が優しい声で言った。いつもは妙なテンションで話している武蔵先輩が今は静かだ。回した腕から感じる温もりと、近い距離にドキドキする。
「黙っていて悪かった」
「え……?」
「俺たちの関係のことだ。なにも知らないお前を面白がっていたわけではないんだ」
腕の力を少し緩めて武蔵先輩の背中を見上げる。どんな表情かは見えない。けれど、少し苦しげな声だった。
もしかして、それを気にして会いにきてくれたのかな……?
「俺だけじゃなくて、あいつらもみんなそうだ」
「……わかってます」
私を騙そうとしていたわけじゃない。
彼らにとって言いにくいことで、できれば周りの人に知られたくなかった。そのことはみんなを見ていればわかる。
「気にしてくれて、ありがとうございます」
武蔵先輩は少し変わっているけれど、優しい人だ。
今だってこうして自転車を借りてわざわざ送ってくれている。武蔵先輩の優しさに触れて、心が温まっていく。
「……その」
言い出しにくそうに武蔵先輩が口を開いた。
「泉のことも悪かった。傷つけてしまったよな」
胸がちくりと痛む。九條くんのことを考えると苦しくて悲しい気持ちになる。腫れのひいていない傷のようで、まだ触れられたくない。
でも、武蔵先輩が謝る必要なんてないのに。
「アイツは大人ぶっていても、まだ子どもなところが多いから……。今後、泉のことで何かあれば言ってくれ」
なんとなく武蔵先輩は心の底から九條くんを嫌っているわけではない気がした。
まるで弟に手を焼いているお兄ちゃんみたいだ。
「それと、今回みたいにまた困ったことがあれば呼ぶんだぞ」
「はい」
今の武蔵先輩はいつもと違う。ふざけたりせずに、どこか大人で優しくて先輩なんだなって実感する。
私は武蔵先輩に気づかれないように小さく笑った。
「この辺で大丈夫です」
家に近くの公園を横切ったところで、私は言った。
家の前まで送ってもらったら、家族の誰かに見られてしまうかもしれない。
「どうせなら家まで送るぞ」
「大丈夫です! 少し歩きたい気分なんです」
苦しい言い訳だろうか。家の事情も知られてしまったから、察しているかもしれないけれど。
すると、自転車が停まった。私は地面に足を伸ばし、軽やかに着地した。
武蔵先輩にお礼を言おうと目の前に回り込むと、先輩は目を輝かせて夕暮れ空を眺めている。
「秘密主義っぽくていいな!」
「……あ、はい。そうですかね」
やっぱり武蔵先輩は、武蔵先輩だった。
「送ってくださって、本当にありがとうございました!」
武蔵先輩は腕を組み、片方の口角をつり上げて微笑んだ。
「じゃあ、気をつけろよ」
私は軽く手を振ってから、背を向けて歩き出す。
楽しい時間はあっという間に終わって、帰りたくない家へと帰らなければならない。
「ましろん」
五メートルほど離れた辺りで呼び止められる。振り返ると、真面目な表情の武蔵先輩。
「なにかあったら言うんだぞ」
踏み込んでこなかったけれど、もしかしたら武蔵先輩は私の靴のことを勘づいているのかもしれない。だからこそ、先輩はこんなに心配しているのかも。
でもいじめは言っても収まらないだろう。
それに、人に頼るってどうしたらいいのかわからない。今まで家族に頼ることを許されてこなかったから。
喉元でなにかがつっかえていて、言葉がでてこない。
先輩、私どう言ったらいいんですか。
辛いとか、悔しいとか、いじめられている事実を知られたくないとか色んな感情が入り交じって結局言葉にならないんだ。
だから、出てくる言葉は一つだけ。
「ありがとうございます!」
武蔵先輩は不服そうな表情だったけれど、私にはこれが精一杯だった。
海の紅月くらげさん