テラーノベル
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ゴミだらけの部屋の中は、どこか懐かしい感じがして、いつだったか、俺はここでずっと母親の帰りを今か今かと待っていたような、そんな気がする。
このままずっと待っていたら、いつかは帰ってくるんじゃないかって、そればかりを思って真っ暗な部屋の中でずっと膝を抱えて座っていた。
部屋の中が明るくなって、また暗くなって、また明るくなったとき、ガチャンと音がして、その音のする方へ行くと、そこにはずっと会いたくて仕方なかった母親の姿があった。
嬉しさを全面にして俺は母親を見上げると、母親は冷たい目で俺を見下ろして言った。
「あんたなんか産まなきゃよかった」
指が変にあったかい気がして、目を覚ましたら、りょうたが俺の指をまたべちょべちょになるまで食べていた。
「んぐ、ぁう“、んまぁっ!」
「りょうた、はらへってんのか?」
「ぁう!」
「みるく、のむ?」
「んきゃ!」
「わかった。じゃあ、こうじのとこ、いこう」
りょうたを抱き上げて、こうじがいる、だいどころに行った。
「こうじ。りょうた、はらへったって。みるく作っていい?」
「おぉ!しょっぴー!おはようさん!そこにあるから作ってくれるか?」
「うん。」
「今日はほんまに手が足りひんから、しょっぴーがいてくれて助かるわ!って、あかんあかん!鍋吹きこぼれとる!!」
「…。」
こうじは忙しそうだったから、りょうたを床に置いて、みるくを作って部屋に戻った。
俺がいると助かるってこうじが言ってた言葉が、なんでか耳に残った。
「けぷっ」
りょうたはげっぷしたあとも寝なかったから、布団の上に座らせた。
両手を握ると、りょうたは「んむっ!」と言って立ち上がった。
「お前立てるのか。」
「ぁう!」
「まだ掴まり立ちの時期だから、一人では立てないけどね。翔太が支えてくれてるからだよ」
後ろから声がして、振り返ったらあべちゃんが頭に白い布を巻いて白い服を着て、そこら辺の壁を紐のついた棒で叩いていた。
「あべちゃん、白いカッコでなにしてるの?」
「これは頭巾と割烹着っていうの。掃除する時は汚れちゃうからつけてるんだよ。これははたき。埃を取るの。それから、朝起きた時は、おはようって言うんだよ?」
「おはよう?」
「うん、おはよう。みんなに会ったときもそうやって挨拶してね」
「うん」と返事をしたら、あべちゃんはニコニコ笑いながら俺の頭をポンポンと撫でた。
「坊の部屋掃除したいから、坊と翔太、こたつがある部屋に行っててくれるかな? 埃吸っちゃうといけないから」
「わかった。りょうた、いくぞ。」
「んぶ!」
あべちゃんも忙しそうだったけど、俺と話す時はずっと目を見ててくれた。
俺がいるからりょうたは立てる、ってあべちゃんが言った言葉が、頭の中にずっと残っていた。
こたつのある部屋に行くと、ふっかとひかると、さくまが床に布切れを広げて、そこに手をついて廊下を走っていた。あべちゃんに言われた通り、俺は三人に「おはよう」と言った。
「おっ!翔太!おはようピーマン!!」
「さくま、なにしてんの?」
「雑巾掛け!床をピカピカにしてんの!」
「なんで?昨日らうーるが床拭いてたのに、もう一回拭くの?」
「今日は親父がお帰りになるから、念入りにしとかないとなんだよね。翔太おはよー」
「おやじ?だれ?」
「坊ちゃんのお父さんだよ。翔太、おはよう」
「りょうたの父親?組長?」
「そうそう!俺らのボス!」
俺の「なんで?」にさくま、ふっか、ひかるが順番に答えながら、おはようと言った。
りょうたの父親が帰ってくる。滅多に帰ってこない親が帰ってくる、俺の中に懐かしい記憶と気持ちが蘇ってきて、それは嬉しいことなんだろうな、と思ったから、りょうたに「りょうた、よかったな」と言った。
「…翔太、あと少ししたら朝ごはんの時間だから、坊ちゃんとここにいて?」
「わかった。」
「ふっか、さくま、ちょっといい?」
ひかるがふっかとさくまを連れてどこかに行ってしまったので、俺はまたりょうたと二人でこたつの中に入っておいた。
座っていたりょうたがころんと寝転がったから、俺も隣に転がってみた。
この中に入っていると、なんだか眠たくなる。
りょうたの目がゆっくり閉じていったのを見ているうちに、俺の目の前もだんだ真っ黒になっていった。
「しょっぴーがいてくれて助かるわ!」
「翔太が支えてくれてるからだよ」
こうじとあべちゃんの声が、頭の中でぐるぐると鳴っていた。
「ねぇ、親父にも翔太のお家のこと伝えた方がいいんじゃない?」
岩本は眉根を寄せて、目の前にいる深澤と佐久間にそう訴え、更に続けた。
「翔太の家のこと、詳しくはわからないけど、お父さんとかお母さんのこととか、もしかしたら気にしちゃうかもしれないし…親父に会って嫌な記憶とか出てきちゃうかもしれないし…何より坊に「よかったな」って言う翔太見てたら、なんか辛かった…」
岩本の言葉に深澤が答える。
「大体のことは伝えるつもりではあったけど、翔太は親っていうものをどう捉えてんだろ?翔太の顔を見る限り、親父の話に触れても表情は変わってなかったけど…」
岩本は続けて畳み掛けた。
「それが余計に辛いよ…。それって、自分の両親の事をまだずっと待ってて悲しむ子とはまた違うっていうか、なんていうか、自分のことは全部諦めてるみたいな…。あんな小さい子が他人の親が帰ってくるっていう時に「俺の親はいつかえってくるの?」って言わないの、そんなの辛すぎるよ…。」
「照、そこまでにしときな。あとでゆっくり聞くから。とりあえず、照の言うことも一理ある。親父が帰ってきたら時間もらうよ。それでいい?」
「…うん。」
今にも泣き出してしまいそうに顔を歪める岩本を宥めて、深澤はその場をまとめた。
佐久間は自身の手の平に爪が食い込むほどに拳を握り締めながら、二人のそのやりとりを、ただ静かに聴いていた。
三人の話し合いが落ち着き、少しの沈黙が生まれる。
重たい空気が三人の周りに立ち込め、元来そういう雰囲気は苦手である佐久間は、何か話題を変えようかと持っていた雑巾を頭の上に掲げ、「とりあえず掃除戻ろうぜ!」と声を発そうとした瞬間、全員の耳をつんざく程の声が屋敷中に響き渡った。
「目黒!!いい加減にしろ!!!邪魔するなら帰れ!!!!」
「…阿部ちゃん。朝から元気だね。」
「それを言うなら、懲りないめめもだろ」
「間違いない」
先ほどまでの重たい空気はどこへやら、阿部の大声にすっかり気が抜けて、三人はスンと据わった目をしながら、先ほどまで雑巾掛けをしていた長い廊下まで戻っていった。
「康二くん、康二くん」
ラウールは、台所の入り口にかかっている暖簾をくぐりながら、向井に声を掛けた。
一方で向井は、よそ見をする暇もないほど、一人で大量の料理を相手にしながら、ラウールに背を向けた状態で「なんや?」と返事をした。
「撮って欲しい写真があるの、早く来て!お願い!!」
「今忙しいん見て分からん?後でええか?」
向井は朝から火をかけっぱなしの煮物と睨めっこをしながら煩わしそうにそう答えた。
「組長絶対喜ぶと思うんだけどなー、いいのかなぁー、そんな絶好のシャッターチャンス逃しちゃってー」
「う“っ…」
自分たちの親父が絡めば断れまいと、そんな誘い文句で何が何でも引っ張り出そうというラウールの魂胆に、向井は「わかったわかった」と苦い顔をしながら、コンロの火を全て止めて、自室に置いてあるカメラを取りに向かった。
「早く早く!」
「そんな急かさんとって!」
向井の手を引いて、ラウールは小走りで廊下を進んでいく。
どうやら居間に目的の何かがあるようで、到着してからラウールに「ここに何があるん?」と尋ねた。向井もここまで来ると気になってきて、自発的に部屋の中を見回すと、こたつのそばに小さな二つの頭が転がっているのが見えた。
「めっちゃ可愛くない??」
ラウールは口元を両手で押さえながら、向井にそう言った。
二つの球体がよく見えるようにと、向井はそっと近付いた。
そこには、少年と赤ん坊が横になっていて、いつの間に触れ合ったのか、我らがボスの宝物は翔太の人差し指を握り、二人は向かい合って眠っていた。
「こら可愛えぇなぁ。親父の坊コレクションに追加やな。」
「見つけた僕、超天才じゃない?」
「おん、これは永久保存版やな。」
向井は、様々なアングルから穏やかな顔で眠る二人の天使の写真を撮っていった。
ラウールは柱にもたれながらその様子をずっと眺めていて、「きゃは」と小さな声で笑って後ろに仰け反った拍子に鴨居に頭をぶつけていた。
続
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