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──翌朝、ヒルデガルドが目を覚ますと部屋にイーリスはいなかった。渡したメモやローブもなく、どうやら買い出しにいったらしい。
窓から差し込む陽射しに眩しさから目をこすり、ぼんやりする。
「そうか。昨日は色々と忙しかったから……」
大きなあくびがでる。まだ少し眠たかった。
「あれ、もう起きたの?」
部屋の扉が開き、荷物いっぱいに膨らんだ紙袋を抱えてイーリスが帰ってくる。「頼まれてた買い出し、行って来たよ」と、テーブルのうえにそっと置いた。
「ありがとう。これで髪の色をまた変えられる」
おいおい、二度と髪の色が戻ってしまわないように新たな調合を考えなくてはならないと思いつつ、さっそく準備に取り掛かる。
「師匠。こんな小さいナイフだけで本当に大丈夫なの? 買ってきておいて言うことじゃないかもしれないけどさ……」
用意したのは染料の代用品に使う赤い果実と薬草を細かく刻んで混ぜ、布で包んだら揉み潰して、絞った水分だけをグラスに溜めていく。
「あとは魔力を注げば完成。この薬草が魔力によく反応するのを利用した染色剤の作り方なんだが……効能は見た通りの期限付きだ。改善すべきは魔力の量か、はたまた薬草の量か。それは分からんが、しばらくはこれで出歩ける」
皿の液体に指先で触れ、小さな光が全体にいきわたるとヒルデガルドはひと息に皿にあった液体を飲み干した。ものの数秒で髪は深紅色に染まり、イーリスが「おお~」と嬉しそうにパチパチと手を叩く。
「これがもし色の落ちない染料として使えるなら、将来的には髪だけじゃなくて布地や染めるのにも使えそうだね。下世話な言い方だけど、稼ぐ目的であればこの技術ひとつでずっと食べていけそうなくらいだ」
一見すれば簡単そうな作り方だが、魔力の配分は微細でイーリスはとても自分が作れるレベルのものではないと感じた。作り手に大きく依存する技術は、市場をほぼ独占できると言っても過言ではない。
だがヒルデガルドはなんの興味もなさそうだった。
「工程自体は難しくないから、欲しいというのなら誰にでもくれてやるようなものだよ。少し魔力の扱いに難があるせいで誰もやろうとしなかっただけだ」
そう言われてイーリスがぷくっと頬を膨らませた。
「それが出来るから凄いのに。ボクも言ってみたいな、それ」
「だったらそれなりに努力を積み重ねていかないとな」
髪を染め終えたら、ヒルデガルドは自分の荷物の中から小さな手帳を取り出してイーリスに投げ渡す。ぼろぼろで年季が入っているのが分かる代物だ。
「あの……これってもしかして?」
「私が、かつて師と積んだ努力の結晶だ」
開けば、そこにはぎっしりと文字が刻まれていた。植物などの挿絵もあり、あらゆる分野の魔法について調べ上げ、さらには開拓までしてある貴重な魔術書。誰もが憧れる大賢者の活動の記録とも言えるものである。
「やるよ。これからの君には必要だろう?」
「えっ! こ、こんな貴重なものをですか!?」
「素に戻ってるぞ。弟子なんだから当然だろう」
「あ、ご、ごめん。あまりに驚いちゃって……」
魔導師を目指す者なら喉から手が出るほど欲しくなるだろう。それに触れたのはイーリスが最初で、驚かないでいるほうが無理な話だ。
「くたびれてて読みにくいかもしれないが、まあ我慢してくれ。使えなくなるまで読んでくれて構わない。私にはもう全部頭に入っているからな」
「あ、ありがとう! 大切に読ませてもらうよ!」
手帳を抱きしめ、嬉しそうにするイーリスの肩をぽんと叩いて「朝食にでもしよう。昼まではまだ時間がある」と誘い、ギルドの中にあるし酒場へ立ち寄った。夜とは違い人の数は少ないが、朝から酒を飲んで楽し気にしている客ばかりだ。
パンとスープを注文してしばらく席に座って待っているあいだ、イーリスはさっそく貰った手帳を開いて、じっくり目を通している。
「イーリス。君の村では今もみんな元気なのか?」
「うん。今じゃ作物を荒らされることもないんだ」
ヒルデガルドに救われ、新たに結界が張られてからは一度もコボルトの襲撃を受けていない。そもそもまだ生き残っているかさえ怪しいほど村の周辺は静かなものだった。作物を都市部へ運ぶのは変わらず危険ではあったが、ギルドとの契約で定期的に冒険者たちが来てくれるので、今は穏やかに暮らすことができているという。
「いつかまた来てくれると嬉しいな」
「ああ、それは良い。結界もそろそろ新しくするべきだ」
いくらヒルデガルドの張った結界といえど時間が経てば弱く脆くなっていく。いくら魔物の脅威が去って平和になっているとはいえ、いつ何が起きても大丈夫なように備えておくのは大事だ。
パンとスープが届いてゆっくり朝食を取りながら、そんな話をしている最中に「ヒルデガルド・ベルリオーズさん。おはようございます」とイアンが彼女の姿を見つけて小さく手を振り、声を掛けてきた。
「やあ、イアン。今日も忙しそうだな」
「ほどほどに。ところで実は新しい水晶が届いたんです」
「ずいぶん早かったな。あとで受付に行くよ」
「お待ちしております。次はきっと壊れないので安心して下さいね」
親指を立てて愉快に去っていくイアンに苦笑いを浮かべた。
「……本当に壊れなかったらいいんだが」