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「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げる川崎社長。
「・・・」
俺は苦笑いするしかなかった。
川崎社長の記事が出るらしいと聞かされたのは、今日の重役会議。
社長以下出席者も揃い、さあ始めようという時だった。
いきなり俺の目の前に立った河野副社長は、どこから持ってきたのか発売前の原稿を広げて見せた。
「これはどういうことですか?専務の調査が甘かったんじゃありませんか?」
記事を見せられそう言われれば、返す言葉がない。
「ここまで進んだ事業計画を白紙に戻す事でどれだけの損失がでるか、分かっていらっしゃいますか?」
畳みかけるよう言われ、
「ええ」
感情のこもらない返事を返した。
この状況が危機的なのは、言われなくても分かっている。
「ほー、じゃあどうするお考えかぜひ聞かせてください」
意地悪く俺を見る河野副社長。
「それは・・・」
きっとこの時、俺は挑発に乗ってしまったんだ。
河野副社長は、はじめから俺を追い込むつもりだった。
それなのに、
「ご自身で責任をお取りになるんですね?」
すごい気迫で詰めよられ、
「そのつもりです」
と、言い返してしまった。
「専務っ」
徹の焦った声が耳に届いたが、俺は無視した。
こんな挑発に乗るなんてまだまだだな。
でもなんとかしよう。この事業だけはどうしても成功させたいんだ。
***
「本当に、なんとお詫びしたらいいんだか・・・」
さっきから同じ言葉を繰り返す川崎社長。
相変わらず、経営者らしくない人だ。
良くも悪くも良い人過ぎて、危なっかしい。
目の前の急ぎの仕事だけを片づけて、会社を飛び出した俺は川崎紙業を訪ねた。
色々と思いを巡らすよりも、まずは本人に会って事実関係を確認するのが一番だと思えた。
そうしなければ、事態は前に進まない。
約束もなく訪れた俺は、すぐに社長室に通され、川崎社長と向きあって座った。
「この記事の内容は事実ですか?」
一番気になっている事をストレートに聞いてみた。
「私の父が川崎組の組長なのも、父から資金の援助を受けているのも嘘ではありません」
社長も正直に答えてくれた。
「しかし、言われているような黒い金では決してありません」
「本当ですか?」
「はい」
はっきりと答える川崎社長は堂々としていて、嘘は感じられない。
でも、だったらなぜ今こんな記事が出るんだ。
「父は、私が会社を起業する際にも設備投資をする際にも資金を出してくれています。それは事実です。しかし、あくまでも父親としてであって、川崎組とは無縁です。金の出所も、両親が私のために積み立てていてくれたものです」
間違っても組の金ではないんだと言い切った。
「そうですか」
その言葉を聞いて、俺はホッとした。
でも、それならなぜ?疑問は膨らむばかりだ。
***
「こういうことを言ってはなんですが、鈴木専務の方で何か思い当たる節はありませんか?」
えっ?
俺は驚いて顔を上げた。
一方川崎社長はまっすぐに俺の方を見て、
「私自身が普通でない環境に育ったのは事実です。子供の頃から誹謗中傷は当たり前に受けてきました。会社を始めるにあたってもずいぶんと逆風があったんです。しかし、今このタイミングにこのような記事を出すことでメリットのある人は私の方にいないように思います」
「それは・・・」
確かにそうかもしれない。
川崎紙業にとっても今回の事業は大きなチャンスではある。でも、仕事の1つでしかないのも事実だ。
この契約が流れたとして会社が窮地に立つ事はないだろう。
一方俺の方はかなり危うい状況だ。
今回の騒動、やはり河野副社長が関わっているのかもしれない。
川崎社長と話していて、俺はだんだんとその確信を持ち始めた。
まずは河野副社長を調べてみる方が先かもしれない。
「とは言え、誰か内部情報を流す人間がいなければここまでの記事は出ないでしょう。私の方でも調べてみますので、鈴木専務も調査をお願いします」
「はい」
おかしいな、どちらかと言うと抗議をしに来たつもりだったのに、今は俺の方が分が悪い気がする。
この人は、一見穏やかで温厚に見えて芯の強い人なのかもしれない。
俺はますますこの事業を成功させるんだと言う気持ちを強くした。
***
川崎社長と別れた後、学生時代の友人を訪ねた。
幸いというか、俺の周りには色々な業界の中心に近い人間が多い。
要はいいところのお坊ちゃん達が多いってことなんだが、今回みたいな時には本当に助かる。
記事を掲載予定の出版社の筆頭株主の息子という友人を頼り、裏事情を探ることができた。
そこで分かったことは、
この記事は内部告発者によって持ち込まれたものであること。
掲載に当たってはなんだかの圧力がかかっていたこと。
結局、誰かが仕組んでわざと掲載しようとした記事だった。
「どうする、もっと詳しく調べるか?」
俺が切羽詰まった状態なのを感じ取って友人が言ってくれるが、
川崎社長が調べてくれる以上、内部密告者は明日にでも見つかるだろう。
この騒動を企んだ人物は、調べるまでもなく分かっている。
後は証拠を集めるしかない。
「もう十分だ。後はこちらで調べてみる。ただ、記事は止めてくれないか?記事の内容も信憑性に欠けるし、川崎組と対立しても何のメリットもないだろう?」
友人にまともな判断力があれば、きっと理解してくれると信じ訴えた。
もしそれでもダメなら、金を積んででも記事を止めるつもりだった。
「わかった。おやじに言っておく」
「いいのか?」
「こんなガセネタ流したんじゃ、信頼をなくしてしまうだけだ」
あっさりと言われ、ホッとした。
「ありがとう」
俺は友人にこれからの段取りを説明し、頭を下げた。
***
今まで、自分の生まれも育ちも窮屈に感じることばかりで、恵まれていると思った事は無い。
しかし今回ばかりは、金持ちの息子であることに助けられた。
情報をくれる友人たちがいなければこんなにも早く真相を突き止めることができなかったし、対応策を練ることも難しかっただろう。
やはり、鈴森商事の御曹司であることが解決には大いに役に立った。
まぁ、そもそも俺が鈴森の跡取りでなかったらこんな騒動自体起きていないんだから感謝することもないのかもしれないが。
「孝太郎、もう大丈夫なんだな?」
「ああ、心配をかけた」
俺が徹と会ったのは騒動発覚から2日後の夜だった。
会社にも顔を出さず走りまわった俺はやっと事の終息を図ることができた。
まだいくつか問題が残っているが、川崎社長の潔白の証拠は用意して記事を止める段取りをした。
来週早々の重役会議で役員たちを納得させれば、事業計画は再び動き出すだろう。
「河野副社長の事はどうするんだ?」
「そうだな・・・」
一気に解決したいところだが、そう簡単にもいかないだろう。
長い間会社を支えてきてくれた河野副社長を排除することは、容易ではない。
「このままには出来ないだろう?」
徹も心配そうな顔だ。
「直接話してみるよ」
河野副社長がどんなつもりかわからないが、今回の事件の黒幕であることに間違いは無い。
出来る事なら穏便に解決したいが・・・
このときの俺は、自体を少し甘く見ていた。
***
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
彼女と顔を合わせたのは週明けの月曜日。
5日ぶりの事だった。
「ずいぶん心配をかけたね」
きっと彼女も心配をしていてくれたことだろうと、できるだけ明るく声をかけた。
しかし、彼女の反応は意外なものだった。
「専務、これを見ていただきたいんです」
いつもなら朝1番でコーヒーを運んできてくれるのに、今日は両手に書類を持ってデスクの前に立っていた。
「何?」
渡された書類に目を落とす。
え、ええ?
一瞬声を出しそうになった。
目の前に広げられたのは河野社長の個人口座の出入金や、ここ1ヶ月ほどの行動の記録。
いつどこで誰に会っていたかまで、詳細に記録されている。
それに、何枚かめくったところから出てきたのは、同じく川崎紙業の大津孝取締役の調査結果。
嘘だろ。
俺だって今回の騒動で内部事情をリークしたのが大津取締役なのは知っている。
しかしそれは、川崎社長から聞かされたからだ。
彼女が知るはずもないことなのに・・・
「これ、どうしたんだ?」
自分でもわかるくらい強ばった声を出していた。
「調べたんです」
「自分で?」
「ええ」
この状況を全く理解していない彼女は、うれしそうな顔をして見せる。
これは、完全な個人情報だ。
これだけの情報を得るためには、俺のように人海戦術で攻めるか、もしくは非合法な手段で手に入れるしかない。
きっと、彼女がとった行動は後者だ。
「こんなことをして、俺が喜ぶとでも思ったのか?」
完全に感情の消えた顔で、俺は彼女を見つめた。
「専務?」
ポカンと、見つめ返す彼女。
こいつは、本当に分かってないらしい。
***
「これ、どうやって調べたんだ?」
おおよその見当はついているが、一応本人に聞いてみる。
「そんなのどうでもいいじゃないですか」
「はあ?それ、本気で言ってる?」
俺は、普段からできるだけ感情を出さないように生きてきたつもりだ。
動揺を見せれば足元をすくわれるんじゃないかと強がってきた。
しかし、彼女の前ではそれが通用しない。
「手段はどうあれ、ここにある証拠は河野副社長が黒幕であることを示しています。今重要なのはそのことでしょう?」
一体何がいけないのかって態度を崩そうとしない彼女。
「これが表沙汰になれば、君は捕まるんだぞ」
俺は、あっけらかんと言い切った彼女を脅したつもりだった。
しかし、
「分かってますよ」
キッパリはっきりと言い切る。
「じゃあ、なぜこんな危険なことをした?」
お前はことの善悪もわからないほどのバカなのかと怒鳴りたいのを、グッとこらえた。
「それは、専務を助けたいと思ったからです」
どうやら、彼女の中で悪いことをしたつもりは全くないらしい。
本当に、困ったお嬢さんだ。
「こんなことをして俺が喜ぶとでも思ったか?」
「それは・・・」
「お前が危ないまねをして、俺が心配しないとでも思うのか?」
「・・・」
「やっていいことと悪いことの判断もつかないほど、子供な訳じゃないよな?」
ギリッ。
奥歯を噛みしめる小さな音が聞こえた。
ちょっと言い過ぎただろうか?
とった手段は別にして、彼女の行動は俺を助けるためだった。
危険を承知で、俺のために動いてくれた。
そのことは認めてやるべきだったのかもしれないと、うつむいてしまった彼女を見て心が痛んだ。
「・・・すみませんでした」
少し声を振るわせ、デスクに置いた書類に手を伸ばす彼女。
俺は彼女の手に自分の手を重ねた。
***
「片づける必要はない。これは俺がもらっておくから」
「でも・・・」
訳がわからないというように、彼女が俺を見る。
正直言って、ここにある証拠は俺が調べたものより詳細で確定的なものが多い。
さすがにそのまま出すことはできなくても、河野副社長を追い込む助けにはなる。
「せっかく調べてくれたんだ、ありがたくいただく」
「いいんですか?」
さっきはあんなに怒ったから、あっさりと受け取った俺の反応が不思議に見えるらしい。
「とった行動は気に入らない。でもやってしまったことはどうしようもないし、俺も聞いてしまった。である以上、俺も共犯だ」
「え、それは違います」
とっさに言い返す彼女。
「違わない。すべては俺のためにとった行動で、俺もそれを知った上でこの書類を受け取る。もし事が露見したときには、俺も責任をとるつもりだ」
「違います。おかしいです、そんなの。専務は関係ないのに」
やっぱり、こいつは何も分かっていない。
すべてが明らかになれば、『秘書が勝手にやったことです』なんていい訳するつもりはない。
そのことを全く理解していないんだ。
「もういい。この件は俺がなんとかするから、君は仕事に戻ってくれ」
これ以上話しても無駄と、俺は書類を片づけた。
「専務っ」
声を大きくして彼女は食い下がるが、
「これ以上話したくないんだ。下がってくれ」
俺は冷たく言い放った。
***
月曜日の午後、臨時に開かれた重役会議。
議題はもちろん、川崎紙業との新規事業計画について。
俺は色々と手を回し、河野副社長はもちろん、川崎紙業の大津取締役と、金を受け取って記事の掲載を決めた出版社側の内通者には内密に事を運んでいた。
事前に手の内を明かしてさらなる手を打たれても面倒くさいし、一気に解決したい気持ちもあった。
「それで、例の件はどうなったんだ?」
会議の冒頭、珍しく社長が口火を切った。
この数日間、何度か家で顔を合わせても何も言わなかった父さんも心配はしていたらしい。
「それについてですが」
俺は立ち上がり、用意してきた資料を掲げて見せた。
「お手元にも同じものをお配りしていますので、ご覧下さい。見ておわかりのように川崎紙業の資金の流れに不審な所はなく、健全経営と言えます。ご指摘にあった反社会勢力との繋がりについても、川崎組と川崎社長との直接的な関係はなく事実無根と考えます」
「しかし、こうやって記事が出るってことは、何かあるんじゃないですか?そういう企業と取引をすること自体にリスクがあると言っているんですよ」
そんなこともわからないのかと言いたそうに、河野副社長が声を荒げる。
「確かに、危険因子を含む企業との取引は危険だな」
個人的な感情は入れずに、あくまで中立の立場をとる父さんらしい意見。
「ご安心ください。記事を掲載予定だった出版社が再度調査したところ、内容に虚偽のあることがわかり今回の記事は掲載しないことになったと連絡をもらっております」
「「本当ですか?」」
「それでは何も問題ありませんね」
それまで黙っていた取締役達も声を上げだした。
一方河野副社長は、苦々しい顔で俺を見ている。
「しかし、何で契約直前のこのタイミングで騒ぎが起きたんだ?」
この場にいる中で一番冷静な父さんは、一連の騒動から何か陰謀めいたものを感じ取ったようだ。
「それについては現在調査をしておりますので、改めてご報告いたします」
真っ直ぐに河野副社長の方を見ながら言うと、副社長の方も俺を睨み返していた。
***
その日の夕方、俺は時間を作って河野副社長の部屋を訪れた。
「失礼します」
「どうぞ、座ってくれ。秘書は外させたからコーヒーは出ないんだ。すまないね」
「いえ」
別にコーヒーが欲しくて来たわけではない。
俺は、河野副社長との決着を付けるためにここへ来たんだ。
「私の圧力くらいでは、やはり君には通用しなかったね」
ソファーに腰を下ろし、さあどう切り出そうかと思っていると河野副社長の方が口を開いた。
「ご自分が仕掛けたこととお認めになるんですね?」
今さらとは思いながら、本人に確認してみる。
「ここで私が否定したとしても、君のことだから動かぬ証拠を持っているんだろう?」
薄ら笑いを浮かべて、俺を見る河野副社長。
この期に及んでも強気な態度を崩さないのは、ある意味感心してしまう。
「おとなしく退いていただければ、事を荒立てる気はありません」
俺は、辞職を迫った。
今まで何十年もこの会社を支えてきてくれた人だ。その能力も認めているし、恩義だって感じている。だからこそ、できるだけ穏やかにことを終息したい。
それに、ここまで来て往生際の悪いことをするような人ではないはず。
この時の俺はそう思っていた。
「ハハハ。君には負けたよ」
笑い声をあげ、穏やかに俺を見る河野副社長。
これで終わったのか?一瞬そう思った。
しかし、
「その前に、これについて説明してもらえるかね?」
ポンっと机に投げられた書類。
手に取り内容を見た瞬間、俺の顔が引きつった。
***
「随分優秀な秘書をお持ちのようだね」
形勢逆転とばかり意地悪い顔をする河野副社長。
俺は返事をすることもできなかった。
机の上に投げ出された書類。
そこには河野副社長の個人情報に関するアクセス記録と、青井麗子に関する調査報告書。
素人の俺が見ても、彼女にとって不利なのはわかる。
「これを公にすれば彼女がどうなるか、わかるよね?」
クソッ。
用意周到な河野副社長が黙って引き下がるわけなんてないと、想定しておくべきだった。
俺の読みが甘かった。
「ただ綺麗なだけのお飾り秘書かと思っていたが、こんな才能があったとは驚いた。一体どこで見つけてきたんだね?」
「・・・」
唖然として何も言葉の出てこない俺に対し、冗舌に話し続ける河野副社長。
この人は能力も力もある人だ。今までずっと鈴森商事を支えてきた人なんだ。
本気になれば、彼女の企てを暴くことなどたやすいだろう。
なぜ俺は、そのことに気づかなかったんだ。
「今回の件は私の負けだ。記事も止められてしまったし、川崎紙業との契約も今さら反対する気はない。しかし、追求はそこまでにもらう」
自分が黒幕のくせに、随分と上から目線で言ってくる。
これもすべて、彼女のことでこちらの弱みを握ったからだろう。
「こんなことをしておいて、お辞めになる気はないんですか?」
最後の手段と、良心に訴えてみるが、
「ないね。それとも、専務の秘書を訴えていいのか?」
「それは・・・」
悔しいけれど、腹立たしいけれど、今回はここまでで諦めるしかないだろう。
俺のために動いてくれた彼女を、犯罪者にするわけにはいかない。
「話はついたようだね」
「・・・」
「ことがことだけに社長からもその後の報告を求められるだろうが、そこは専務の方で上手にお願いします。親子なんだから簡単なことでしょう?」
河野副社長はニタニタと笑いながら言い放った。
クソッ。
クソッ、クソッ。
大声で叫びたいのを必死にこらえ、俺は副社長室を後にした。