「むむむ?」
肉に埋まって殆ど(ほとんど)その存在感を主張してこなかったコユキの双眸(そうぼう)が見開かれ、アスタロトの全身を確認していった。
肩口には左右ともタウン誌の束が見え、おでこの骨の一部はコユキ部屋に置いてあった青カビ塗れ(まみれ)のパンの様だし、わき腹には黄ばんだ女物のパンツも見えた。
それだけでは無く、コユキをイラ以上の憤怒に誘う存在、月刊ゲロゲロ(廃刊済み)の束が下腹部の辺りに溜まっているようである……
「ゲロゲロォォォォ! 許すまじ!」
コユキは子猫の死体を放り出し、アスタロトの下腹部に向けて、無我夢中のコンティショットを打ち捲るのであった!
凡そ(およそ)、闘いに於(お)いて、冷静さを失った者、或いは激情に駆られた者は、洋の東西を問わず敗残し、生き残ったとしてもその身を不遇の極みに置いてきた、それが常である……
如何に本観察の主人公、本編の主役たるコユキであっても、その例外足りえなかったようだ……
黒紫の上半身と紺碧(こんぺき)の鱗で覆われた蛇の下半身、その境目を打ち続けていたコユキは不意に全身の動きを拘束されてしまったのであった。
脂肪が付き過ぎて余り動かない首を捻って自分の周りを確認したコユキは、いつに無く弱々しく口に出すのであった。
「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ! んむぅ、せ、セクハラ~、よっ!」
コユキの言う通り、その体は、一対の翼、下方にあった腰辺りから生えた漆黒の巨大な蝙蝠(コウモリ)の翼にしっかりとホールドされてしまっていたのである。
アスタロトはコユキの願い等どこ吹く風と言った風情で、シンプルな言葉を紡いだ。
「『反射(リフレクション)』」
「ぐっ!」
瞬間、善悪の苦悶の声が周囲に響き渡るのであった。
それはそうだろう。
自らその純白の歯と、右手で絞め殺そうとしていたアスタロトへのダメージが一瞬で己に還って来ていたのだから……
だというのに、善悪は諦めてはいなかった、どころか、コユキが捉えられ自由に動く事ができない今こそ自分自身が戦うしかないと覚悟を決めるのであった、例え死んだとしても、である!
「くはっ~! なんのこれしきぃっ! む、ムッシュムラムラぁ~ぁっ!!」
歯と右手に握りこんだ二本の念珠に更に力を込める善悪、だが、その顔色は既に蒼白になっていたし、口元から溢れ出した泡も死ぬ一歩手前だと周囲に教えるのに充分なものであった。
アスタロトもやはり効いていたのであろう、軽くよろめいた後、磬の紐(けいのひも)に捕らわれていない右腕を伸ばすと、コユキのビキニ、パンツ部分に挟んであった二本のかぎ棒をむんずと掴んで、ボシェット城最上階に設えてあった、窓からポイっと投げ捨ててしまったのであった。
「こ、これさえ無ければお前は無力であろう? く、くはは、ははは」
かぎ棒を城外に投げ捨てたタイミングで翼の拘束が不十分になり、コユキを一歩下がらせてしまったアスタロトは、口元の泡もそのままに、コユキに対して自由な右手を伸ばして、再び拘束しようとしているようである。
「させるか! 再度! ムッシュムラムラあぁ~! ぐぐぐぐ! アフラ・マズダの皆! 力を、貸して、欲しいので、ぐっ! ござるっ!」
コユキを守る、その一心で叫んだ善悪の顔は既に青からグレーに代わりつつあり、誰が見ても酸欠状態その物であった。
どひゅんっ!
新たな大徳、旧七大罪は、言葉を発する事も無く善悪が握り締めた純白の念珠、アフラ・マズダへと入り込んで自らの魔力を善悪へと譲渡したのであった。
それほどの膂力(りょりょく)で締め付けられたアスタロトも当然尋常で無い涎を滴らせ、大きな穴しか無い眼窩(がんか)の中で紫の光彩をグルグル回転させながら、それでも尚、後退る(あとずさる)コユキを求めて、右手を周囲に振り回していた。
中々の根性を見せる。
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