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#山中柔太郎
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第八章 闇が還る月夜
第五話 夜へ歩き出す
中庭から戻ったあと、二人はそれぞれ、どこか気の抜けたように部屋で過ごしていた。
温かな午後の日差しが、客間の窓から静かに差し込む。
ジントはベッドへ寝転がったまま、ぼんやりと天井を見つめている。
白いシーツ。柔らかな枕。
こんな場所、自分には似合わないな、そんなことを考えてしまう。
一方ダイチは、部屋の隅に置かれた衣服を見て、感心したように声を上げていた。
「なぁ、見てこれ」
手に取ったのは、昨日まで着ていた自分たちの服だった。
昨日の教会の襲撃やこれまでの戦闘で裂け、血と泥で汚れていたはずなのに、今はまるで新品のように整えられている。
「すげぇな帝国……」
ダイチが感嘆する。
「こんなん、新品やん」
「やっぱ魔道具とか使っとるんかな」
「洗浄とか、修復とか……」
ぶつぶつ呟きながら、服を広げて眺めている。
ジントは小さく視線を向けた。
「……ダイチ、そういうの好きだよね」
「好きやで?」
ダイチが笑う。
「見たことないもん多すぎて、普通に楽しいわ」
「ラディスじゃ、こんなん無かったし」
その声はどこか呑気だった。
まるで今夜が特別な夜じゃないみたいに。
けれど本当は、二人とも分かっていた。
今夜が満月。
何かが起きる。
昨夜みたいに、また闇が暴れるかもしれない。
そんな予感だけが胸の奥に沈んでいる。
けれどそれは、まだ遠い。
昼の穏やかな空気が、その恐怖を少し曖昧にしていた。
部屋の中に沈黙が落ちる。
ダイチはふとベッドの方を見る。
ジントはまだ、ぼんやり天井を見つめたままだった。
その黒い瞳は何かを考えているようで、どこか遠くを見ている。
ダイチは静かに歩み寄り、ベッドへ腰掛けた。
「……ジント」
呼ばれて、黒い瞳がゆっくり動く。
ダイチは少しだけ笑った。
「大丈夫や」
静かな声だった。
「ここにはハヤト達もおる」
「それに」
ダイチはそっとジントの黒髪を撫でる。
「何があっても、オレがそばにおるから」
その言葉。
何度も聞いた言葉だった。
幼い頃から。
不安だった夜も、怖くて眠れなかった夜も、旅の途中も。
何度も、何度も。
そのたびにジントの心へ深く沈んでいく。
安心する。嬉しい。
けれど同時に、怖かった。
もし本当に自分が壊れてしまったら。
もし、ダイチまで巻き込んだら。
もし、この手を離さなければならなくなったら。
矛盾した感情が胸の中で絡み合う。
黒い瞳が小さく揺れた。
「……うん」
それしか言えなかった。
やがて昼食の時間になると、召使いたちが再び豪華な料理を運んできた。
朝と変わらない、いやそれ以上の量。
湯気の立つスープ。焼き立ての肉料理。果物。甘い菓子まで並んでいる。
けれどジントは、ほとんど手を付けられなかった。
喉を通らない。胸の奥がざわついて、食欲が消えていく。
それを見たダイチが、呆れたように眉を寄せる。
「おい」
ジントが視線を上げる。
ダイチはパンを齧りながら言った。
「この後、踏ん張りどころやろ」
真っ直ぐな声。
「ちゃんと食っとけ」
「……」
「倒れられたら困るん、オレやねんからな」
少しだけ軽い調子で笑う。
その顔を見て、ジントも小さく笑った。
「……わかった」
静かにスープへ手を伸ばす。
その姿を見て、ダイチは少しだけ安心したように息を吐いた。
時間は静かに過ぎていく。
やがて窓の外が、ゆっくり茜色へ染まり始めた。
夕焼け。
その色は次第に沈み、空は深い群青へ変わっていく。
夜が来る。
満月の夜。
部屋の空気も、少しずつ緊張を帯び始めていた。
ーーコンコン。
扉がノックされる。
「ハヤト様がお呼びです」
静かな声。
二人は顔を見合わせ、無言のまま立ち上がった。
廊下を歩き、辿り着いたのはハヤトの執務室だった。
中へ入ると、既にジュウタロウとシュンタがいる。
空気は朝とは違っていた。
誰も笑っていない。
静かな緊張。
窓の外には、夜の帳が落ち始めていた。
ハヤトがゆっくり顔を上げる。
黄金の瞳が四人を見回す。
そして静かに口を開く。
「……これから、教会へ向かう」
ジントとダイチが息を呑む。
「このままだとおそらく膠着状態となり、こちらも動き辛くなる」
「だからあえて、今日話をしに行く」
昨日の白装束の姿を思い出し、ジントの体が強張る。
ダイチがそっとジントの肩に手を置いた。
「今日は満月だ」
ジュウタロウの静かな声が落ちる。
「教会側も動きがあるだろうし……」
一瞬言葉が止まる。
「何かが、起きるかもしれない」
鋭い瞳の奥が、僅かに揺れる。
「まぁ、不安やろうけど、ジントは俺らでしっかり守るからな!」
シュンタの明るい声。
けれど、そこには強い意思が込められていた。
ハヤトが真っ直ぐジントを見る。
その黄金の瞳は皇子として、”月蝕の子”を見極めようとするもの。
そして同時に、ジントにどこか強く惹かれ、なんとしてでも救いたい、という一人の人間としての感情の混ざるものでもあった。
ーーゴーン、ゴーン……
夕刻を知らせる教会の鐘の音が、薄暗くなった帝都に不気味に鳴り響く。
窓の外には、満を持した月が、雲の隙間から顔を覗かせようとしていた。
長い、長い夜が、
今、静かに始まった。
コメント
1件
ダイチの「何があっても、オレがそばにおるから」という言葉、何度も聞いてきたはずなのに、今回はジントの胸に違って響いたんじゃないかな。安心と怖さが同時に渦巻く矛盾、それを「……うん」だけで受け止めた静けさが印象的だった。満月の夜へ踏み出す前、昼の穏やかな時間がかえって緊張を際立たせている。ハヤトの黄金の瞳に宿る“救いたい”という人間らしい想いも、じんわりくる。長い夜の始まり、この空気感、とても好きです。