テラーノベル
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店で目立ちすぎてしまった為、外に出て、少し話すことにした私たち。
「エレン……本当に、エレンなの……?」
信じられない思いで、私は目の前の男性を凝視した。
涙で潤んだ視界の先、かつての近所のお兄さんのような親しみやすさはそのままに
今の彼は、思わず気圧されるほどの気品と、大人の男性特有の色気を纏っている。
「ふふっ、嘘じゃないよ。久しいね、スカーレット」
エレンは慈しむように優しく目を細めた。
聞けば
この1、2年は仕事で遠方の街に滞在しており、今日ようやくこの街へ戻ってきたばかりだという。
しかも、離れている間に家督を継ぎ、今は「侯爵」という、私のような身分では到底届かない高い地位に就いていた。
「……少しばかり、飲み直さないかい? 思い出話でもしながら」
エレンの穏やかな誘いに、私の心は激しく揺れ動いた。
(行きたい。エレンと、もっともっとお話したい……!)
胸の奥から湧き上がる渇望。
けれど、その直後に脳裏をよぎったのは、怒り狂った夫・ロニーの醜い形相だった。
「行きたい!……あ、でも……早く戻らないと。ロニーに、また怒られてしまうし……」
私が逃げるように俯くと、エレンの表情からふっと温度が消えた。
「ロニー……もしや、さっきの男かい?」
「う、うん……夫なの。怒ると、すごく怖いから……」
「そんな男のところに帰って大丈夫なのか? さっきだって、あんなに怯えていたのに」
エレンの声には隠しきれない懸念が混じっている。
私は震える肩を抱き、無理に作った笑顔を張り付けた。
「……親に決められた結婚だもの。2年経っても浮気はやめてくれないし、酷いことも言われるけれど……私には、あそこしか居場所がないの。だから、大丈夫」
「大丈夫」なんて、自分を騙すための呪文だ。
私は「またね」と弱々しく告げ、彼に背を向けた。
そのとき───
ガシッ。
強い力で手首を掴まれ、私は思わず振り返った。
そこには、切なさと燃えるような決意が混ざった瞳で、私を真っ直ぐに見つめるエレンがいた。
「なら、うちの屋敷に来ないかい? ……このまま帰して、君がまた今日のように酷い扱いを受けて泣いているところなんて、僕は見たくない」
「エレン……」
彼の大きな手のひらから、切実な体温が伝わってくる。
今帰れば、待っているのは罵詈雑言の嵐と、明日の朝まで続く絶望の孤独。
私は、差し出されたその手に、救いを求めるように深く頷いた。
◆◇◆◇
翌朝
エレンの屋敷の、静寂に包まれた朝の空気を切り裂くような怒号が響き渡った。
「スカーレット!! ここにいるんだろう!! はやく出てこい!!!!」
案の定、ロニーが門前で醜く暴れていたのだ。
エレンが氷のように冷徹な足取りで玄関へ向かうと
私は震える足で、彼の広い背中を追うように続いた。
「おい、スカーレット! 他の男の家で何してやがる! さっさと戻ってこい!」
ロニーの怒鳴り声に、エレンが静かに、だが威圧感を持って制止を入れる。
「彼女を君の元に帰らせるのは危険と判断したまでだ。これ以上騒ぐなら、憲兵を呼ぶが?」
「うるせぇ! 夫の俺に指図すんじゃねえよ!」
ロニーは顔を真っ赤にして地団駄を踏み、私を汚いものでも見るかのように指差した。
「おい、スカーレット! このまま帰ってくる気がないなら婚姻破棄だ! お前の代わりになる妻なんていくらでもいるんだからな!?捨てられるか、戻ってくるか、さっさと選べ!!」
突きつけられた、最悪の二択。
今までの私なら、怯えて、泣いて、ひたすら謝って彼に従っていただろう。
けれど、背中に感じるエレンの凛とした温もりが、私に今まで持てなかった勇気を与えてくれた。
「……っ、なら、離縁する。……それで、いいでしょ……っ!」
「はぁ!?」
喉の奥が震えながらも、私はロニーを真っ向から睨みつけた。
思いもよらぬ私からの反撃に、ロニーの顔が怒りで歪む。
「このアマ!!」
逆上して私に掴みかかろうとしたロニーだったが、即座に控えていたエレンの護衛たちに取り押さえられた。
「離せ! 離せよ!! クソッ、お前みたいな女と結婚してやったってのに…こんなことしてタダで済むと思うなよ?!絶対後悔させてやるからな!!」
惨めな叫び声を虚空に残し、ロニーは引きずられるようにして去っていった。
ロニーとの離縁は正式に成立した。
けれど、現実は甘くない。
実家からも勘当同然で、行くあてのない私はエレンの屋敷の客間で途方に暮れていた。
「……これから、どうしよう……」
そんな私の前に、エレンが迷いのない足取りで現れ、真っ直ぐに立った。
「なら、スカーレット。……僕の妻になってくれないか?」
「え……っ!? えええっ!?」
あまりにド直球なプロポーズに、心臓が口から飛び出しそうになる。
混乱する私に、エレンは少し困ったように眉を下げて笑い、言葉を付け加えた。
「もちろん、急に愛せとは言わない。世間体もあるだろうから、まずは『契約婚』という形でいい。君を守るための名目が欲しいんだ」
「私を……守るため……」
「僕なら、君を泣かせたりしない。約束するよ」
その誠実な琥珀色の瞳に射抜かれ、私は小さくそのプロポーズに応えた。
それから数日後──…
新しい生活が始まった。
エレンの屋敷は、ロニーの時とは正反対に、穏やかで優しい空気が隅々にまで満ちていた。
「スカーレット、このお菓子、君が昔よく食べてたやつだ。せっかくだし一緒に食べよう?」
「わぁ、ありがとう!……エレンは、変わらないね。ずっと、ずっと優しい」
私が心の底からの笑みを浮かべると、エレンがふっと表情を和らげた。
「……ふふっ。スカーレット、やっと笑ってくれたね」
「えっ?」
「ロニーという男の影響だろうけど、ずっと暗い顔をしてたから、心配だったんだ。……だから、安心したよ」
そう言って、エレンがごく自然な動作で私の頭を優しく撫でた。
大きな手のひらの熱。
髪を梳くような愛おしい感触。
「あ……あ、頭撫でないで……っ、恥ずかしい、から……っ」
顔が火が出るほど熱くなるのを感じ、私は身を縮めた。
エレンもハッとしたように、慌てて手を引っ込める。
「! ご、ごめん。つい……可愛くて……あ、いや、今のは違うというか…忘れてくれ」
互いに顔を背けて、顔が火照っているのがよくわかる。
契約結婚のはずなのに
この屋敷の温度は、日を追うごとに甘く上がっていた。
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