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私
の名前は『ルリ』。
私はいつも一人ぼっちだった。友達がいないわけじゃないけど、皆んなが遊んでいる間も私は一人でお絵描きをしてたから。だからかな?私の周りには誰もいなかった。お母さんでさえ私を見捨てて出て行ってしまった。お父さんなんて知らない。もう何年も会っていない。親戚のお兄ちゃんとお姉ちゃんたちは優しいけれど、私のことを腫物のように扱ってきた。だから私はずっと独りだった。
だけど今はとても幸せ。だって好きな人がいるんですもの。その人は優しくて強くてカッコ良くて、まるで王子様みたい。私はその人のことが大好き! だからいつも側にいたいし触れていたいと思うのです。なのにその人は最近冷たいのです。私がいくらアプローチしても振り向いてくれないし、他の女の子と楽しげに話している姿をよく見かけるようになりました。もう諦めるべきなのかしら……? それともまだ頑張れるのかしら……? 分からないけど、もう少しだけ頑張ってみることにするわね。きっといつか想いが届く日が来ると信じているから――。
希望、愛欲、向上、夢中、恋慕、切なさ、性感帯、刺激、色香、情熱、喜び、快感、快楽、官能美、エロティック、性的魅力、情動。
病名:白薔薇症候群 それは突然だった。
なんの前触れもなく、唐突に現れた。
人々は突如として現れたその白い薔薇を見て驚愕したが、同時に誰もが魅了された。
それからというもの、人々の間で薔薇の花言葉が流行し始めた。『純潔』という言葉の意味を知った彼らは、まるで自分が穢れた存在であるかのように振る舞い始める。
だがその一方で、人々は次々と奇妙な行動をするようになる。
とある者は、自分のことを美しいと思い込み、他人に迷惑をかけるようになる。また別の者は何もかもうまくいかないと感じて引きこもりになり、社会性を失う。さらに別の者は他人の悪口ばかり言うようになり、最後には自殺してしまう。こういった症状を起こす者たちのことを世間では「泡沫病」と呼んでいる。原因はいまだ不明だが、発症者の共通点として「恋をしたことがある」ことが挙げられている。しかし、その恋の相手について言及することはほとんどなく、「初恋だった」「とても素敵な人だった」などと抽象的な表現に留まることが多い。そのため、どんな人物なのかを知ることは難しい。
治療法については今のところ何もわかっておらず、ただひとつだけ言えることは「治療は不可能」ということだけだ。なぜならば、彼らは決して治らないからである。つまり、これは不治の病なのだ。
この病気の特徴は、まず最初に幻覚を見ることにある。その幻覚の内容は人それぞれだが、共通しているのは「誰かが自分の目の前にいる」ということである。その人物が誰なのか、どうしてそう思うのかはわからない。しかし、確かに存在するのだ。
次に奇妙な点があるとすれば、それは彼らが「自分が泡沫病であることを知っている」という点であろう。例えば患者Aはある時、突然、自分は泡沫病だと気づくことになる。何故なら、その時から自分の周囲に生えている雑草がすべて枯れ始めたからだ。そして患者Bも同じような経験をする。彼はいつの間にか自分が泡沫病であることを自覚するようになる。こうして患者たちは自分が泡沫病だということを理解しながら生きていくことになる。
最後に最も不思議な点は、なぜ患者たちが自分の病気を自覚しているにもかかわらず、治療を受けようとしないのかという点にある。彼らはただ静かに最期の時を迎えることを望んでいるのだ。
【解説】
本書では、奇想天外で奇抜な設定ながらも、「人間の脳には未知なる可能性があるのではないか?」という発想のもと、現代の科学をもってしても解明できない謎に迫りました。また、著者自身の経験から得た哲学的な考察についても触れています。
■プロローグ
「人の脳には『第六感』がある」――。
そう提唱したのは、アメリカの心理学者アルバート・アインシュタイン博士だった。
彼の理論によれば、人間が五感を通じて得られる情報を処理する際に生じる誤差のうち、およそ七〇%までが視覚からの情報だという。つまり、人は目で見たものだけを信じているということになる。
しかし一方で、その説に疑問を投げかける学者もいた。
「確かに多くの動物たちは、超音波を使って仲間同士でコミュニケーションをとりあっているが、我々はそれを持っていない」と反論するのは、カリフォルニア工科大学教授のブライアン・W・オールディス博士だ。
例えば、犬のように鼻の良い生物であれば、相手の匂いを感じ取ることで言葉以上の深いつながりを持つこともできるかもしれない。だが、我々人類はその手段を持たないため、仮にテレパシーのようなものが存在したとしても、相手の存在を感知することはできないはずだと主張する。
この説に対してアインシュタイン博士はこう答えた。
「あなたの言う通り、我々の脳はあらゆる感覚情報を処理して初めて正確な認識を得る。ならば、たとえ視覚以外のすべての感覚が正常であっても、それらすべてを統合して判断を下すための器官が存在しない以上、『第六感』の存在を証明することはできない」
そもそも、人が本当に感じることのできる『第六感』が存在するのかどうか。それは誰にも分からない。
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