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『過去を哭けよアルトラ』
第1章『噂』
——多分、みんな知ろうとしないんだと思う。
新しく誰かと向き合うとき、私たちは噂を頼りにその人を推し量ろうとする。
もし誰かに悪い噂があったとしても、その噂が嘘か本当か、その背景が何だったのかなんてのは、みんな興味がないんだと思う。
ただ「あの人はそういう人だ」と決め付けて、その人を悪人に仕立て上げて、その人をいじめることを『正当化』する。
——私は、それが許せなかったのかも知れない。
みんなが言うから正しい、みんなと違うから間違ってる、という考え方に、私はずっと疑問を持っていた。
私たちはきっと、人との向き合い方を知らないんだと思う。
誰かが泣いていたって見ないふりをして、関係ないふりをする。
だから彼はずっと一人で、誰にも気付かれないように、涙していたんだと思う。
それでも誰かがいつの日か、気付いてくれると信じて。
だから、私は手を差し伸べる。
誰にも認められないその辛さを、私も知っているから——
———————
第1話『ヤバい奴』
汗の冷たさを背中で感じる6月中旬の夕方過ぎ、東小学校で開かれていた夏祭りに、私はクラスメイトで友達の女の子二人と一緒に自転車で来ていた。
地域ではそれなりに有名な祭りなのだが、聞いていた程に大きな規模ではなく、ヤグラを中心に、PTAや赤十字といった、地域の人が運営する屋台が十数箇所出ているだけだった。
夕飯も食べずに遊びに来ていた私たちは、そばめしという、焼きそばとチャーハンが合わさったような、中華風の香りに紅ショウガが映える屋台飯を一つずつ購入した。
それから、年季の入ったプラスチック製の白い椅子を円状——あるいは三角に並べて、野球ボールが飛んでいかないように設置されている緑色のネットの前で、食事をしながら談笑していた。
「これで200円なら、全然イオンで売ってても買うのにね」
「それじゃ利益出ないんじゃないの?」
「それはそう。やっぱり、リンって結構現実主義者だね」
「えー、そうかな」
「でも、イオンなら机もあるから300円は出せるよ」
膝の上を机代わりにして三人で笑いあう中、私はふと、二人の向こう側にある鉄棒に目を向ける。
——そこには甚平を着た同い年くらいの男の子がいた。
見た目は少し大きいが、同級生くらいに見える彼は、鉄棒の踏み台を移動させて背もたれにし、一番低い鉄棒の柱にそばめしを置いて食べていた。
「あ、あの子賢い。鉄棒を机にしてる」
私の言葉で二人は振り返り、彼の姿を確認するなり「あー……」と、まるで気分でも悪くしたかのように声を漏らし、ほとんど同時にこちらに向き直った。
「リンは知らないんだ。アレ、同級生のアルトラだよ」
「アルトラ?」
「アレのあだ名。あいつ、本当にヤバい奴らしいから、関わっちゃ駄目だよ」
「ヤバいって、何が?」
「ただの問題児だよ、よく不良達と喧嘩してる」
「いや、問題児ってだけじゃなくって、アイツ、誰彼構わずすぐ手を上げるらしいよ。小学校の頃に、担任の車のタイヤに釘を刺してパンクさせたり、授業中にも大声で怒鳴ったり、挙句先生に殴りかかって大怪我させて、警察に連れていかれたこともあるんだって」
二人のクラスメイトは向き合って、にやけながら話をする。
その間私は、やけに寂しそうに、誰とも目を合わせないようにしながら、少し上の方を眺めているアルトラの方に注目する。
二人は彼を怖がって――いや、面白がっているが、私にはむしろ、彼の方が周りを怖がっているように見えた。
——私も少し前までは、あんなふうに周りを眺めていたから。
「……ねえ、彼、ただいじめられてるだけとかじゃないの?」
「えっ? そりゃぁ、皆怖がって近付かないし、ハブるのもイジメだっていうのなら……そうかもね」
「でも、そうなって当然のことをしたんだし、それでイジメだー、なんて言ってもねえ」
私の過去をよく知らない二人は、互いに目を見合わせながら、そんなことを言った。
——私はそれで、少しムカついてしまったのかも知れない。
そばめしのパックをゆっくりと閉め、輪ゴムで止めて椅子から立ち上がってから、二人を咎めるように言い放つ。
「——そう。いじめられてるんだ、彼」
突然気分を悪くした私に、二人は少し動揺した。
彼の噂をよく知るクラスメイトは、慌てて立ち上がると、鉄棒の方に向かって歩こうとする私を制止しようとする。
「ちょっと、リン。何考えてるの?」
「あの子が本当にそんな人かどうか、気になるだけ」
「待って、やめといた方がいいよ。ねえ、リン!」
私はそんな彼女の制止も警告も無視して、アルトラの方に向かう。
背後でもう一人のクラスメイトが「なにあの子」と笑ったが、私は振り向きもせず、夕日に照らされる鉄棒を目指した。
——これは正義感なのだろうか。
私だって、暴力は怖い。
昔いじめられていた時のことを思い出すから。
——けれど私は、誰かがあの日の私と同じように、惨めで苦しい思いをしているのなら……それを放っておく気にはなれなかった。
やぐらの太鼓の音や、集まる人々の喧騒から離れた鉄棒の周りは、寂しいくらいに静かで、遠くで灯り始めた提灯を見ていると、この場所は影なんだと感じた。
私はゆっくりと彼の隣に立ち、無言で彼の横顔を眺める。
——アルトラは私が真横に居ても、別に殴りかかっては来ない。
ただ私に一瞥をくれて、もう一口そばめしを白色のスプーンですくって口に運ぶだけで、何を言うでもなく、私が一本隣の鉄棒の柱の上にそばめしを置くのも黙って見ていた。
——どう話しかけたらいいんだろう。
流石に話しかけていきなり殴ってきたりはしないだろうけど、初対面の人に自分から何を言えばいいのかなんて、私には分からなかった。
静かな風が背後のネットを揺らす中、ようやく口から出たのは——それこそ殴りかかられてもおかしくないような言葉だった。
「えっと——君が噂のヤバい奴?」
背にした木の板を軋ませながら、明らかに不快そうな、それでいて驚いたような顔で私を見た彼に、私は自分が何を口走ったか理解して、思わず少し身を引いた。
「……そうだけど。何か用?」
「あっ……ごめんなさい……えっと、初めまして。リンっていいます」
「……そう。で、何の用?」
今度は疑うような顔で私を見る彼は、手短に用件を済ませろと言わんばかりの態度で、名乗りもせずに私の目的を訊ねた。
「その、用っていうか……えっと、アルトラ君って私と同じ中央中学校の一年生……だよね?」
「……そうだけど」
「そっか、やっぱり同級生なんだ。私、西小出身だから、その……」
おおよそ会話とは呼べない、互いに互いを警戒しながら探りを入れるようなやり取り。
そんな状況に痺れを切らしたのか、アルトラは三分の一程度残っていたそばめしを、白いスプーンで、紅ショウガごと一気に口に放り込んで、飲み込んだ。
「……ここ、使いたいなら使えばいいよ。『キック板』は後で戻しとくから、そのままにしといて」
彼はそう言うとそのまま立ち去ろうとしたが、私は「待って」と、彼の甚平の袖を引っ張りながら言った。
——私は彼を追い払いたいわけでも、嫌な思いをさせたいわけでもない。
目的を伝えなきゃ、敵じゃないよって伝えなきゃ……
「あなたと話がしたいの。えっと、もしよかったらなんだけど……」
「……別にいいけど」
そう言うとアルトラは空になったそばめしの容器を鉄棒の柱に置いて、そこに寄り掛かった。
それから、一言だけ私に警告する。
「僕と関わって、君までみんなに無視されても、知らないからな」
「そんなの——慣れてるよ」
冷たい鉄棒を掴み、アルトラが譲ってくれた踏み台に腰を曲げて寄り掛かりながら、私は苦笑いをする。
彼はそんな私の言葉の意味を理解出来ず、首を傾げた。
「——アルトラ君、結構優しいんだね」
「何がさ」
「その、『踏み台』を後で片付けてくれるとか、私の心配してくれたりとか」
「『踏み台』?」
「これ。背もたれにしてた板」
鉄棒に右手を置いたアルトラは、私の隣にある『それ』を見ながら、不思議そうな顔をした。
そして、呼称の違いをすり合わせるように、彼の言葉で確かめる。
「『キック板』のこと?」
「うん、うちの小学校ではそう呼んでたから」
「台ではなくないか?」
「下の部分が『台』じゃん!」
「いやさっき自分でも『板』って言ってたし」
左の頬に力を込め、理解に苦しむと言いたげな顔でそう言い放つ彼に——私は思わず笑ってしまう。
「あはは、確かに『背もたれにしてた板』って言ったかも」
私が笑いながら負けを認めると、鼻から空気を抜いたアルトラも、釣られて笑いながら「ほらみろ」と言うのだった。
そんな彼の笑顔は、『普通』の人たちと何ら変わらない。
——それどころか、早くも心の内側を少し見せ合えたようで、私は少し嬉しかった。
「やっぱり、噂とは全然違って、アルトラ君すっごい面白い人じゃん」
「そりゃ……『バカヒロ』が流した、どれだけ人のことを悪く思わせるかだけを考えられた噂なんて、当てになってたまるか」
「『バカヒロ』?」
「小5の時の担任だよ、本当はタカヒロって名前の」
アルトラは嫌なことを思い出したようで、また少し顔を曇らせた。
——担任。
クラスメイトの噂によれば、彼はその先生の車のタイヤに釘を刺し、暴行を働いて、警察沙汰になったのだったか。
私は、暴くつもりもなかった彼の罪を晒させたことに、少し罪悪感を覚える。
「そっか……ごめんね、嫌なことを思い出させちゃって」
「いや、いいよ。ボコボコにしたのも事実だし、それで怖がられるのなんて、当然だと思うし」
自嘲のような笑みを浮かべ、うつむいたアルトラは半歩だけ私から距離を離すように動いて、すっかり暗くなり始めた空を眺めた。
——彼は、自分がいじめられる理由を理解した上で、今更どうすることも出来ないその罪を、受け入れているようだった。
「でも——だからと言って、いじめられていい理由にはならないと思う」
私は一歩アルトラに近付くために、キック板から背を離し、鉄棒に寄り掛かる。
——噂によれば彼は、ずっと私のことをいじめていた不良とも喧嘩になっている。
悪いのは彼ではなく、過ちを利用して誰かを苦しめる奴らなんだ。
「アイツら——西小の不良にもちょっかい掛けられてるんでしょ」
「……別にあんな奴ら。殴り合いになれば敵にもならないし」
「実はね、私も昔、アイツらにいじめられてたんだ……」
いじめられていた、という言葉にピクッと目を動かしたアルトラは、私の全身を確認するかのように、上から下まで見回したのだった。
——彼も、私がどんないじめを受けたのかを知っているのだろう。
アルトラは再び最初の警戒した顔に戻り、今度は突き放すように、私の目も見ずに言った。
「……なら君は、なおさら僕に関わるべきじゃない」
そして、慌てるように空のそばめしのパックを掴んで、彼は屋台の向こうに行ってしまったのだった。