テラーノベル
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川南のチームとの決勝戦は翌日だ。
瑞奈と川南の一対一対決は引き分けに終わった。
瑞奈が気を失わなければ、二人の戦いはずっと続いていたのだろうか。続いたとしても、どこかのタイミングで瑞奈が倒れていたかもしれない。そもそも、あの対決が瑞奈の症状を悪化させてしまった……二人の対決を止めなかった自責の念に、あの対決の日から俺は苛まれている。のうのうと決勝に出場してよいのだろうか……。
瑞奈が、また文字盤の使用を所望してきた。俺が文字盤を手にすると、瑞奈が瞬いて、自身の思いを伝えてくる。
『き』
『に』
『す』
『る』
『な』
きにするな。
「いや、気にするって」
瑞奈は心の中を読めるのだろうか。彼女の髪の毛をくしゃっと力を抜いて摘まむと、気持ちよさそうに目を瞑った。瑞奈の体温を感じる。瑞奈の匂いに包まれ、俺も瞼を閉じた。
暫くそのままでいると、病室のドアが開いた。
咲良と、瑞奈のご両親だった。
「晴翔くん、明日は決勝戦だろ。瑞奈やうちらに気を遣わないで、準備してくれ。もうこんな時間だ」
お父さんが壁にかけられている時計を柔和な顔つきで見やる。午後六時過ぎ。
あの日、瑞奈を病院外へ連れ出したことを、ご家族は誰も怒らなかった。むしろ感謝されたほどだ。瑞奈が大好きなサッカーをできた、その手助けをしてくれてありがとう、と。
「あの、俺、やっぱり明日は欠場します」
「どうしてだい? せっかくの決勝なんだし」
お父さんに続いて、お母さんも「瑞奈のことはちゃんと見てるから、安心してプレーしてらっしゃい」と声をかけてくれる。
「でも、やっぱり……」
「え? 何? お姉ちゃん」
咲良が瑞奈に話しかけていた。瑞奈が何かを言いたそうに目をぱちぱちさせている。咲良が文字盤を掲げ、瑞奈の伝えたい気持ちを言葉にする。
『ば』
『か』
『も』
『ん』
ばかもん。
一瞬、病室内に沈黙が落ちる。
瑞奈のメッセージを読み上げた咲良は、自分で口にした言葉に唖然としていた。お父さんとお母さんも水鉄砲をいきなり顔に浴びたような表情だ。
ぷっ、と咲良が吹いた。それを皮切りにお父さんが目尻を下げて朗笑し、お母さんもくくくと笑い声を漏らす。
瑞奈の澄んだ声が聞こえた気がした。「ばかもん」と。
俺は瑞奈をじっと見つめる。瑞奈の黒目がちな瞳が真っすぐに俺を見返していた。とてつもない意志の強さと情熱を滾らせて俺を叱咤激励する。ばかもん。
「晴翔くん」
お父さんが笑みを湛えたまま、「これでも、明日の試合を欠場するのかい?」ぽん、と俺の肩に手を置いた。じんわりとお父さんの熱が伝わってくる。
「行ってらっしゃいよ」お母さんが穏やかに言葉を添えた。
『い』
『け』
行け、だ。咲良がぐいっと眼鏡を中指で持ち上げながら、瑞奈のメッセージを俺に伝えた。
瑞奈が俺の背を押してくれていた。
瑞奈だけじゃない。咲良が、瑞奈のお父さんが、お母さんが、情熱を俺に伝えてくれている。こんなことまでされたら……
「行ってきます。優勝して、天皇杯出場を決めて、おまえのもとに帰ってくる」
瑞奈の黒目がより大きく輝いた。
煌めきに導かれるように、俺は勢いよく病室を飛び出す。今から新幹線に乗れば明日の決勝には間に合う。
外に出ると、三日月が柔らかいオレンジ色の膜を纏っていた。儚い夜を照らす最後の命の灯火だった。
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