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#追放
ぬいぬい
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そこは重苦しい空気が漂う暗闇の世界だった。
小さく手狭な暗闇の世界には良く言えば独特で濃厚な香りが、悪く言えば甘さの中にコバエが好むような発酵臭が充満し、私はそこでただ横たわっていた。
あの時、私はハイラ帝国皇帝オブシディアンこと黒曜の君が持つ魔剣魂食いによって首を切り落とされた。
ならばここは地獄タルタロスかその一歩手前の煉獄か。
ガタンゴトン、ガタンゴトンと暗闇の世界が揺れる。時折、馬のいななきが響いて来る。
かれこれ私は丸一日程度はこの状態にあった。聖女の称号を剥奪され、その使命から解き放たれた今、これはこれで貴重な久しぶりの休日とでも思えば幸せに感じられなくもなかったけれども、流石にこの狭苦しい暗闇の空間に充満する腐敗臭のような香りを嗅ぎ続けるのは我慢の限界に達しようとしていた。
これなら早く地獄に送ってもらった方が楽というもの。いや、もしかしたらここがそうなのかもしれない。
私の脳裏に義妹ダリアを始めとしたライセ王国の人達の姿が過る。
生まれ故郷以上の地獄が存在するのだろうか? と疑問に思ってしまった。
すると、震動が止まり目の前の空間がガサゴソと音を立てて動き始める。
「もう出て来ても大丈夫だ。国境は越えたぞ」
凛とした若い男性の声が聞こえると、暗闇の世界に光が溢れ出した。
光の世界の先に、真紅の双眸がこちらを見つめていた。黒曜の君と呼ばれたハイラ帝国皇帝オブシディアンだ。
周囲を見回すと、何処かの宮殿の一室を思わせる様な空間が広がっていたけれども、すぐに荷馬車の中であることに気付いた。多分、帝国の皇族専用の荷馬車なのだろう。何しろ目の前にいるのはその帝国皇帝なのだから。
オブシディアンは私を見つめながら目を細めると、柔和な笑みを口元に浮かべながらこう囁いて来る。
「ご機嫌はいかがかな、化け物女」
ニッコリと微笑みながらオブシディアンは毒を吐いて来る。
私は呆れたように深い溜め息を吐きながら黒百合で埋め尽くされた黒塗りの棺から起き上がった。
「少なくとも最悪ではないわね」
私は正直な感想を吐露する。
例え目の前にいる眉目秀麗な美男子に魔剣で首を斬り落とされようとも、うら若き乙女に対して化け物女と毒を吐かれようとも、丸一日、黒百合で埋め尽くされた黒塗りの棺に閉じ込められようとも、生まれ故郷に居た時と比べれば何処だって天国にいる心地だ。
「それは何よりだ」
私の返答に黒曜の君は満足げに返して来る。
あの時、私は確かに彼によってこの首を魔剣で斬り落とされた。
頭が胴から分離して、地面を転がる感触を味わった。その後、白銀の髪の毛を掴み上げられ、黒曜の君にこう宣言された。
「魔女の首はハイラ帝国皇帝オブシディアンが討ち取ったり!」と。
その後、魔女の呪いを完全に消滅させるという大義名分のもと、私は黒百合で埋め尽くされた黒塗りの棺に閉じ込められ、今に至る、というわけなのだけれども。
私は黒曜の君の顔をジッと見る。
彼に伝えたいことはたくさんある。でも、最初に言うべきなのはきっとこの一言だ。
「この度は命を救って下さり感謝御礼申し上げます、オブシディアン皇帝陛下」
私は黒百合で埋め尽くされた棺の中でそのまま平伏する。黒百合の独特な香りが鼻をついたがそこは我慢した。
「礼など不要だ。君の危機には必ずかけつける約束、だからな」
そう言って黒曜の君は真紅の双眸に穏やかな色を浮かべた。
「まさかあの約束、まだ覚えていてくれたの?」
ドキリ、と一瞬だけ胸が高鳴った。
「当然だ。オレは約束は破らん。特に化け物女に関する約束はな」
そう言って黒曜の君はニヤリ、と悪戯な笑みを浮かべる。
どうやら私はからかわれているらしい。先程のときめきは何処か彼方に吹き飛んでしまった。
「なら、もう私を化け物女呼ばわりするのは止めてくれませんかね? 仮にもレディーに対してそれはあんまりだと思うの」
私は非難の意志を瞳に込めて彼にそう言う。
「嫌か?」
「これ以上ないくらいには」
「では、メスデュラハンと呼ぶことにしよう」
「それだけは絶対にダメ!」
実は私は首を切断された程度では死ぬことは無い。
全身のほとんどが呪物で構成されている私にはほとんど血肉は存在していない。
ならばどうやって私は普通の人間のように活動することが出来るのか?
答えは簡単。血肉の代替品として私の体内には呪物スライムが存在しているからだ。
呪物スライムとは液状の呪物であり私の魔力をエネルギー源として自在に操ることが可能だ。
あの時、処刑場で身体を斬り裂かれた時に流れ落ちたのは呪物スライムであり、胴体部分はほぼ呪物であることから私は痛みを感じていなかった。
それは首を斬り落とされた時も同様だ。何しろ私の本体はほぼ頭部に集中していて、首と胴体を切り離されてもダメージは皆無なのだ。
だから黒曜の君はあの時、私達にしか分からない合図を送ったのだ。
『久しぶりだな、化け物女』と。
私をその名で呼ぶ存在。それは一人しかいない。
あの頃、とある事情でアネモネ御義母様と私の二人で世話をした男の子。
私は男の子をあやし気を引くためにとある特技を披露した。
それがメスデュラハンごっこ。
何てことはない。呪物人間であるから自分の首を切り離し、男の子を驚かせようと思ってのただの悪ふざけだった。
そして、男の子はそれに驚きながらも私のことを『化け物女!』と呼びながら懐いてきたのだ。
今となっては恥ずかしいことこの上ない。私も若かった、というか幼かったのだ。ちょっとだけ年下の男の子をからかってやろうと思っただけで自分の首を切り離して見せるだなんて。
まあ、だからこそ、私は王国の人達を騙すことが出来たのだけれどもね。
私が必死に抵抗すると、黒曜の君はくっくっくと口元に拳を当てながら笑い出した。
「冗談だよ、カルミアお姉ちゃん」
まるで子供の様に無邪気な笑顔を浮かべながら黒曜の君はそう言う。
お姉ちゃん、と呼ばれて私は頬に熱を帯びるのを感じた。
彼の姿と私の記憶に残る黒髪の男の子の姿が重なる。
そうなのだ。この記憶に残る男の子と黒曜の君は同一人物。
かつて私はほんの少しの間だけ子供の頃の黒曜の君と一緒に暮らしたことがあった。
そして、子供時代の黒曜の君から私は畏敬の念を込めて『化け物女』と呼ばれ慕われていたのだ。
「私をまだお姉ちゃんって呼んでくれるんだ。ありがとう、シディ。でも、恥ずかしいからもう止めて」
「実を言えばオレも少々こそばゆいのでそれは了解した。でも、君こそオレのことをまだその名で呼んでくれるのだな」
「あ、ごめんなさい。ちょっと気安過ぎたわね。今の貴方はあの頃の可愛かったシディ坊やではなく、恐れ多くもハイラ帝国皇帝陛下でいらっしゃるんですもの。以後、気をつけます」
「いや、是非ともシディと呼んでくれないか? その方がオレも嬉しい」
「いいの?」
「もちろんだ。オレをその名で呼んでいいのは君と大聖女アネモネ様だけ。だが、もうそのアネモネ様はいらっしゃらないのだな」
寂し気な色が真紅の双眸に宿るのが見えた。たちまち私もアネモネ御義母様のことを思い出し彼と同じ気持ちになる。
「……残念だけれども、そうよ」
「惜しい方を亡くした。オレにとっても母の様な存在だったのだから。心からお悔やみ申し上げる」
その時、私の脳裏に幼い頃のシディとアネモネ御義母様、そして私の三人が仲睦まじく暮らしていた時の記憶が過る。
どうして私はこんなにも幸せだった頃の記憶を忘れてしまっていたんだろうか?
そうなのだ。アネモネ御義母様以外にもたった一人だけ私に優しい笑顔を振り向けてくれる存在がいた。
私のことをカルミアお姉ちゃんとも、化け物女とも呼び慕ってくれたシディ坊や。それが黒曜の君ことハイラ帝国皇帝オブシディアンその人なのだ。
その途端、アネモネ御義母様を亡くした哀しみとシディに再会できた喜びの感情が奔流となって一気に私に襲い掛かり、私は呪物人間であるが故に涙を流すことも出来ずにただ俯いて肩を震わせた。
すると、暖かな温もりが私を覆い包む。シディが私を優しく抱擁して来たのだ。
「泣くな。君が哀しむとオレも泣きたくなる。あの時みたいに」
シディの言葉に、私は子供の頃の彼が泣きじゃくっている時の記憶を思い出す。
「私が呪物人間で涙を流せないことはシディも知っているでしょう?」
「ああ、知っている。でも、君はこうしてアネモネ様の死を悼んで泣いているじゃないか」
そう言ってシディは私の目の下に手を伸ばすと、指で涙を拭う仕草をして見せた。
「ほら、御覧。オレの指が君の涙で濡れているだろう?」
シディはそう言って私の目の前に自分の指先を差し出す。でも、彼の指はちっとも濡れていなかった。
「濡れてなんかいないわよ?」
「いいや、濡れているよ。多分、君の涙はオレにしか見えないんだろう」
「どうして?」
「それはオレが君の勇者様だから」
その瞬間、再び私の胸は大きく高鳴った。
私の脳裏に、シディ坊やが『お姫様の勇者様』の絵本を嬉しそうに胸に抱いている記憶が過る。
『ボク、カルミアお姉ちゃんの勇者様になってあげる!』
無邪気なシディ坊やの声が私の心に響き渡る。
「君が拒否しようとも、オレは君の勇者様であり続けよう。是非ともオレに君を守らせてもらいたい」
「そもそも、どうして私を助けに来てくれたの?」
処刑される運命から救ってくれたことへの感謝の言葉に続いて、聞きたかったのはその理由だ。なぜシディは私を助けに現れたのだろうか。
「アネモネ様から頼まれていたのだ。自分に万が一のことがあれば、是非にも愛娘を助けてもらいたい、とな」
「アネモネ御義母様が⁉」
私は驚きに言葉を失う。
脳裏に義妹ダリアの言葉が過る。
『お前の処刑を決めたのは他ならぬお母様ご自身なのだから』
シディが私に嘘を吐くわけもない。なら、あの時のダリアの言葉は嘘ということ。
私は安堵のあまり力が抜ける。やっぱりアネモネ御義母様は私を殺そうとなんてしていなかったんだわ。
「君の救出が遅れたことは詫びよう。だが、アネモネ様の訃報はあまりにも突然で、オレも多少強攻策をとらざるを得なかったのだ。本当なら帝国軍を総動員したいくらいだったのだが、時間がそれを許さなかった」
私はシディが帝国が誇る黒槍騎兵団を引き連れて処刑場に乱入して来たことを思い出す。
「もしかして、私を助ける為だけにあんな無茶な真似をしたっていうの⁉」
何てこと。私みたいな呪物人間の為に戦争が勃発するかもしれなかっただなんて。
「当然だ。君を救う為ならば、オレは神にだって刃を向けても構わぬと思っているのだから」
「馬鹿げているわ⁉ もしかしたら王国と戦争になるかもしれなかったのに……!」
「それがどうした?」
「え?」
「オレは帝国皇帝だ。例えどんな犠牲を払おうとも己の意志を曲げるつもりはない。殊更、君については特にな。何故ならオレは君の勇者様なのだから」
そう言ってシディは偽りのない真剣な眼差しで私を見つめる。
何故、貴方はそんなにも私に優しくしてくれるの?
当然の疑問が湧き上がる。
確かにシディとはほんのわずかだったけれども楽しい時間を過ごした。
でも、言うなればそれだけ。アネモネ御義母様に恩を感じている理由は知っている。
なら、シディはアネモネ御義母様の恩と義理の為だけに私によくしてくれているということ?
そう思った瞬間、私の胸の奥底がズキリと痛む。
「どうしてそこまで私に優しくしてくれるの? そんな子供の頃の約束なんて守ってくれなくてもいいのに」
嬉しさで胸が溢れ返りつつも、私は彼に嘘を吐く。
「そんなの決まっているだろう?」
シディはさも当然のようにこう断言した。
「君を愛しているから守りたいと思うのは必然だ」
と。
私はただ彼の真紅の瞳を見つめるしかなかった。
頬が熱を帯びていたことに気付いたのはもう少し後のことだった。