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未熟者が作った物語
118
井川奎
2,324
#姉妹格差
和泉
278
#シリアス
猫塚ルイ

277
//熟語本朝//
あぁ、自分はなんて薄情な人間なんだ。
見上げると、空は清々しい程に真っ青で。
悲しいはずなのに、雪の一粒も降って来やしない。
けれど胸の奥にはザワザワとした、何とも気持ち悪い感覚が引っ付いて離れない。
「俺は今、どんな気持ちなのだろうか。」
第一語 人亡物在
1926年 九月二十五日
俺には警察官の親父がいる。ソイツは滅多に家に帰って来ることは無く、帰ってきても素っ気ない態度で接してくる。
母親は二年前に俺と親父を捨てた。
そのせいか、「ママだーい好き。」や「パパ愛してる!」という同級生の言う言葉が、心底腹立たしかった。
「ただいま。」
玄関に響く、低くて堅い声。───親父か。
「…おかえり。」
「今日は学校、どうだった。」
どうせ俺の事なんて微塵も興味が無いくせに、家に帰って来ると必ずこの質問をしてくる。
「別に。またダチと喧嘩したし、”いつも通り”楽しくなかった。」
「…そうか。」
「…」
───本っっっ当に素っ気ねぇ野郎だな、この親父は。
もう会話終わったんだけど。会話術ってモンを知らねぇのか?警察官のクセに…
「…あぁ、そうだ」
そう言って親父は仕事用の鞄を漁ると、その大きな両手に収まり切らない程の、大量のお菓子を取り出した。
「…これ、食え。」
親父は仕事から帰ると、いつも大量のお菓子を買って帰って来る。
俺は贅沢な事にかなりの甘党なので、この瞬間が人生で一番の楽しみだと、当時は思っていた。
「うおぉ…ありがと親父。」
「おう。食いたいモンあったらいつでも言え。」
俺が「ありがとう」と言う時だけ、お面の用に表情の動かない親父が少しだけ、優しい笑顔を浮かべる。
俺はこの時の、親父の顔が好きだった。
そして、調子に乗った親父が料理を始める。
これが親父が帰って来た日の、いつものルーティンだった。
「…飯。」
そう言って親父が台所から持ってきた料理は、なんと今人気のナポリタンだった。
流行りに疎い親父が、ナポリタンを知ってた事に驚いた。
「…親父、ナポリタンなんて知ってたんだな。」
独り言のように呟いた一言は親父の耳に届いていたのか、少しだけ顔を顰めた。
親父の作る料理にハズレは無い。
以前「どうしてこんなに料理が上手いのか」と聞くと、親父のおっかあ──俺の祖母がとてつもなく料理がヘタクソだったので、小さい頃から料理をしていたからだと答えた。
この日のナポリタンもすげぇ美味くて、すぐに食べ終わってしまったのを今でも覚えている。
「ご馳走様。…美味かった。」
「…足りたか?」
「うん。丁度いい量だった。」
「…本当か?」
「うん。」
「おかわりしなくていいのか?」
「だから足りたって!」
親父は少しでも褒めると、調子に乗っていつまでも食べさせてくる。
──いらないって言ってるのにな。
正直鬱陶しくもあったが、それをバカ正直に言う訳にもいかないので、やんわりと断る。
いつも通りのこの会話。もっとしたかったよ。
1926年 12月24日
クリスマスイヴ。
今日は親父が家に帰って来る日だ。わざわざ署長に頼んで休暇を取ったらしい。
何をねだろうかと考えていた午後二時頃の事である。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン
玄関のドアが激しくノックされた。
「な、なんだぁ!?」
ただ事ではないと察し、慌てて玄関のドアを開けると、知らない男が般若のような顔をして立っていた。
「守っさんが倒れた!お前さん息子だろう!?今すぐ病院に案内してやるから着いてこい!」
倒れた…?
守っさんって…親父か?親父が倒れた…?
頭で考えるより、体が先に動いていた。
裸足のまま、目の前にいる知らない男の背中を追って走った。
家から病院まで約三里。
何度も転び、息切れで喉が切れて血も出た。
そして気が付くと、知らない病室で親父が寝そべっていた。
───この後、俺はどうしたんだっけ。
医者に色々説明されて…確か倒れた原因は過労だっけ。
もしかしたら死ぬかもしれないって言われて…
あぁ、ここら辺の事は詳しく思い出せないな。
その日、俺は親父が寝ているベッドの隣に置いてあった椅子に座り、眠った。
翌日、目を覚ますと、ベッドの上に親父はいなかった。
「良かった、目を覚ましたのか…!」
どこかに出かけているのかと思い、受付のお姉さんに話しかける。
「親父…星夜 守って人、この辺うろついてんの見てませんか?」
「あぁ、星夜さんね、。それなら…着いてきてください。」
この時、お姉さんが妙に暗い顔をしていたが、あまり気にならなかった。──いや、気にしないようにしていたのかもしれない。
やがてお姉さんはとある部屋の前に立ち止まり、ギイィィイという音と共に、ゆっくりとドアを開ける。
すると、今までに嗅いだことのない匂いが鼻を通った。
酸っぱいような、何だか変な匂い。
「…あ〜、あなたのお父さんここにいると思うから、見つけたら話しかけてね〜……」
暗闇に目が慣れると、室内の様子がよく理解できた。
老人、男女問わず全員が同じ空間、同じ向きで、同じ白い布を顔に被って寝ている。
───寝ている…?
「………おやじ…?」
いやいや、ありえないから。そういう遊びなだけだから。そうに違いない。
そう信じたかったのに、親父は入口に一番近いところで寝ていたせいで、すぐに見つけられてしまった。
「…んはは。……いやいや、いいってそういう冗談…」
手を握ろうとしても、握れない。
冷たくて、硬くて──まるで木目込人形のようだった。
「親父…?」
理解が追いつかなかった。
──死んだ…?
「いや…死んでない。…死んでない、絶対に。ふざけてるだけだろ…」
親父は冗談でそんな事をする人間ではないと知っていながらも、この時の俺はその事実を否定し続けた。
「え〜、ではこの後色々と手続きがございますので〜………」
「死んでない……死んで…」
「残念ですが死んでますよ。なので手続きの方を…」
否定しても、否定しても、その看護師は「死んでる」と繰り返した。
残酷に聞こえるかもしれないが、現実逃避をしていた当時の俺を現実に戻すその言葉は、ある意味救いだったのかもしれない。
1926年 12月27日
親父が死んでから二日が過ぎたこの日、親父の葬式が行われた。
その日の空は、清々しい程の晴天であった。
「不ぅ断難思ぃ無ぅ称光超ぅ日月光照塵刹」
せめて、雪の一粒くらい降ってくれれば
「本願名ぅ号ぅ正定業至ぃ心信楽願為ぃ因成ぅ等ぅ覚証大涅ぇ槃」
──悲しくない…
俺は今、悲しくない…?
分からない。自分が今どういう感情なのかも。
だって親父、あんま家に帰って来なかったし…素っ気なかったし。俺の事だってどうでもいいと思って…
あぁ、でも親父の作った料理は美味かったなぁ。
来月からはもう、あの大量のお菓子を貰う事はないのか。
「真宗ぅ教証ぅ興片州ぅ選択本願弘悪世ぇ」
これから一生親父の「ただいま」を聞くことは無くって…
なんか、そう考えたら少し寂しいかもしれないな。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南」
そろそろ読経も終わる。
実の父親が死んだというのに、最後まで俺は泣かなかった。
寂しいし、悲しいはずなのに。
「俺は今、どんな気持ちなんだろうな。」
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
ほとけのみ名を 開きひらき
こよなき信を めぐまれて
よろこぶこころ 身に得れば
さとりかならず さだまらん」
その答えは、今の俺にはわからない。
コメント
1件
うわあ…これは重くて、でも静かに沁みるお話ですね。 親父さんの「ただいま」とお菓子、そして調子に乗って作るナポリタン。あの“いつものルーティン”が、死んだ途端に全部「なかったこと」になる怖さ。主人公が泣けずに「俺は今どんな気持ちなんだろう」って自問するところ、すごくリアルでした。悲しみにも段階があるんだな、と。 1926年という時代設定も、この距離感のある親子関係に合っていて、伏線っぽい匂いも感じます。続きが気になります。