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この香り……
私の顔を覗き込んだのは本宮さんだった。
「うわっ!」
思わず叫んだ。
その登場に、この人は本当に神出鬼没だと認識した。
「そんなに驚かなくても」
「誰だってびっくりしますよ。そんなに突然現れたら」
「そうか?」
「そうですよ。本宮さんはびっくりしないんですか?」
「……たぶん」
「いえ、きっとびっくりしますから」
こんなイケメンがいきなり現れたら驚くに決まっている――私は、そういう意味を込めて言ったのだ。
「……ただいま」
本宮さんが、私の耳元でささやいた。
「えっ、あっ、会議、お疲れ様でした」
さらに私に近づこうとする本宮さん。
椅子に座ったまま、私はサッと顔を遠ざけた。
だから……
近いんだって……
自信のない顔、見ないでよ。
私、またドキドキしてる。
「あっ、会議お疲れ様です。本宮先輩~」
横から来た梨花ちゃんが満面の笑顔で言った。
「ああ、天野さん。ただいま」
「会議大変ですよね~。お茶入れましょうか?」
梨花ちゃんは相変わらず可愛く体をくねらせながら尋ねた。
「いや……今はいらない、ありがとう。森咲、ちょっといい?」
「えー! また恭香先輩に声かけて、私も誘ってくださいよ~。仲間はずれは良くないですよ。みんな仲良くしなきゃ。ね、私も一緒にいいですか?」
梨花ちゃんの積極的な言葉に驚く。
「ごめん。ちょっと大人の話があるから」
「大人の話!? それって何なんですか? 大人の話だなんて、なんか先輩達、いやらしい感じです」
梨花ちゃんは、ほっぺを軽く膨らませた。
「本宮さん、誤解を招くような言い方はやめてください。大人の話なんてありませんから」
私は必死で言った。
「いいから行くぞ。天野さん、ごめん」
「え~! 嘘でしょ? ほんとに行っちゃうんですか? 仕事サボってるって石川さんに言いつけちゃいますよ」
本宮さんは、梨花ちゃんに背を向けて、私をエレベーターに乗せ、最上階のボタンを押した。
「ちょっと無視しないでくださいよ!」
「悪い。またな」
そう言って、本宮さんは梨花ちゃんに向かって右手をさっと上げた。
「ど、どこに行くんですか? 最上階のボタンを押して……。最上階には社長室しかないですよね? まさか……」
「行けばわかる」
「あの、本宮さん」
「いったいいつになったら呼び捨てで呼んでくれるんだ?」
「えっ?」
腕組みをしたスーツ姿の本宮さんとエレベーターの中に2人きり。
この状況はただごとではない。
すでに心臓は高鳴っていて、緊張に襲われている。
最上階まで、ずいぶん時間がかかるというのに――
「呼び捨てするって約束しただろ?」
「えっ、だ、だから呼び捨ては……」
その時、違う階から誰かが乗り込んできた。
思わず胸を撫で下ろす。
このままずっと2人きりなんて無理だ。
エレベーターは、とうとう最上階に到着した。
止まって、そして、ゆっくりとドアが開いた。
呼吸が少し苦しい。
本宮さんが私を案内した先は、やはり社長室だった。
初めての社長室。
窓から見える景色は、街全体を見渡せる大パノラマで圧巻だった。
成功した人だけが眺められる世界――
本宮さんがドアをノックすると、中から「はい」と返事があった。ドアを開けて中に入った本宮さんは、ジェスチャーで私を呼んだ。
体がガタガタ震えている。
私は本当に社長室に入るのか?
それでも覚悟を決めて中に入ると、目の前に社長――つまり本宮さんのお父さんがいた。
「父さん、さっきはありがとう。会議ではいろいろ勉強させてもらったよ」
「……まあ、まだまだこれからだな。経営陣に混じってしっかり学んでくれ」
「ああ。父さん……いや、社長。こちらは森咲 恭香さん」
本宮さんが私を紹介してくれた。
この状況に慣れることなどできず、私の緊張はまだ続いている。
「もちろん知っているよ。いつもご苦労さまだね。君は確か……」
社長が私に話しかけている。
どうしよう、何か答えなければ……
「あ、ありがとうございます。私はコピーライターです」
「そうそうコピーライターだったね」
あまりに社員が多く、社長と話すことは滅多にない。
私のことを覚えてくれているだけで奇跡だと思った。
「それで? なぜ朋也は森咲さんを私に会わせたんだ?」
「……」
本宮さん、どうしたのだろうか?
この沈黙が続くのは、正直、つらい。
「社長。僕は今日から彼女と一緒に暮らします。本宮の家を出て、しばらく彼女の部屋に2人で住みます。将来は……彼女と結婚したいと思っています」
は?
え? えっ?
な、何を言ってるの?
一緒に暮らすとか結婚するとか……
意味が全くわからない。
1ミリも理解ができない。
ちょっと待って、これは夢?!
私は夢を見ているのだろうか?