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テミスの采配第一話 指数5000
執行局の朝は静かだった。
相馬蓮は真新しい制服の襟を整えながら、廊下を歩く。
十九歳。
本日付で正式な執行官となった。
胸にはまだ誇らしさがあった。
テミス。
この国の司法を支えるAI。
人間の感情や偏見を排除し、最も公平な判決を下す存在。
蓮はそれを信じていた。
だから執行官になった。
「緊張してるか」
隣を歩く黒崎誠が言った。
教育担当。
十五年の現場経験を持つベテランだった。
「少しだけです」
「なら正常だ」
黒崎は端末を投げる。
蓮は慌てて受け取った。
表示された案件を見て息を飲む。
モバイルバッテリー火災事故
死者三名
負傷者二十七名
対象者 山田圭介
労役指数5000
標準返済期間30年
三十年。
数字の重さに思わず目を止める。
「初仕事には十分だろ」
黒崎が言った。
「はい」
蓮は頷いた。
人が三人死んでいる。
三十年は当然だ。
そう思った。
◇
山田圭介の自宅は郊外の古いアパートだった。
執行官証を提示すると、男はあっさりと扉を開けた。
三十五歳。
やつれた顔。
深い隈。
数日眠っていないのが分かる。
「来ましたか」
静かな声だった。
抵抗する様子はない。
暴れる気配もない。
ただ疲れ切っている。
「準備をお願いします」
黒崎が告げる。
「分かりました」
山田は小さく頷いた。
部屋へ戻る。
蓮は何気なく室内を見る。
棚の上に写真があった。
妻。
娘。
そして山田。
どこにでもいる家族だった。
ニュースで見た事故の加害者には見えなかった。
山田が戻ってくる。
小さな鞄を持っていた。
「行きましょう」
◇
移送車の中。
沈黙が続く。
やがて山田が口を開いた。
「新人さんですか」
「はい」
「そうですか」
山田は苦笑した。
「私は運が悪かったんですかね」
蓮は答えられない。
「認証品だったんです」
山田は続ける。
「改造もしていない」
「説明書通り使っていた」
窓の外を見る。
「それでも三人死んだ」
その声には怒りもなかった。
ただ重い諦めだけがあった。
◇
労役移送センター。
巨大なゲートが目の前に立ちはだかる。
職員が認証を開始した。
対象者確認
山田圭介
労役指数5000
標準返済期間30年
認証完了。
ゲートが開く。
その瞬間だった。
山田が走った。
「なっ——」
蓮が声を上げる。
黒崎が即座に動く。
「確保しろ!」
山田は全力で駆ける。
だが疲弊した身体では長く持たない。
角を曲がり、姿が見えなくなる。
数分後。
捜索は始まった。
◇
五日後。
蓮は小さな公園にいた。
夕暮れだった。
ブランコが揺れている。
ベンチに山田が座っていた。
隣には幼い少女。
写真で見た娘だった。
山田は蓮を見る。
逃げる気配はない。
「見つかりましたか」
どこか安心したような顔だった。
少女は父親の袖を掴む。
「パパ?」
山田は娘の頭を撫でる。
「大丈夫だ」
優しい声だった。
そして立ち上がる。
「分かってる」
蓮を見た。
「俺は戻るよ」
少しだけ笑う。
「でもな」
空を見上げる。
「あの子が寝る前に」
「もう一回だけ会いたかった」
蓮は何も言えなかった。
山田は手を差し出す。
「連れて行ってくれ」
抵抗はなかった。
◇
拘束認証。
その瞬間。
蓮の端末が震えた。
判決更新
山田圭介
労役指数5000
↓
労役指数5800
標準返済期間30年
↓
標準返済期間35年
蓮は画面を見つめる。
山田も見ていた。
そして苦笑する。
「五日か」
小さく呟く。
「五日娘と過ごして」
「五年失った」
蓮の喉が詰まる。
正しい判決。
そう教わった。
逃亡は社会への損失だ。
だから加算される。
理屈は分かる。
だが。
山田は遠くで手を振る娘を見つめていた。
少女は何も知らない。
父親が三十五年帰らないことも。
その五日が五年になったことも。
ただ必死に手を振っている。
山田も手を振り返した。
それが最後だった。
移送車の扉が閉まる。
重い金属音が響いた。
蓮は立ち尽くしたまま、遠ざかる車両を見送る。
三十五年。
それは数字だった。
テミスにとっては。
だが人間にとっては、
一つの人生そのものだった。
その日。
新人執行官・相馬蓮は初めて知る。
判決の重さではない。
判決が奪う時間の重さ
コメント
1件
うわあああ〜〜😭💔 第2話、読み終わったよ… 「五日で五年」っていう数字の重さ、めっちゃ刺さった…。山田さんが娘に会いたくて逃げた気持ち、そりゃそうなるよなって思うし、テミスの冷徹な加算が「正しさ」の残酷さを突きつけてくる感じがエモすぎる…。蓮くんが初めて「判決が奪う時間」に向き合うラスト、胸がギュッてなった。続き絶対読みたい!!