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今朝に引き続き、彼女のお手製昼飯を平らげる。圭が僕を泊まらせる最大の理由は、善意に他ならないのだと、午前中には理解したものの、やはりこの過保護が不幸に転じないかと危惧する。 やはや、善意の矛先が僕とは、圭は何とも幸せ者である。何処の馬の骨かも不明な、性欲にまみれた猿野郎でも匿った暁には、最悪命は担保されない。……俯瞰してみたら僕もそうか。えぇいや何でもない、そのことは真に彼女に伝えるべきだ。
「…僕が言うのもアレだけど、見ず知らずの男を家に泊まらせては、貴女の命が幾つあっても足りないよ。」
「あら、では叶さんはあのまま行く宛もなく、野垂れ死んでも良かったのですね。」
心臓を一突きである。
「そんな話をしているんじゃ…。」
「ありがとうございます。でもそこは心配ご無用、って奴です。私だって今年で19です。そんなバカスカ、男性を自宅に招き入れることはしません。衰弱しきっていた貴方だから、私は助ける路を選んだのです。」
どうやら杞憂だった。彼女は人を見る目がある。36年間生きた僕の半分の人生で、どうしたらその千里眼を獲得出来るのか。尊敬の眼差しを向けざるを得ない。恐らくは彼女はただ、困り人を救助したに過ぎないのだ。ただやはり身辺には充分注意を張るべきだが…。
天道様が傾きかける頃、僕は独り、件の進学について考える。
僕としては、進学する意思がある。日本史、とりわけ近代史を学習したい。圭が粗方教えてくれるとは思うが、やはりその手の専門家に、僕の知らない過去100年間の歴史を、解説して頂きたいものだ。
…そしてメインはやはり医師免許の取得だ。美容整形で食い繋ぐ路は消え失せたが、医師で居れば金銭的に、圭へ幾つかの恩を返せる。そして最後には国家議員でも買収……、いやタラレバの話は止めよう。
圭には今日、朝から晩まで、食事を作って頂いてしまった。味が担保されているもんで、つい任せっ切りになった。そういえば、他人と食卓を囲む光景は久しく見ていない。女性なら尚更だ。僕はこれを経て、孤食でも構わないが、与太話ができる他人が、居るに越したことはないと思う。
今日最後の飯を食った後、圭に進学を希望する旨を伝達する。圭はこう言う。
「では私が一度連絡を取ってみます。叶さんに出来ることは少ないですし、これが手っ取り早いです。」
頭を下げて彼女に依頼する。結果、明後日面接というか試験というか調査を受けることとなった。まずは明日への期待と不安に胸を膨らませ、自室で眠りについた。
首都中央学園高等学校。安直な校名にも思うが、一目で荘厳さは感じ取れる字面だ。
立派な外観は、何時の時期かは忘れたが、絵本で読んだお嬢様学校が、まさにこの|佇《たたず》まいであった。
そしてその敷地面積の広大さに、目玉が飛び出しそうにな……、
……いや長過ぎるだろう!!どんだけ長いんだ!?
ざっと見積もって三キロは下らない。この長方形の建造物に通う生徒数は、各学級ざっと300人程度で、これは過剰にも程がある。頭が狂っている。いや、狂っているから頭がいいのか…?
一度入ってみれば、白一色の壁に茶色の床。別に貴族の学校ではないから、勿論少しだけ変哲はあるが、基本的な学校の要素は遵守している。
そして面接が始まる。と思いきや、早速顔面偏差値の測定が行われる。主観まみれのくだらない時間と高を括っていたが、目は|瞼の形状、鼻は顔面における縦横比を測定するなど、理屈に従って断定する。若干主観に基づいているけど。
と、思っていたのも束の間、背広を着た兄さんと爺さんが僕の正面に立つ。結局最後には、ゴリゴリ主観を導入する。爺さんは鬼の形相で、此方を覗き込む。そして2人がはめているのは……、これもトッチだ。手の甲に照射してフリック入力をする。昨日は圭に音声入力で検索をして貰ったが、双方が現代でも主力なのは衝撃的だ。
そしてもう一つ分からないのは、全く質問されない点だ。僕は面接と聞いていた。がしかし、教師陣は僕の顔を見て書き込む、顔を見て書き込むのループ。つまりAII OF 顔面だ。本当に顔面だ。異空間としか思えない。吐き気は寸前で堪えた。
合格の知らせは、翌日には届いていた。実質的に国公認の美男子に選抜されたのだ。圭もこの知らせに喜ぶ顔を見せた。
8月20日、森叶、実に12年振りの登校である。いや、正確には112年振りか。
教室に入った途端、僕はその華の煌びやかに圧倒される。そこには、2025年では100年に1度の云々と持て囃される、美少女と美男子が椅子に腰掛け、物珍しそうにこちらを覗く。男の僕ですら何かの弾みで惚れる可能性を秘めた美男子、そして相手の対応次第では、僕がSにもMにも成るであろう美少女、それぞれ10数名である。
子が美人なら親も然り。この場にいる坊ちゃま嬢様は、産まれながらに気位が高いわけで、この学校への入学が保証されているのだ。だから転入生を物珍しく感ずるに至るのは、全くを以て無理はない。
黒板はないが、代わりに天井には、ディスコのような光の球が接着されている。ここから壁にどう投影するんだ…?
”内面と経験を重視する校風”は、生徒の顔面偏差値に差異が少ないが故に、謳えるのであろう。内面を見て云々は、ここまで外見が揃わないと再現性に乏しい。なんだか皮肉である。
授業が始まった。この学校に理系・文系の要素は無く、1時間は化学である。すると例の天井の球体が稼働し、教室中を照らし始めた。プラネタリウムと同じ原理だ。天井、壁で立体的な表現が実現されている。
南海トラフは起きてしまったが、核戦争は寸前で耐えたのだそう。他にも日本国第2次高度成長期など、驚愕の史実が語られた。高度経済成長期が再来したにも関わらず、見た感じ、何故だか大いなる発展が見られない。国政が密接に関連しているだろう、と直感で感じた。
だがそれ以上に呆気に取られたのは、公民の授業であった。教師は民主主義を貶め、顔面至上主義を重んずる講義を行う。それを周りの生徒達は、真剣な面持ちで聞く。ノートやトッチらしき機器は無いが、どうやって記憶するのだろう。これもやはり、英才教育の賜物なのであろうか。
教師が言うには、ブスがブス、美人が美人で固まれば、本来諦念すべき外見へのコンプレックスが限りなく0となり、生活水準が向上するというものであった。
差別に値するという主張や、秀でていない者が引き隠る点は無視されるようだ。それで日本国の経済成長の停滞を招かない方が無理ある。大本営発表よりタチが悪い。やはりこれは洗脳だ。
……と散々批判してきたが、主観的には、理屈は百間違い、とも言い難い。
前世の高校時代、僕には密かに思う相手がいた。他の男数名からも色を持たれ、その噂というか事実は、瞬く間に校内を駆け巡った。僕も最善は尽くそうと懸命な努力に勤しんだ。が、いかんせん美男子とは程遠く、イケメンムーヴを披露しても、それを見る目線は冷徹であった。
残酷なのは、彼女が結局の所、顔立ちのよいクラスの男と交際関係を樹立したことにあった。彼とは小学校からの付き合いで、性格の醜さはそこそこ熟知していた。よって取り繕いさえすれば、何もかもが顔、顔、顔なのであった。この不条理に僕は涙すら流せなかった。言葉をぶつける的もない。暴力を奮うモノもない。
……もしかしてこの転生は、僕の顔への執着がもたらしたものなのか…。全貌は不明だが、心当たりとしては適当だ。
この世界は馬鹿げている。未だにその価値観に変わりはない。でもこれは僕の夢みた顔、空間、そして私生活なのかもしれない。
僕の心は、顔面至上主義の賛美に揺れ動いてしまった。
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