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夜の校庭には、月明かりが静かに降り注いでいた。
桜の木の枝はかすかに揺れ、花びらが夜風に乗って舞い落ちる。普段は見慣れたはずの学園が、今はまるで別の世界のように、静謐で幻想的に感じられた。
上杉咲太は、なぜかその光景の中で、自分の頬を伝う熱い涙に気づいた。
「……どうして、俺、泣いてるんだ……」
胸の奥が締め付けられるように痛み、言葉が自然と口をついて出た。
「四葉…お前…!」
叫んだその声は、夜風にかき消されるかのように、かすかに校舎の壁に反響して消えていく。
その瞬間、桜の花びらがふわりと咲太の肩に触れ、冷たくも柔らかい感触が胸をくすぐった。
四葉は、少しだけ微笑みながら、遠くから咲太を見つめていた。
「咲太、バイバイ!」
その声は、どこか楽しげで、でもどこか切なさを含んでいた。
咲太は思わず手を伸ばした。
「まて…いかないで…いかないでくれ!」
足がすくみ、言葉が震える。
なのに、四葉はどんどん遠ざかっていく。
風に乗る桜の花びらの向こうに、彼女の姿は小さく小さくなり、やがて月明かりの中に溶けてしまった。
咲太はその場に立ち尽くし、手だけを空に伸ばした。
「どうして…どうして俺には…」
言葉にならない思いが胸を押し潰す。
そして、目が覚めた。
荒い呼吸を整えながら、咲太はベッドの上で肩を震わせた。
夢の中の感触と、現実の冷たさのギャップに心が揺れる。
「はぁ…はぁ…夢…だったのか…」
布団の冷たさに手を押し付けながら、咲太は自分の心臓の高鳴りを感じた。
夢の中で見た四葉の笑顔、言葉、そしてバイバイの瞬間――すべてが鮮明すぎて、現実のはずなのにまるで遠い幻のようだった。
窓の外では、満月が静かに輝き、桜の木の影が校庭に揺れる。
咲太はその影を見つめながら、そっと呟いた。
「……夢か…でも、あの桜の木の下で…、本当に…四葉と会えるのかな…」
胸の奥に、何かがざわつく感覚。
それは、夢と現実の狭間で芽生えた、切なくて、でも確かな想いだった。
朝の空気はひんやりとしていて、まだ少し肌寒い。
上杉咲太は家での朝の準備を終え、制服を整えながら鏡に映る自分を軽く見つめた。
「……まあ、今日も普通か」
そう呟きながら家を出ると、通学路に差し込む朝の光が目に眩しかった。
咲太がゆっくり歩いていると、後ろから元気な声が響いた。
「咲太!おはよ!」
振り返ると、そこには夜桜四葉がにこにこと笑いながら立っていた。
少し眠そうな目も、彼女らしい明るさで輝いている。
咲太は、思わず小さく返事をする。
「ああ…おはよう…」
四葉は少し首をかしげ、眉を寄せた。
「?」
そして、声を少し柔らかくして、咲太の顔を覗き込むように言った。
「元気ないね、どうしたの?」
咲太は、一瞬言葉に詰まった。
胸の奥でまだ昨夜の夢の余韻が渦巻いている。
だけど、素直に打ち明ける勇気は出ない。
「……なんでもない」
その言葉を吐くと、咲太は少し肩をすくめて前を向いた。
四葉は少し残念そうに見えたが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻る。
「そっか…まあ、いいけど…」
二人は並んで歩き始める。
通学路の景色はいつもと変わらないはずなのに、咲太の心にはまだ昨夜の夢が重く残っていて、四葉の無邪気な声に少しだけ救われるような気持ちがあった。
朝の光と桜並木の下、二人の歩幅が少しずつ合わさっていく。
まだ言葉にできない想いが、静かに胸の奥で揺れていた。
咲太と四葉が通学路を歩いていると、後ろから元気いっぱいの声が飛んできた。
「おはよー!お二人さん!
今日もいいカップルしてんね!」
振り返ると、照井颯太が満面の笑みで手を振りながら駆け寄ってくる。
彼の足取りは軽く、朝の澄んだ空気に溶け込むように明るかった。
四葉は思わず顔を赤らめ、両手で口元を押さえる。
「ええ!?カップル!?」
咲太は呆れたように肩をすくめ、少し目を細める。
「カップルじゃねぇ…ていうか、おれは恋愛なんかに興味ない」
四葉は、咲太の無表情な返事に少し首を傾げる。
「……そっか…でも、なんだか元気ないよ?」
そう言いたげな視線を向けられると、咲太は軽く咳払いをして視線を前に戻す。
「別に…何でもない」
その瞬間、照井颯太がさらに前に出て、両手を広げて言った。
「そんなこと言うなよー!
もしお前に好きな人ができて付き合えたのはいいけど、
急にバイバイって言われてどっか行ったらどうすんだよ!」
咲太はその言葉を聞いた瞬間、昨晩の夢の光景が脳裏に蘇った。
桜の木の下で、四葉が笑顔で手を振りながら去っていくあの瞬間――
胸の奥がぎゅっと締め付けられるように痛み、手のひらに冷たい汗が滲む。
息を飲む咲太の背中に、朝の冷たい風がひゅっと通り抜ける。
「……そんな話はするな…」
咲太は小さな声で呟き、目を伏せた。
夢の中の四葉の笑顔と「バイバイ」の言葉が、まだ鮮明に心に残っている。
四葉は少し心配そうに咲太を見つめた。
「咲太…ほんとに大丈夫?」
その声には柔らかさと優しさが溢れていて、咲太は少し胸が痛む。
照井颯太は、咲太の様子に気づきつつも、茶目っ気たっぷりに肩をすくめて笑った。
「おいおい、そんな顔して歩いてたら朝から暗くなるだろー?
桜の下で別れたこと思い出したんか?」
四葉は思わず吹き出しそうになるが、咲太の顔を見るとそれも抑え込む。
咲太は心の中で、夢と現実の境目がまだはっきりしないまま、ゆっくりと呼吸を整える。
桜並木の下を歩く三人の影は、朝の光に淡く伸びて、ほんの少しだけ温かさを帯びている。
それでも、咲太の胸の奥には、夢で見た四葉の笑顔と「バイバイ」の言葉が重く残り、心の中でそっと疼き続けていた。
歩きながら、咲太は心の中で小さくつぶやく。
「……あの夢、本当にただの夢で終わるのか…?」
四葉と照井の明るい声が、通学路の静かな朝に溶け込みながら、咲太の胸の中でまだ消えない不安と切なさを、そっと包み込んでいった。
学校のチャイムが鳴り、咲太と四葉、そして照井颯太は教室に到着した。
朝の通学路でのやり取りから少し時間が経ち、クラスにはすでに笑い声や筆記具をカチャカチャ鳴らす音が広がっていた。
窓から差し込む光が教室の机や椅子を明るく照らし、普段の静かな雰囲気に穏やかな朝の空気を加えている。
担任の先生が教壇に立ち、明るく告げた。
「きょうは調理実習で火を使うからなー」
その言葉を聞いた四葉の顔が、たちまち青ざめる。
目を大きく見開き、声を震わせながら小さく言った。
「せ…先生…火を使うのなら調理実習…やめてよ…」
クラスの空気は一瞬、張り詰めた。
四葉の必死の訴えに、周りの友達も目を丸くしている。
しかし、先生はにこやかに首を振り、やめる気配はまったくない。
「いやいや、せっかくの調理実習だ。今日はやるぞ!」
その瞬間、咲太はすっと立ち上がった。
クラスの中でも冷静で感情をあまり表に出さない彼だが、四葉の困惑が目に入った途端、自然と口から声が出る。
「おい、四葉困ってるだろ。
そんなこともわかんないのか先生」
教室は少しざわつく。
普段は大人しい咲太が、珍しく強く言葉を発したからだ。
先生は少し焦ったように顔をこわばらせ、頭をかく。
「す…すまなかった!
きょうは調理実習なしだ!」
四葉は胸を撫で下ろし、小さく「ほっ」と息をつく。
咲太は少しだけ眉をひそめるが、口元には微かに安心した笑みが浮かんでいた。
照井颯太はそんな二人を見て、笑いながら言った。
「おお、咲太、さすがだなー。四葉のピンチを救うヒーロー!」
四葉は少し赤面しながらも笑い、咲太に小さく頭を下げた。
教室の空気も次第に和らぎ、いつもの朝の雰囲気が戻ってきた。
窓の外を見ると、桜の木の枝が朝日に照らされて淡く光り、昨晩の夢の記憶と現実が、ほんの少しだけ重なったような気がした。
昼休み。
教室のチャイムが鳴り、学生たちは一斉に食堂へと向かう。
咲太は列に並んで自分の分のパンを買い、空いている席に腰を下ろした。
窓から差し込む午後の光が、机の上のパンをほんのり照らす。
静かにかじるパンの香りと、周囲のざわめきが混ざって、少しだけ落ち着く時間だった。
そこへ、颯太が颯爽とやってきて、咲太の隣に腰を下ろした。
「なぁ…知ってるか?
この学園には不思議な噂があって…」
咲太は口元のパンを止め、眉をわずかにひそめて問い返す。
「噂?」
颯太は楽しそうに目を輝かせ、身を乗り出して囁くように言った。
「この学園には永遠に枯れない桜があって、
その木の下で告白すると幸せになれるんだって」
その瞬間、咲太の背筋に小さな汗が走る。
心臓の奥がぎゅっと締め付けられる感覚――昨晩の夢の四葉の姿が、まざまざと思い出される。
目の前のパンの温かさも、食堂のざわめきも、どこか遠くに感じられた。
「……そうか…
だがおれは恋愛には興味ない。
その話はやめろ」
咲太の声は平静を装っていたが、手のひらの微かな汗と、少し乱れた呼吸が、内心の動揺を隠せていなかった。
颯太はそんな咲太の表情に気づき、にやりと笑った。
「おっと、なにその顔。
まさか、咲太にも気になる人がいるってわけか?」
咲太はパンを口に押し込み、視線を外す。
「……馬鹿言うな」
だが、その短い言葉の裏に、昨夜の夢が残した重い感情がちらりと透けていた。
食堂のざわめきと、窓の外の桜の木の枝が、午後の柔らかい光に揺れる。
咲太は目を細め、心の奥で静かに呟く。
「…やっぱり、あの木の下で…会うことになるのか…?」
放課後のチャイムが教室に響き渡る。
一日の授業が終わり、生徒たちはそれぞれ帰り支度を始めていた。
咲太は自分の机の上の筆箱やノートを整えながら、少しだけ肩を伸ばす。
窓の外には、夕日に照らされた桜並木が柔らかく光り、教室の中に長い影を落としていた。
そのとき、机の横から柔らかい声が聞こえた。
「咲太、今日一緒に帰りたいんだ。
大事な話がしたくて」
咲太は振り返り、四葉の真剣な表情を見つめる。
夕日の光に照らされて、いつもより少し大人びて見える。
「話?いいぞ」
迷わず答える咲太に、四葉はほっとしたように笑った。
二人は教室を出て、静かな校舎の廊下を歩きながら、自分たちだけの時間が流れるのを感じていた。
足音が床に反響し、外の風が窓から差し込むたび、桜の花びらがちらりと舞い込む。
咲太は少し胸の奥がざわつくのを感じながらも、何も言わずに歩幅を合わせる。
教室での慌ただしさや昼間の騒がしさはもうなく、放課後の空気は二人だけの世界のように静かだった。
四葉は時折咲太をちらりと見ながら、話すタイミングを探っている。
咲太もまた、無意識に四葉の背中や歩く姿を目で追っていた。
夕日に照らされた桜の木々が並ぶ道を二人で歩く。
まだ言葉にはしていない「大事な話」が、咲太の胸に小さな重みを残す。
そして、それが何か――恋でも、友情でも、未来の何かでも――、咲太の心の奥で静かに芽吹き始めていた。
夕暮れの風が、桜並木をゆっくりと揺らしている。
二人は沈黙のまま歩きながら、通学路に差し込む橙色の光に包まれていた。
空気は穏やかで、でもどこか緊張感を孕んでいて、咲太はその空気に胸をざわつかせながら歩いていた。
「……話の内容はなんだよ」
咲太が口を開くと、四葉は少し下を向き、指先でカバンの持ち手を握りしめた。
その様子は、普段の明るい四葉からは想像できないほど、どこか弱々しく見えた。
「ごめんね…咲太…
私とは今日でバイバイ」
その言葉に、咲太は一瞬足を止め、目を丸くして固まった。
「……おい、四葉!」
反射的に声が出る。
しかし四葉は振り返らず、すっと前を向いたまま、少し笑顔を作りながら歩みを止めない。
「今までありがとう!バイバイ!」
言葉とともに、四葉は軽やかに手を振り、咲太の前から去っていく。
夕日を背にした彼女の姿は、まるで光に溶けていくかのように、遠ざかる。
咲太は手を伸ばして追おうとしたが、足が地面に張り付いたように動かない。
しばらくその場に立ち尽くし、呼吸を整えながらも、心臓の奥が締め付けられる。
夢の中で見た四葉の「バイバイ」の光景と、目の前の現実が重なり、胸に痛みが広がった。
桜の花びらが風に舞い、二人の間をすり抜けていく。
夕暮れの光の中で、四葉の笑顔と声がまだ耳に残り、咲太は言葉を失ったまま立ちすくむ。
「……なんで……なんで今日、バイバイなんだ……」
通学路に残るのは、夕日の光と桜の花びら、そして深く胸に刻まれた寂しさだけだった。
家に帰った咲太は、玄関で靴を脱ぎ、軽くため息をつく。
「はぁ…今日も色々あったな…」
食卓につくと、母親が用意してくれた温かい夕食を前に、無意識に箸を進める。
だが、咲太の頭の中には、帰り道にあった四葉との「バイバイ」の光景がちらつき、味がほとんど感じられなかった。
食事を終えると、そのまま風呂に入り、一日の疲れを洗い流す。
湯気が立ち込める浴室の鏡に映る自分の顔を見つめ、ふと自分に問いかける。
「……夢じゃなかったのか、さっきの四葉との別れ」
湯船から上がると、リビングの時計をちらりと見る。
「え…もう8時か…」
夜はすっかり更けていて、外は薄暗く、街灯の光が柔らかく道路を照らしている。
咲太は制服に着替えながら、無意識に昨晩の夢と今日の出来事を思い返した。
胸の奥がざわつき、手が少し震える。
「……やべ、財布忘れた」
慌ててリュックを確認し、財布を取りに戻ると、すぐに玄関を飛び出す。
夜の空気はひんやりとしていて、吐く息が白くかすかに見える。
街灯の下、咲太の足取りは自然と早まり、夜の学校へ向かう道を歩き出す。
心の中では、昨晩の夢と現実が混ざり合う感覚が残っていた。
桜の木の下での四葉の笑顔、手を振り去っていった姿――その光景がどうしても頭から離れない。
「……行くしかないか…」
夜道に、咲太の決意と焦りが重なり、静かな街に足音だけが響いていく。
街灯に照らされた制服の影が長く伸び、桜並木の枝が夜風に揺れながら、二人の運命の舞台――学校へと誘っているようだった。
夜の校舎は静まり返っていた。
街灯の光が校庭にぼんやりと影を落とし、桜並木の枝が夜風に揺れて小さな影絵を作る。
咲太は息を切らしながら校門をくぐり、階段を駆け上がる。
「はぁ…はぁ…」
心臓の音が耳に響き、胸の奥が締め付けられるように痛む。
教室で忘れた財布を取り、再び校庭に出ると、視線の先――桜の木の下に、淡いシルエットが見えた。
長い夜の影に包まれたその姿は、まぎれもなく四葉だった。
咲太は駆け寄りながら、声を張り上げた。
「おまえ…四葉…!」
四葉は少し震える声で囁いた。
「咲太…」
咲太は立ち止まり、夜風に吹かれる桜の花びらを払いのけながら、怒りと困惑、そして胸の奥の焦燥を抑えきれずに叫んだ。
「はぁ…はぁ…
おまえ、なんで今日バイバイって言った!」
その声は、空気を震わせ、桜の葉に反射してかすかにこだまする。
四葉はその瞳を伏せ、口を小さく開いた。
「じつはね…私…
桜なんだ」
咲太は一瞬、耳を疑い、言葉が出なかった。
「……さくら…?」
声がかすれて、うまく出ない。
四葉は少し微笑むように、でもどこか切なげに目を細め、静かに語り始めた。
「わたし、小6の修学旅行の頃に…
咲太は覚えてないけど、咲太に助けてもらって…
修学旅行が終わって家に帰るところ、車にひかれて亡くなったんだよね…」
咲太の目が大きく見開かれ、体の力が抜けそうになる。
「……え……?」
言葉にならない声が、夜の校庭に小さく溶けていく。
四葉は続ける。
「それで、生まれ変わって桜になったの。
桜の葉っぱのおかげで私は生き返ったけど…
やっぱりその効果のせいか、咲太に忘れられちゃったんだよね…」
咲太は桜の木を見上げる。
花びらが月明かりに照らされて淡く光り、まるで彼女の微笑みのように揺れている。
頭が真っ白になり、言葉が出ない。
目の前の四葉は、笑っているのか泣いているのか、はっきりとはわからない。
「……忘れられてた…?」
咲太はやっと、震える声で呟いた。
胸がぎゅっと締め付けられ、背筋が寒さで震える。
あの時、助けたこと、そして今日まで一緒に過ごした日々――
すべてが、奇跡のような、そして切ない現実として咲太の心に突き刺さった。
四葉は静かに立ち、咲太を見つめたまま、そっと手を伸ばす。
「ごめんね…忘れさせちゃって…。でも…これからは、忘れないでいてほしい」
夜の桜の下、二人の間に静寂が広がる。
風に揺れる花びらが、まるで過去と現在をつなぐ橋のように、二人の心を包み込む。
咲太の胸の奥で、昨日の夢と今の現実が交錯し、切なさと希望が同時に渦巻いていた。
夜の風が桜の枝を揺らし、花びらがひらひらと舞い落ちる。
校庭は静まり返り、月明かりが二人の影を長く引き伸ばしている。
咲太はまだ息を整えながら、目の前の四葉を見つめていた。
すると、四葉の体が小さく震え、かすかに肩を落とすのが見えた。
「四葉…どうした!?」
咲太は思わず駆け寄り、彼女の腕に手をかける。
四葉は小さく目を閉じ、苦しそうに息をつく。
「ごめんね…もう…だめみたい…
桜がなくなるから、私も消えるみたい…
そしたら、完全に忘れ去られちゃう」
咲太の胸がぎゅっと締め付けられ、言葉を失った。
「え…?」
混乱と困惑が同時に押し寄せ、頭の中が真っ白になる。
四葉は震える声で続ける。
「だから…気にしなくていいよ…」
その声は弱く、まるで風に消されそうなほど儚かった。
しかし、咲太の中で、これまでの感情が一気に爆発した。
胸の奥にたまっていた怒り、悲しみ、そしてずっと守りたかった気持ち――
それが言葉となって、夜の空気に響いた。
「なんだよ…それ!!
それってただの死にたがりじゃねぇか!
ふざけるな!
なにが気にしなくていいだ!
散々俺のこと構ってきたくせに!
最後ぐらい…俺のこと構え!」
咲太の声は震え、怒りと悲しみが混ざり合い、胸の奥から溢れ出す。
夜風がその声を運び、桜の花びらが二人の周りで舞い踊る。
四葉は咲太の言葉を静かに聞き、涙をこぼしそうな目を見開く。
「そうか…」
小さく頷く四葉の声には、安堵と覚悟、そしてどこか温かい光が混ざっていた。
咲太はその小さな頷きに一瞬戸惑う。
だが、目の前で苦しむ四葉の体を見て、胸の奥に新たな決意が芽生える。
「俺は…お前を、絶対忘れない…!」
その声は、静まり返った夜の学校の空気に強く響き、桜の木の下で揺れる花びらに混ざって漂った。
四葉はその言葉に、わずかに微笑む。
小さく震える唇で、咲太を見つめるその瞳には、今まで隠してきた切なさと、ほんの少しの希望が光っていた。
「……ありがとう、咲太」
その一言が、夜の静寂を破り、二人の心に強く刻まれる。
桜の花びらがひらひらと舞い落ち、二人の間を包み込む。
咲太の手は自然と四葉に伸び、ぎゅっと握る。
「もう、離さない…」
彼の声に応えるように、四葉はかすかに手を握り返す。
夜の桜の下、月明かりに照らされる二人の影は、もう一度重なり始めた。
過去の悲しみも、夢の記憶も、すべてこの瞬間に溶け、切なさと希望が同時に交差する――まさに二人だけの時間が流れていた。
夜の学校は静寂に包まれ、月明かりが校庭の桜を銀色に染めていた。
桜の枝は柔らかく揺れ、ひらひらと花びらが舞い落ちる。
咲太は息を切らし、心臓の高鳴りを抑えながら、桜の木の下に立つ四葉を見つめていた。
彼女の姿は、ほんのりと光を帯び、まるで夢の中の存在のように儚く、夜の闇に溶けそうだった。
咲太は深く息を吸い、勇気を振り絞るようにして口を開く。
「最後に一つ、言っていいか?」
四葉は一瞬目を丸くして驚き、しかしすぐに微笑む。
「うん…いいよ」
咲太は深く息を吸った。夜の空気はひんやりとして、月明かりが桜の花びらを銀色に光らせている。
風が舞い、舞い散る花びらは、まるで二人の心の揺れを映しているかのようだった。
咲太は足元に落ちた花びらを見つめ、心の奥にずっと抑え込んできた想いを絞り出すように言った。
「四葉…お前のことが、好きだ」
その言葉が夜の静寂に溶け込むと、四葉は目を大きく見開き、震える声で囁いた。
「え…本当に…?」
咲太の胸の奥で長い間くすぶっていた感情が、一気に溢れ出す。
「うん、本当だ…」
咲太は息を整え、ゆっくりと語り出す。
「なぜ俺がお前を好きになったのか…ちゃんと伝えたい。今だけは、聞いてほしい」
四葉は涙で濡れた瞳を輝かせ、そっと頷いた。
「うん…聞かせて、咲太」
咲太は夜桜を見上げ、月明かりに照らされる花びらを目で追いながら、過去の記憶を一つひとつ紡ぐように語る。
「思い返せば、小学校の修学旅行のことだ…迷子になって泣いていたお前を、偶然俺が見つけて助けたあの瞬間…
あの時、俺は無意識に『守らなきゃ』って思ったんだ。
小さな手を握っただけで、俺の心の奥で何かが芽生えた気がした。
あのとき、お前の目は怯えていたけど、俺に手を取られた瞬間に少し安心したような顔をしていて…その表情が、ずっと頭から離れなかった」
咲太は足元の花びらを踏みしめ、夜風を感じながら続けた。
「それから中学、高校と、時間はあっという間に過ぎたけど、俺は気づかないうちにお前を意識していた。
授業中にふと見せる笑顔、困っている人を放っておけない優しさ、無邪気な笑い方…
些細なことだけど、俺にとっては全部が大切で、全部が俺の心に積もっていったんだ」
咲太の声は少し震え、しかし真剣さを帯びていた。
「笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も…全部お前なんだ。
だから、お前が目の前から消えてしまうなんて、考えたくもない。
でも今、この瞬間、もしお前が消えそうになっても…俺は絶対に守る」
四葉は涙で頬を濡らしながら、そっと手を伸ばして咲太の手に触れた。
その感触は温かく、確かで、夜の静寂の中で二人だけの世界を作り上げていた。
「咲太…でも…私、桜になっちゃうの…」
四葉の声はかすかに震えていた。
「大丈夫…俺はお前を忘れない…お前がどんなに儚くても、絶対に忘れない」
咲太は握った手をしっかりと握り返す。
咲太はさらに語り続けた。
「俺が好きになった理由は、ただ一つじゃない。
小学校のあの瞬間、俺は守るって思った。
でもそれだけじゃない。
中学や高校でお前と過ごした時間、お前の無邪気な笑顔、俺を気にかけてくれる優しさ…
全部が俺にとってかけがえのないものになった。
お前がいるだけで、毎日が特別になった。
お前の声を聞くと安心して、笑うと嬉しくて、泣くと守りたくなる…そんな気持ちが、いつの間にか『好き』になっていたんだ」
四葉は涙を溢れさせながら、微笑んだ。
「咲太…そんなふうに思ってくれて…ありがとう…」
咲太は桜の花びらが舞う空間を見上げ、声を強くした。
「だから、四葉。俺はお前の全部を好きだ。笑顔も泣き顔も、バカなところも、全部だ。
お前がいるだけで、俺は生きてるって実感できるんだ」
夜風が二人の間を吹き抜け、桜の花びらがふわりと漂う。
四葉は光を帯びて、まるで夢のようにふわりと浮かぶ。
「ありがとう…咲太」
その声が、夜空に溶けるように響き、咲太の胸に深く刻まれた。
咲太はまだ手を差し伸べ、花びらを握るように四葉を見つめる。
「忘れない…絶対に忘れない。お前がどんなに消えそうになっても、俺は守る」
月明かりに照らされた夜桜の下、咲太の心は切なさと希望、愛する人を守る決意で満ちていた。
花びらが舞い、二人だけの時間は永遠に続くかのように思えた。
咲太は拳を握りしめ、心の奥で誓う。
「これからは…絶対、守る」
その声は夜空に届き、消えた四葉にも届くと信じられるほど、強く、真っ直ぐだった。
夜の桜の木の下、すべてが静まり返り、月明かりだけが二人を優しく包み込み、切なさと希望が交錯する永遠の一瞬となった。
咲太は目を覚ました。
目の前には、朝の光が差し込む学校の芝生が広がっている。
夜のあの桜の木も、幻想的な月明かりも、四葉の声も――何もかも、頭の中には残っていなかった。
「…あれ?なんでおれ、学校の芝生で寝てんだ?」
頭をかきながら、咲太は困惑する。
昨晩のこと、夜の学校で何かあったような気もするが、思い出そうとしても全く手がかりがない。
夢…か、それとも現実だったのか。
考えれば考えるほど、頭の中は混乱して霧がかかったようだった。
咲太が手を見ると、そこには見覚えのない桜の葉っぱが一枚握られていた。
淡いピンク色で、まだほんのり温かく、柔らかい感触が指先に伝わる。
「なんだ、これ…」
咲太は首をかしげながら葉っぱを握りしめる。
その瞬間、不思議な温かさが胸の奥に広がり、心がほっと緩む感覚があった。
「なんか知らないけど…心があったかくなる」
咲太は思わず呟き、葉っぱを手にしたまま立ち上がる。
目の前の校庭はいつも通りだ。
校舎、芝生、遠くで遊ぶ生徒たちの声…すべてが普通なのに、なぜか手の中の葉っぱだけが非日常の感覚を運んでくる。
咲太はふと、昨日の夢や記憶の欠片を思い出そうとするが、頭の中は空っぽで、四葉という存在も、夜桜の木も、何も思い出せない。
ただ、手の中の葉っぱを握った瞬間、心の奥底にふわりとした温かさが残った。
「…これ、何かの記念…みたいなものかな?」
咲太は葉っぱをそっと握りながら、校舎へ向かって歩き出す。
朝の光は眩しいけれど、どこか優しく、胸の奥の温かさと重なって心地よい。
「なんだか、不思議な気分だな…」
歩くたびに葉っぱの温もりが手のひらから伝わり、咲太の胸に微かな安心感を残す。
昨日までの混乱や疲れもどこか遠くへ消え、ただ清々しい朝の空気の中で一歩一歩前に進むことができる。
廊下の窓から差し込む光が、握った葉っぱを優しく照らす。
その瞬間、咲太はなんとなく感じた。
「誰かが…俺を見守ってくれてるような気がする…」
思い出はなくても、温かさだけは確かに残っている。
それだけで、咲太は胸の奥に小さな希望を抱き、歩き続けられるような気がした。
手の中の桜の葉っぱは、まるで小さな奇跡のかけらのように、咲太の手の中で微かに揺れる。
そして咲太は、忘れたはずの何かに導かれるように、校舎の中へ歩みを進めるのだった。
咲太は校舎に向かって歩いていた。
朝の光が校庭を淡く照らし、芝生の緑が眩しく揺れる。まだ頭の中は少しふわふわしていて、昨晩の夢か現実かもわからないような感覚が残っていた。
しかし、そのとき、足元の小さな石につまずき、咲太は前に転んでしまった。
「うっ…!」
咲太は咄嗟に手をついた。すると手のひらに、緑色の小さな影が触れた。
しゃがみ込んでよく見ると、それは小さな四葉のクローバーだった。
「…四葉のクローバー…?」
言葉にならない声が口をついて出る。
その瞬間、咲太の頭の中に、昨日の夜のすべての出来事が一気に流れ込んできた。
桜の木の下での四葉の笑顔、告白、悲しみ、そして消えゆく四葉の姿――忘れていたはずの記憶が、クローバーの小さな緑に呼び覚まされたのだ。
手に握った桜の葉っぱが、自然と温かい光を放ち始める。
柔らかく、優しく、まるで昨日の夜の月明かりのように、校舎まで光の道を描き出している。
咲太は一歩一歩、その光に導かれるまま歩き出す。
胸の奥は高鳴り、鼓動は早くなる。
思い出したくなかった気持ちも、忘れていた感情も、すべてが一度に押し寄せる。
「四葉…俺…お前のこと…!」
咲太は声にならない叫びを心の中で響かせる。
足取りは自然と早まり、胸の熱さに体を押されるように理科室へと向かう。
理科室の扉の前に差し掛かると、咲太の目は一瞬で釘付けになった。
そこには、確かに四葉が立っている。
黒髪に朝の光が反射し、制服姿が朝日に溶け込む。
そして四葉は、咲太を見つめ、にっこりと笑った。
「やっほー、咲太!」
その声を聞いた瞬間、咲太の胸の中のもやもやが一気に溶けた。
昨日まで忘れていた、四葉とのすべての時間が、鮮やかに心に蘇る。
「あ…四葉…!」
咲太は思わず駆け寄ろうとした。
光に導かれ、クローバーと桜の葉っぱを手にしたまま、咲太は全身で再会の喜びを感じていた。
四葉の笑顔は、言葉以上に強く咲太に伝わる。
「大丈夫だよ、咲太。私はここにいる」
その瞬間、咲太は理解した。
忘れていたはずの感情も、心の奥底でずっと彼を待っていたのだと。
咲太の胸の中には、喜びと安堵、そして懐かしさと切なさが入り混じった感情が渦巻く。
「もう…二度と、君を失いたくない」
握りしめた桜の葉っぱとクローバーが、手の中で温かく震え、まるでそれを応援してくれているかのようだった。
校舎の窓から差し込む朝の光は、二人だけの世界を柔らかく包み込み、静かに時を止めたかのように感じられる。
咲太は一歩踏み出し、ゆっくりと四葉に近づく。
その距離は短いようでいて、二人の心の距離は昨日の夜の出来事を経て、より深く、確かなものになっていた。
「四葉…」
咲太は声を震わせながらも、心の底からその名前を呼んだ。
「俺…昨日のこと、全部覚えてる…お前が、俺にくれたものも…全部…」
四葉は頬をほんのり赤くしながら、でもしっかりと笑顔を咲太に向ける。
「よかった…咲太、覚えててくれて…」
咲太は深く息を吸い込み、胸の中の熱を全身に感じながら、再び握りしめた桜の葉っぱとクローバーを見つめる。
「もう、絶対に…お前を一人にしない。忘れたりなんかしない」
二人を包む光は、校舎の中を淡く揺らめき、手の中の葉っぱたちは、まるで再会を祝福しているかのように輝き続けた。
その瞬間、咲太は知った――
奇跡は、待つだけでなく、自ら信じて歩み出すことで起きるのだ、と。