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特別番外編③:『小さな棘と、世界で一番贅沢な子守唄』
世界を半分ずつ支配した極秘の結婚から、数年後。大江山の麓にある隠れ家に、新しく、とても小さな足音が加わっていた。「……あう、うー」ベビーベッドの中で、生後数ヶ月の赤ん坊が小さな手を伸ばしてご機嫌に声を上げている。ふわふわとした律譲りの黒髪。しかし、その瞳は荊棘と同じ、綺麗な黄金色(きんいろ)だった。二人の血を引く、愛おしい我が子。荊棘は、いつものスラックス姿のままベビーベッドに寄りかかり、人差し指を赤ん坊に握らせていた。その金の瞳は、かつてないほど優しくはんなりと細められている。「ふふ、おおきに。上手に握れたねぇ。……律、見てみぃ。この子、もうこんなに力が強いわ。誰に似たんやろね」「うう、絶対に荊棘ちゃんの酒呑童子譲りの怪力だよぉ……。僕の指を握る時も、ときどき骨がミシッて言うんだぁ……。でも、世界一かわいいですぅ〜!」すぐ隣で、人間政府を裏から支配する最高権力者・安倍律が、すっかり親バカの顔になってタレ目をふにゃふにゃに下げていた。律は慣れない手つきで哺乳瓶を温めている。その時、リビングの窓が静かに、音もなく開いた。かつてのようにガラスを叩き割らなかったのは、赤ん坊を起こしてはならないという、侵入者の最低限の配慮だった。「……お嬢様。我が主の御子の、さらにその御子……。お祝いの品を持って参りましたぞ」黒スーツ姿で音もなく着地したのは、大江山の若頭・茨木童子だった。茨木は赤ん坊の姿を見るなり、その場に大袈裟に跪き、うっとりと涙を流す。その腕には、妖怪特区で手に入れたという「妖力を安定させる最高級のおしゃぶり」が抱えられていた。荊棘はピクリと眉を動かし、低く、静かな凄みを込めて呟いた。「……ちょっと、茨木。静かに入ってきたんは褒めたるけど、また勝手に人の家入って。……その怪しいおしゃぶり、何。うちの子に妙なもん吸わせんといて。次やったら、うち、本気で怒るよ」「お、お嬢様……! 相変わらずの冷徹なトゲ、痺れます! しかし、この子は我が大江山の次期総大将! 早く夜の世界へ連れて行き、鬼としての英才教育を――」「ひゃあぁぁ! 怖いヤクザな妖怪が僕たちの赤ちゃんを誘拐しようとしてますぅぅ!」律がすかさず荊棘の背後に隠れ、エプロンの裾を掴んで震える。だが、その瞬間。荊棘の背後から、律のタレ目が冷酷な「天才陰陽師」のそれへと一瞬で切り替わった。律(茨木を冷たく睨みつけながら、指先で不可視の防音結界を展開)「(……おい角無し。僕たちの赤ちゃんを『総大将』とか言って、勝手に夜の世界の抗争に巻き込もうとするな。次その口を開いたら、安倍家の禁術でお前のおしゃぶりごと消滅させるよ?)」茨木(律の呪力を察知し、狂気的な鬼気で睨み返し)「(……おのれ安倍のクソガキ、お嬢の背後から殺気を出して! 貴様の薄い血のせいで、もしこの高貴な御子がヘタレに育ったらどうするつもりだ! 今すぐ大江山の炎で焼き尽くしてくれるわ!)」赤髪化の進行を恐れていた日々が嘘のように、二人の男は「赤ん坊の未来」を巡って裏で激しい火花(第3ラウンド)を散らしている。「……ほんま、親になっても手ぇかかる子ぉらやわ。静かにしぃや、起きるやろ」荊棘がはんなりと凄むと、二人は一瞬で元の顔に戻り、「ひゃん!」「は、はいっ!」と同時に直立不動になった。コト、と小さな音がして、ベビーベッドの赤ん坊が目を覚ます。環境の妖気や呪気の高まりに反応したのか、赤ん坊のふわふわとした黒髪が、一瞬だけ、ほんのりと「真紅(赤髪)」に染まりかけた。荊棘と律の顔に、一瞬だけ緊張が走る。だが、律はすぐに優しく微笑み、赤ん坊の手を包み込んだ。そして、その全身から、赤ん坊の鬼の血(狂気)を優しく鎮めるための、世界で一番穏やかな隠蔽の結界術(子守唄)をそっと紡ぎ出す。荊棘もまた、赤ん坊をそっと抱き上げ、その愛おしい胸元に顔を寄せた。「……よしよし、怖ないよ。大丈夫。……うちと律が、あんたの居場所を全部守ったるからね。やから、安心して大きくなりぃ」母となった荊棘の温かい京言葉に包まれて、赤ん坊の髪はすぐに綺麗な黒髪へと戻り、ふにゃりとタレ目を下げて、律にそっくりな笑顔で再び眠りについた。昼の支配者と、夜の総大将。世界を欺く二人の嘘の境界線の真ん中で、新しく生まれた小さな命は、どこまでも優しく、暖かく守られていくのだった――。
コメント
2件
うわあ……読んでてあったかくなりました。数年後の荊棘と律が、あの頃の鋭さを残しつつしっかり親になってるのが感慨深いです。特に、茨木が「音もなく窓から入る」配慮から始まって、律と赤ん坊の未来を巡って殺気を飛ばし合うシーン、あの一瞬で第3ラウンドに突入するところが可笑しくもあり、二人の間にある確執・愛情・保護欲が凝縮されていて好きでした。ラストの荊棘の「居場所を全部守ったる」という台詞、律の結界術を「子守唄」と表現したところも、設定を感じさせつつ温かくて素敵です。