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リフェアリー
128
甲府の市は、まだ、開いていた。
駅前の広場。露店の数は、半年前より、減っていた。百を超えていたものが、六十ほど。代わりに、広場の北側に、白い旗が立っていた。黒い丸。旗の下に、トラックと、倉庫代わりのテント。黒い作業着が、見えるだけで二十人。
御殿は、市を潰していなかった。市の隣に、座っていた。
「会長は」要は、入口の机にいた若者に聞いた。評判台帳の、三人の若者のうちの一人だった。顔を、要は覚えていた。若者も、要を覚えていた。
「奥に。でも、要さん、来ちゃまずい。御殿が」
「知ってる。通してくれ」
会長は、広場の隅の、パイプ椅子にいた。半年で、十歳、老けたように見えた。要を見て、立ち上がった。
「……来たのか」
「来ました」
「手紙は、届いたか」
「届きました。だから、来ました」
会長は、懐から、紙を出した。要が、蝋で封じた手紙だった。蝋は、割れていなかった。『土師』の印が、赤い蝋の上に、残っていた。
「今朝、飛脚が持ってきた。蝋が、ついてた。あんたの印だった。開けたら、変なことが書いてあった。茶色のジャンパーの男に、最初のバツをつけた日の、丸の数」
「答えは」
「百十一」会長は言った。「あの日、丸が百十一、バツが七。夜、あんたと三人で照らした。忘れん」
百十一。要が、半年前、三冊目のノートで見た数だった。
会長は、本物だった。
要は、息を吐いた。
「これで、二つ、確かめられました」要は言った。「蝋が割れてなかった。だから、飛脚は、開けなかった。あなたが、百十一と答えた。だから、あなたは、あなただ」
「それが、わかって、どうなる」
「次から、僕とあなたは、顔を見なくても、手紙で話せます。蝋と、二人しか知らないことで」
会長は、少し、笑った。
「あんた、こんなときに、仕組みの話か」
「こんなときだから、です」
*
御殿の要求は、一つだった。評判台帳を、渡せ。
「渡したら、どうなる」要は聞いた。
「御殿が、市を管理する。誰が丸で、誰がバツかを、御殿が決める。御殿に逆らった者は、バツになる。バツになったら、市で取引できない」
「渡さなかったら」
「倉庫の米を、市に出さない。市の米は、半分、御殿の倉庫から来てる。止まれば、三週間で、市は飢える」
要は、広場を見た。六十の露店。米。野菜。魚。薬。半年前と同じ品が、半年前より少なく、並んでいる。
評判台帳は、要が作った。甲府の市で、刺された男を見た翌日に。誰が約束を守るかを、紙に書く。それだけの仕組みだった。
御殿は、それを、欲しがっている。約束を守る者の名簿ではなく、逆らう者を排除する名簿として。
道具は、誰が使うかで、変わる。塩尻峠の廃校で、要は、それを思った。今、目の前で、それが、起きようとしている。
「会長。台帳は、何冊ありますか」
「三冊」
「三冊とも、ここに」
「一冊は、ここ。一冊は、おれの家。一冊は、魚の仲買人のところ。あんたが、分けろと言ったから」
要は、考えた。
三冊を、全部、御殿に渡したら、市は御殿のものになる。一冊も渡さなければ、米が止まる。
「一冊、渡してください」
会長が、要を見た。
「一冊?」
「三冊のうち、一冊。御殿は、一冊で、丸とバツを書き換えられる。でも、残りの二冊が、別の場所にある。御殿が書き換えた台帳と、残りの二冊が、合わない。合わなければ、市の人間は、どちらが本物かを、知る。三冊のうち、二冊が本物だ」
「御殿が、残りの二冊も、探しに来る」
「来ます。だから、残りの二冊は、今日中に、甲府の外に出す」
「どこへ」
「一冊は、諏訪へ。一冊は、木曽へ。飛脚に、蝋で封じて、運ばせる」
会長は、長い間、黙っていた。
「……御殿が、気づいたら」
「気づきます。でも、気づいても、二冊は、二百キロ離れた場所にある。取りに行くのに、一週間かかる。一週間あれば、甲府の人間は、御殿の台帳と、本物の台帳の違いを、覚える」
「覚えて、どうなる」
「御殿の台帳を、誰も信じなくなる。信じない台帳は、紙です。御殿は、紙を手に入れただけになる」
会長は、立ち上がった。パイプ椅子が、倒れた。
「……やる」
*
その日の夕方、二通の手紙が、甲府を出た。
一通は、諏訪の佐久間へ。一通は、木曽の大畑へ。どちらも、評判台帳の一冊を、油紙で包んで、蝋で封じたもの。封蝋には、要の印と、会長の印が、二つ、押してあった。
運ぶのは、飛脚の男と、もう一人。丸が二十七の、魚の仲買人だった。
「蝋が、二つの印で封じてある」要は、二人に言った。「一つは僕。一つは会長。開ければ、二つとも割れる。届いた先で、佐久間さんと大畑さんは、二つの印を確かめる。それから、中の台帳の、最初の一行を読む。最初の一行は、僕と会長しか、知らない」
「何が書いてある」飛脚が聞いた。
「言えません。言ったら、仕組みが壊れる」
飛脚は、笑った。
「わかった。開けない。開けても、わからない。それでいい」
二人は、夕暮れの中を、東と北に、別れて歩いていった。
要は、ノートに書いた。
『九、遠隔。蝋で封じ、二人の印を押し、二人しか知らないことを中に入れる。運ぶ者の評判と、蝋の割れと、合言葉。三つが揃えば、顔を見なくても、本物と言える』
九つ目の、形だった。まだ、半分かもしれない。でも、半分より、少し、多かった。
広場の北で、白い旗が、風に揺れていた。
権田は、まだ、姿を見せていなかった。
コメント
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第35話、読み終わったよ〜!!😭✨ 封蝋のシーン、マジで痺れた…! 「蝋が割れてなかった」から「あなたはあなた」って繋がる推理、めちゃくちゃ丁寧でエモい。会長と要の信頼関係が手に取るように伝わってきた💯 それに「道具は誰が使うかで変わる」って台詞、重すぎる…! 三冊の台帳を分散させて御殿に対抗する戦略、冷静なのに熱い。二人の印を押した二通の手紙が夕暮れに出されていくラスト、映像が浮かぶようだったよ。権田はまだ姿を見せてない…次が怖いし気になる!!🔥