テラーノベル
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二階層
広大なホールのような空間に足を踏み入れると、熱気が肌にまとわりついた。
あちこちで剣の金属音が鳴っている。鍛錬する者、荷を広げて素材を仕分ける者、地面に円陣を組んで戦術を話し合っている一団。笑い声と怒号、武器と防具がぶつかる音が重なり合い、ざわめきが天井を跳ね返るように響いていた。
ぼろぼろの布装備に身を包んだ者もいれば、やたら派手な魔導服を纏った貴族風の連中もいる。
そこはダンジョンというよりかは、小さい市場のようだった。
「エリーゼちゃん、なんでこんなにいんの?なりたての冒険者って意外と多いの?」
「いえ、なりたては珍しいですよ。ここでは”属性石”っていうアイテムが手に入るんです」
「属性石?」
「武器につけると属性効果を付与できるんです。たとえば、炎の石を剣に付けると、振るだけで炎を纏うようになるんですよ。」
「なにそれ、めっちゃカッコいいじゃん!!」
「ですが、威力はあくまでおまけ程度です。威力を高めるには、石を素材にして武器を作れば良いんですけど、高いですし、正直魔法を覚えた方が早いんですよね。」
「じゃあなんでこんなに人いんの?」
「貴族たちの間で属性石コレクション”が流行ってるんです。種類ごとに石の色や紋様が違っていて、見た目重視で通ってる人もいるとか」
「やっぱ貴族は物好きな人が多いのね。ってことでーー」
カイルの目がきらっと光る。
「ちょっと探そうぜ!!」
意気込んで周囲を見渡すが、何もない。見える範囲のモンスターは、すでに他の冒険者たちに倒されており、残っているのは踏み荒らされた地面と素材のカケラのみ。
小さな屋台で、属性石を売っている店があったが、そこには人だかりが出来ていた。
「何もすることないですやん」
「そうですね。早いですが、ここで休憩しましょうか」
人の少ない岩陰を見つけ、一行は腰を下ろした。カイルはドサッと大の字に横になり、天井の岩肌をぼーっと見つめる。
「ラシアちゃん、マッサージいいかな」
「え?ここでですか?」
「うん。ちょっとくらいええやん。モンスターもおらんし」
「そうですか……」
ラシアは微かに笑い、静かに背後へ回ると、膝立ちになって指先を滑らせた。カイルの顔が、ふにゃりと溶けた。
「私はゼリアさんに剣術を教えるので、しばらくゆっくりしていてくださいね」
やわらかく言うエリーゼの視線がカイルへ向く。すでに彼は、ラシアの膝を枕にして、あどけない寝顔を晒していた。まるで何もかも満たされたような表情で、深い寝息が聞こえてくる。
「まったく、もう少し厳しくした方が良いのでは?」
ゼリアが腕を組んだまま目を細め、呆れ混じりの視線でカイルを見つめていた。
「まあ、昨日いろいろあって、いきなりここに連れてこられてるんですから、厳しくは出来ないんですよ」
エリーゼが微笑をたたえたままそう返す。だが、ゼリアのまなざしは鋭いままだった。
「でも、あのままじゃ、必ず痛い目に遭いますよ」
「そのときは、私が助けますから」
即答するその声音に、ゼリアの眉がぴくりと動く。
「エリーゼさんは甘すぎますよ」
「その分、ゼリアさんに厳しくするので、安心してください」
「え?」
エリーゼがくるりと正面を向くと、微笑の奥に光るものがあった。空気が一瞬、ひやりと冷たくなる。
「ゼリアさんには剣の才能があるので、ビシバシいきますよ!」
「よ、よろしくお願いします」
ごくり、と唾を飲んで、ゼリアが姿勢を正す。
「それじやあ、剣を構えてください」
「分かりました」
足を引き、ゼリアが構えの型に入ったると、エリーゼの空気が変わった。
「全力で来てください。じゃないと、大けがすると思いますので」
その言葉が口を出ると同時に、緊張が一気に肌を這い上がる。彼女の眼差しは真っ直ぐに、迷いなく、冷たくも温かい”本気”の目をしている。
ゼリアの背筋に、ぞわりと鳥肌が立った。
「いきます!」
彼女が床を蹴ると、硬い石の反響が背中まで突き上げてくる。踏み込みと同時に剣がうなりを上げ、一直線にエリーゼへ斬り込まれた。
だが、その一撃が届くより先に、目の前から気配が霧のように消えた。
剣先が空を切る。視界の端、エリーゼの影が滑るように姿勢を沈め、軸をずらすのが見えたと思った次の瞬間。
腰の脇に、骨を鳴らすような重い衝撃が走る。
「ぐはっ」
柄の一撃が腹に食い込む。肺から無様に息が漏れ、剣を支える膝が思わず石床を叩いた。
「早く立て直さないと、本気で斬りますよ」
背後からかすかに届く声は柔らかい。だが、肌の奥を針のように突く冷たい圧が潜んでいた。
彼女の足が無意識に一歩後ろへ引かれる。視線が絡むと、わずかに震える自分の腕が目に映った。
このままじゃ、飲まれてしまう。
エリーゼの足音が一歩ずつ迫るたび、剣先が地を擦り、重い空気がまとわりついてくる。
引いても、無意味だ。なら、攻めるしかない!!
喉の奥で呼吸を一度だけ殺し、ゼリアは顔を上げる。正面に立つエリーゼの瞳と視線が重なる。
「さっきのと、同じですか」
「それはどうですかね!」
吐息と同時に地面を蹴る。床を滑るように踏み込み、腰を捻り、剣を振るう角度を思い出す。
昨日、エリーゼが見せたあの一瞬――あれを、体に刻み込む。
踏み出す足の向き、重心の乗せ方、刃の軌跡。
「一式、立風!」
風を切り裂く音が小さく空気を震わせ、全身の筋肉がしなる斬撃が鋼を捕らえた。だが、
キィンッ!
彼女の剣がわずかな動きで軌道を弾き、火花のような金属音が散った。
「流石ですね。素晴らしい才能ですよ」
笑みを浮かべて立つエリーゼに、ゼリアの視線が細く尖る。
「あなたに言われても、何も感じないんですが」
噛みつくように吐き捨て、何度も刃を振り上げる。だが一撃も届かない。エリーゼは片手だけで、鋭い軌道を正確に弾き返していた。。
刃と刃が鳴り、軌跡が空を裂くたび、石壁に音がこだまする。
「ゼリアさんは昨日教えたことを覚えていますか?」
「……今の私は確かに、それが出来ていませんでしたね。」
言葉とともに、ゼリアの動きが微かに変わった。直線だけだった剣筋が波のように重なり、揺らぐ。
一瞬の隙にエリーゼの目が細められる。
「うまく出来てますよ。」
相手の目を見ない。視線に剣を預けない。ただ剣が斬るべき道を描き出す。
先ほどまでの単調さが跡形もなく溶け、ゼリアの剣筋は、生き物のように流れていった。
「私も、そろそろ攻撃に転じましょうか」
言い終えたと同時に、地面を踏み込む鋭い音が鳴った。エリーゼの動きはまるで残像のようで、ゼリアは視線すら追いつかない。
光の線を引くような剣筋が襲いかかり、対応する余裕はどこにもなかった。
頬、肩、腕。肌のあちこちが浅く裂かれ、じわりと血が滲む。
「防御だけじゃ意味が無いですよ」
すでに次の斬撃が迫っていた。ゼリアは後退しつつ、彼女の先ほどの動きを頭の中で再現する。
体の軸をずらし、腰を沈め、上半身を折り畳むようにして剣線をいなす。
だが、その剣は避けきれない。鋭さはそのままに軌道を変え、ゼリアの喉元へと突きつけられていた。
全身に戦慄が走る。反応できない。体は固まり、ただ剣先を見つめるしかなかった。
「とりあえず戦闘はここまでにしましょうか。素晴らしい成長速度ですよ。」
剣を下ろし、ゼリアにポーションを手渡した。
「いえ、私なんか全然ですよ…..」
「一式を見よう見まねであそこまで完成させたのには、言葉が出ないくらいすごいことです。」
「ありがとうございます。」
ホーションの栓を開け、口に含むと苦味が喉をかすめて抜ける。体にじんわりと温もりが広がり、傷口がみるみるうちに塞がっていく。
「次は、一式の立風の練習をしましょうか。」
「お願いします。」
エリーゼは無言のまま、ゆっくりと壁の前へ歩みを進めた。足音が石床に吸い込まれるたび、空気の温度がひやりと沈んでいく。
剣をゆるりと構え、わずかに肩が上下する。足先が地を踏みしめると、床から伝わる振動がゼリアの足元にも届いた。
「見ていてくださいね」
その声が耳朶を打った直後、視界が白く切り裂かれた。風が舞い、銀の軌跡が壁を斜めに裂く。
鈍い衝撃音が洞窟のホールを満たし、余韻のように石の粉がはらはらと落ちる。
「立風は元々、相手に牽制や目くらましのために使うことを目的として、生み出されたと言われています」
静かな声が壁の爪痕の前に漂う。ゼリアは喉を鳴らし、細く息を吐くしかなかった。壁面には、鋭い一閃の証が深々と刻まれている。
先ほどまでの穏やかな空気が嘘のように、剣先の気配が空間を震わせていた。
「なので、スピードがとても大事です。ゼリアさんには力がありますが、少し大振りなのでスピードが遅いんですよね」
「分かりました。私もやってみます」
ゼリアは小さく足をずらした。呼吸をひとつにまとめ、胸いっぱいに吸い込んだ冷たい空気を刃に乗せる。
重心を低く、剣を構え、手の力をほんの僅かに抜く。一瞬の溜めが、刃先の光を強くした。
一気に踏み込み、腰をひねり、全身をひとつの線に縫い合わせて振り抜いた。
金属が石をかすめる甲高い音が、耳を裂く。壁に跳ねた火花のような光が散り、一筋の薄い線が浮かび上がった。
まだ深くはない。だが確かに、そこに軌跡が刻まれた。
エリーゼの口元がふっと緩む。
「ゼリアさんは人の動きを真似するのが得意なんですね」
「…..自分でも気づけていませんでした」
胸の奥で小さく火が灯るような感覚があった。剣を支える手の甲に、汗がにじむ。
「私を超すのも時間の問題ですよ」
その柔らかい笑みに、ゼリアは思わず視線を落とした。指先が微かに震え、喉が言葉を拒む。
この人は自分の強さがわかっていないのか?
眉がわずかに引きつり、目線が壁の傷跡をなぞるように揺れた。口を開きかけて、ただ喉奥で息が詰まる。
……どう考えても、あなたの方が恐ろしいですよ。
「今日は色々と勉強になりました」
「これから、毎日鍛えていきましょう!」
「お願いします」
ふたり並んで歩き出し、さきほどまでカイルとラシアがいた岩陰に戻る。だが、そこには誰の姿もなかった。
「どこにいったんですか?」
エリーゼが周囲を見渡すと、遠くからざわめきが押し寄せてきた。
フロアの奥で、色とりどりのスライムに追われながら、カイルとラシアが逃げているのが分かった。
「早く、あのスライムを討伐するぞ!!」
「なんだと!あのスライムは俺のもんだ!」
「いいえ、私たちのものよ!誰にも邪魔はさせないわ!!」
その後ろから、スライムを追いかける冒険者の大行列。
「エリーゼさん!ゼリアさん!早く助けてください!」
「なんで二階層でこんな目に遭わなきゃいけないんだーー!!」
カイルの叫びが、盛大なパニックの波の中に響いた。
地響きのようなスライムの跳ねる音と、冒険者の強い意志。
ふたりの冷静な視線が静かにそこへ向いて、深いため息がひとつ落ちる。
「本気で殴りたい……」」
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