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シグレの全方位を包む水蒸気は高濃度な迄に圧縮され、今にも弾けそうであった。
“――駄目だ! 間に合わない!!”
シグレが村雨を振り翳す。正に一瞬連斬。常人の目には、幾多もの閃光が走った様にしか見えない。
「伏せろぉぉぉぉぉ!!」
刹那、ユキの叫び声が空気を切り裂くが如く響き渡る。
『えっ!?』
『何だ!?』
『一体……何が?』
“――ユキ!?”
シグレの剣閃が四方八方へと、何かが破裂する様な音が一瞬だけ辺りへと響き渡った。
「ちっ!!」
ユキはその瞬間には、既に行動を終えていた。自らの前方位に、巨大な氷の柱を生み出していたのだ。そしてその氷の柱が、何かとぶつかり合う衝撃で崩れ落ちるまで、実にほんの刹那の刻の事。
久遠にも感じられた、この一連の出来事。
シグレが村雨を振り翳してから現在の静寂に到る迄、その間僅か五秒余りの出来事であった。
『一体……何が?』
誰もが異変に気付いたのは、その直後の事。
“ーーっ!!”
彼の叫び声の意味が漸く理解出来た。否、理解したくは無かった。
伏せる事無く、呆然と立ち竦んでいた者達に異変が起こる。
『嘘だ……』
『そんな……』
各々の身体に、赤い線状のものが次々と浮かび上がっていく。
ある者は胴。ある者は首。ある者は顔の一部。各々が異なる、受け入れ難い赤い線。
『あ……ああぁーー』
それが合図の皮切りであるかの様に、同時に赤い鮮血が身体から破裂し、一気に吹き上がった。
自分が斬られている事も気付かない活け作りの魚の様に、各々の分離した身体の部位が鮮血と共にずり落ち、無造作に地面へと転がり落ちていく。
「うぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「きぃゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
「ヒィィィィィ!!」
辛うじて難を逃れた者達は、その惨状を目の当たりにして悲鳴とも似つかない、声にならない絶叫を響き渡らせる。
静寂から突如訪れた惨劇。現場は酸鼻を極め、怒号と悲鳴の交錯する阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
※水はその存在自体が奇跡とも云える魔法の液体だ。あらゆる命の源であり、液体から固体・気体と容易にその姿を変える。
故に水は万能。
超水圧で形成されたウォーターカッターの切れ味は、金剛石(ダイヤモンド)をも分断する。
***
“――どうして……こんな事に?”
アミは目の前の現実に、ただただ呆ける様に座り込んでいた。
昨日までは一時的とはいえ、平穏だった日常の筈が今、目の前にある光景は“地獄”そのもの。
強烈な迄に漂う血の臭いに、耳が痛くなる程に飛び交う悲鳴。
「……ミ、――アミ!? しっかりしてください!」
肩を揺らしながら訴えるユキの声に、アミは漸く現実に引き戻された。
「ユキ……」
彼女の瞳は、思わず泣き出しそうになる程の悲壮感に満ちていた。
しかし、今はそんな感傷に浸っている場合では無い。
「聴こえますか!? 貴女は今すぐミオと生き残った者達を先導して、この場から逃げるんです!」
それが今取るべき最優先事項。
しかし恐怖に依るものか、ショックに依るものなのか? アミは身体を思う様に動かせない。
「逃げる? 何処へ?」
そんな彼の提案を嘲笑うかの様に、シグレがユキの背後へ、ゆっくりと歩み寄りながら囁いていた。
「シグレ、貴様……」
ユキはシグレの方を振り返り、見据える。その瞳に宿るものは、明らかに怒りの灯火であった。
「人間臭いな、今のお前の目。何時からそんな目をするようになった?」
シグレはユキの背後に座り込む、アミとミオに目を向ける。
「成る程な、お前が飼い猫に成り下がった理由。まあ、どうでもいいか。どっちにしろお前を含め、一匹残らず駆除する事にしたからな」
シグレが口角を吊り上げながら笑みを浮かべ、左指を“パチン”と鳴らす。
『ーーっ!?』
その直後、辺りの空気が一変する。
“――くっ……苦しい!”
“なっ……何これ? い……息が……”
アミとミオのみならず、生き残った誰もが異変を感じ、もがき苦しみだす。
「ぐっ……ぐるじぃぃぃ!」
「だっ……だずげでぐでぇぇぇぇ!」
まるで水の中に居る様な感覚。辺りが深い霧に覆われ、まともに声を出す事さえ困難な程の。
「此処等一帯、全ての湿度を高濃度に引き上げた。常人では極度の酸欠で、動く事さえままなるまい」
淡々と状況を説明するシグレ。これではこの場から、逃げる事さえ困難となった。
「ククク、せっかくの甘美なる惨殺が支配する辺獄空間。悲鳴と絶叫を上げる観客が居ないと味気無いしな」
そう愉快そうに彼は嗤う。
「アンタは何時だってそう、自分以外の者など虫けら同然としか思っちゃいない」
ユキはこの高濃度の霧の中、苦も無く立ち上がり、シグレをきつく見据え呟いていた。
「お前もそうじゃなかったのか? 綺麗事並べて飼い猫に成り下がろうが、お前の本質は何も変わらない親殺しーー!?」
シグレがその言葉を最後まで言う前に、既にユキは彼の背後に回り込んでいた。
「シグレぇぇぇ!!」
ユキは空中からシグレの首筋へ、右手で握り締めた刀を降り翳す。首を飛ばす為だ。
「フン……」
振り向き様シグレは、その斬撃を村雨でしっかりと受け止める。刹那、二つのぶつかり合う金属音が鳴り響いた。
「怒りに任せた斬撃が俺に当たると思っていたのか? あの冷静な太刀筋は何処に行ったのやら……」
シグレは軽く受け流し、弾かれる様に二人共距離を取る。
「テメぇぇ……」
ユキは刀と鞘に依る双流葬舞の構えを取り、シグレへ向かって猛然と斬り掛かっていった。
「勝手な事ばかり言いやがって! 絶対殺してやる!!」
“――ユキ!? こんなユキ、今まで見た事無い……”
これまでアミが見た事も聞いた事も無い、ユキの感情の爆発とも云える絶叫。それと共に繰り出される、凄まじい程の刀と鞘に依る波状連撃。
だがシグレはその全てを、余裕綽々で一刀の村雨で受け流し続けた。
幾重にも重なった多重の連撃、金属音が弾ける様に鳴り続き、その衝撃により大気すらも震えていた程の。
“――くそっ! 何故……何故当たらない!?”
だが繰り出される全ての剣撃は捌かれ、ユキは次第に焦りにも似た焦燥感に苛まれていく。
「流麗かつ正確無比だった双流葬舞、見る影も無い程に粗いな。人の斬り方、忘れちまったのか?」
シグレはユキの連撃の合間を縫って、村雨を軽く振り上げる。
「ぐっ!!」
その太刀筋はユキの左肩を掠め、傷口こそ浅いが鮮血が吹き上がった。
「舐めやがって!!」
攻勢を寸断されて尚、ユキは強引な迄に攻勢を強めたが。
“――何故?”
しかし、その刃も鞘も当たらない。逆にユキの身体に、幾多もの切り傷が増えていく。シグレの太刀筋が全く見えていないかの様に。
「遅い遅い。それにもう少し、周りにも気を配った方がいいな」
“ーーっ!?”
シグレの言っている意味に、遅蒔きながら漸く気付く。
“――こっ……これは!?”
自身の周りに髑髏の形をした幾多もの水球が、取り囲む様に浮いていた事を。