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「それにしても、超絶パスだっ――」
顔を真っ赤にさせた拓真さんが俺と瑞奈の前の席に座ろうとすると、同じく顔を真っ赤にさせた瑞奈が「でしょ、でしょーぅ!」と、拓真さんの語尾をかっさらった。
拓真さんは面白そうに瑞奈に視線を向け、続けて俺の表情を窺がうように見てから、ナマもう一つ、と通りかかったお店の人にビールを注文する。
チーム行きつけの居酒屋『ファンタジスタ』で、俺達は勝利の美酒に酔っていた。ちなみに俺はあまり酒を飲めない。酒飲みの瑞奈をフォローする役割を宴席では担う。
「でもね、注目して欲しいのは、パスじゃないのっ」瑞奈が唾をとばしながら箸で小皿をかちんかちん叩く。
「股抜き! あの股抜きの華麗さ! ああーん、言ってる自分でも酔いしれちゃう。へっへっへ」
「もう完全に酔ってるだろ」
俺が突っ込むや、瑞奈からドスのきいた視線を向けられ、俺は口を閉じる。
「まあ、なんだ。おまえが晴翔相手にあの技を練習してるのを見てたから、さすがと言うか、まあ、なんだ、よくやった。これで俺たちは四回戦に進めるしな」
言うそばから拓真さんが涙ぐみだした。うっうっと泣きだす前兆の息が漏れた後、テーブルに突っ伏して本格的に泣き始める。拓真さんは酒が入ると泣き上戸になるのだ。涙を流しながら、時々たくあんをぽりっと齧るのだ。
「でしょ。でしょでしょ! それなのに、みんなゴール決めた晴翔くんを褒めるんだもん」
瑞奈がぷくりと頬をフグのように膨らませる。俺が、その頬をつつこうと手を浮かせると、「何? その手」と瑞奈が低く言い放った。
拓真さんの口ぶりを真似すれば、『まあ、なんだ。察しがいいな』。
拓真さんが突然がばっとテーブルから顔をあげ「あの逆転ゴールの貢献度は、シュートした晴翔が七十パーセントで、瑞奈が三十パーセントってとこか。ううう」と言うや、嗚咽を?み殺しながらまた突っ伏す。
「違う。あたしが五十パーで、晴翔くんも五十パー。あたしがパスでボールを繋がなければ、あのゴールは生まれなかったんだからっ」
瑞奈はぐい?みをきゅーっとあけていく。瑞奈は、二杯目以降は日本酒派だ。
「いい飲みっぷり」
同席している幸成が、おどけた声をだした。
「うるさい、へっぽこディフェンダー。あんた、足に情熱がなさすぎるのよ。あと後ろ髪長すぎ、太りすぎ。足遅いからディフェンスが間に合わない。ダイエットにも情熱を注ぎなさいよ、このモブキャラめ」
「でたっ! 瑞奈の情熱論」
へっぽこ呼ばわりされた幸成が、被っていたヤンキースの帽子をくるりと回す。ラッパー気取りで金色のネックレスにだぼっとしたシャツを着た幸成は、へらへらした表情で薄紫色のサワーに口をつけた。
「そんな軟弱な飲み物飲んでるから、あっさり抜かれるのよ。男ならガツンと日本酒いきなさいよ」
瑞奈が手酌でぐい?みをきゅっとやる。
あはははは。幸成が、俺を見ながら朗笑した。
「晴翔。おまえどうやって瑞奈を落としたんだよ、こんな美人酒豪。おまえ日本酒どころか、酒自体ほとんど飲まないのに。やっぱ顔がしゅっとしてるからか、イケメンは得だな」
「晴翔くんじゃない。あたしが、晴翔くんを落としたの」
おおおーっ!
いつの間にか店内のチームメイト全員が、俺たちに注目して、瑞奈の発言に感嘆の声をあげていた。泣き腫らした顔の拓真さんまでもが目を丸くしている。
「愛してる晴翔君、あたしの情熱受け取って、なんて言いながら迫った?」
幸成がしなをつくり俺にもたれかかってきた。
「うるさい、セクハラ貧弱ディフェンダー。あ、脂肪たっぷりのお腹は立派だけど」
瑞奈が幸成の腹にポコポコとパンチを見舞う。
「愛してるぅ、愛してるぅ、晴翔くーん」
幸成が腕を広げて俺に抱きついてきたので、俺は幸成の腹に瑞奈以上の重たいパンチを喰らわせる。チームメイトがどっと笑う。
瑞奈がそんな笑い声に負けじと、
「愛してる、そんな歯の浮くセリフ、絶対に言ってやるもんですか」
うおおおおおおおおーっ、と店内の盛り上がりが最高潮へと昇りつめていく。
パンパーカパーン♪
幸成がふざけ口調で結婚協奏曲の韻律を口にした。
すると瑞奈がその韻律を止める指揮者のように両手を振った。
瑞奈を除いたチームメイト全員が地雷を踏んだような表情になる。まるで突如として現れた奈落の底を見た気がした。
凍りついたような沈黙が漂っていることに、瑞奈がようやく気付いた。
「へ? 何、みんなお葬式みたいな顔して」
幸成がおずおずと、恰幅のいい身体を縮こませながら瑞奈に尋ねた。
「だって、嫌だったんだろ。そのパンパーカパーンが。手で『止めるように』合図したぐらいだから」
「何言ってるのよ」
けろりとした表情で瑞奈が幸成の言葉を一蹴する。
「嬉しいに決まってるじゃない。でもね、」
にやりと頬を緩めた瑞奈は、俺をガン見してから、高々とチームメイト全員に宣言するように言い切った。
「プラチナリングを薬指に嵌めてもらう時じゃないと、パンパーカパーン♪は聞きたくないの。だ、か、ら、それまでは歌うんじゃねぇーっ」
瑞奈が皆を煽るように両手を挙げ、笑い転げるチームメイトの一人ひとりの顔に向けて指を突き出す。
「歌うなー。まだ歌うなぁ。誰かさんからプラチナリングもらうまでは封印だぁ。で、プラチナリングをもらったら、おまいら雁首揃えてあたしのために歌えーっ」
ケタケタと瑞奈が笑い声をあげる。
最後に俺に向けて、瑞奈が指をさす。ウインクしながら照準を定め、その手を鉄砲のようにした彼女が嗄れ声で言い放つ。
「バンっ!」
異様な盛り上がりを見せている俺達を眺めようと、居酒屋『ファンタジスタ』のマスター・薫さんも調理場から顔を覗かせた。青いアイシャドウがエジプトのファラオみたいだ。
「あらぁ、いい盛り上がりじゃない」
大学でゲイに目覚めたマスターが、低く甘い声で、
「瑞奈ちゃん、その考え方凄くいい。最近は顔の綺麗さだけを強調する女が多いけど、あなたは違う。美人だからこそ、そうやって言動で主張すべきなのよ。顔だけじゃだめ。いいわ。ホントにいい。だから、大吟醸サービス」
ことりと大吟醸の瓶と透明のグラスをテーブルに置く。
瑞奈の顔が喜色で染まった。舌先をちろりと覗かせて、
「みんな、セクハラ豚野郎たち、飲みが足りなーい! ばかもの」
立ち上がってメンバーを煽るや、瑞奈は透明のグラスに大吟醸をなみなみと注いだ。
「いえーい。あたし、優勝して、絶対に天皇杯のピッチに立つぞぉ! へっへっへ」
言うそばからぐびりと杯を乾かす。
「やっぱ、いいわね、瑞奈ちゃん」と感想を漏らすマスターの声をかき消すほどの勢いで、店内に笑い声が響き渡った。
*
「おろせー。あたしは大丈夫だ! 酔ってにゃい」
『ファンタジスタ』からの帰り道、瑞奈が一人暮らしをするアパートの近くで、俺におぶられた瑞奈が耳元でわめいた。
「充分酔ってるって」
ずり落ちそうになった瑞奈を再度おぶり直す。彼女の身長は俺よりも十五センチほど低いが、それでも百六十センチある。おぶり続けるのはなかなかに難儀なものだった。
「酔ってにゃい」
瑞奈が鼻先を俺の首に押しつけた。くんくん匂いをかぎだす。
「酔って呂律回ってねえだろ。語尾がネコ語になってるぞ」
「うにゃあ!」
かぷ、と瑞奈が俺の耳たぶを噛んだ。
「だっ! 痛えっ」
腕の力が緩んだ隙に、瑞奈がずるりと背中からずり落ちた。俺は噛まれた耳を押さえながら瑞奈を振り返る。
「ったく、だったら歩け、歩け。その方が俺は楽だ」
「ああー、愛の無い言葉を吐いた。晴翔くんから愛が失われたぞ」
瑞奈が路面に尻もちをついたまま俺を指さす。その指は宙でかっちりと固まらずにゆらゆら揺れている。ついでに彼女の頭も揺れていた。
「どーでもいいけど、おまえパンツ見えてるぞ。黒の」
「すけべ!」
瑞奈がアイボリーのフレアスカートの上に両腕をおろす。まだ尻を地面に下ろしたままだ。
「だいたい、愛してるなんて言うもんか、みたいなこと言ったのはどこのどいつだ」
手を瑞奈に差し伸べる。彼女はその手をぱちんと引っ叩いた。
「うにゃー!」
「ネコパンチか」
「自分で起きられる!」
地面に手をつきながら瑞奈が起き上がろうとする。瑞奈は酔いが相当回っているのか、なかなか立ち上がることができなかった。
「おまえマジ酔いしてるな」
「ばかもにょ。よゆーぅだって」
見ていられなくなった俺は、瑞奈の背後に回り、両脇に手を差し入れた。
「や、ちょ、くすぐったい」
瑞奈が身体をよじる。髪から漂う香りが、汗のせいかより強く感じられた。
「んしょ」
瑞奈を抱き起こす。
「まったくロマンもへったくれもない立たせ方だ」
「お姫様がべろんべろんに酔っぱらっている時点でロマンは消失してるって。ほら行くぞ」
瑞奈の肩を軽く小突き、肩を並べて歩こうとした。
しかし、一歩目で、瑞奈が膝から崩れるように転んだ。
「おまえマジか?」
当の瑞奈は、ぽかんとした表情をしていた。両手を地面について身体を支えている。口が半開きになっていた。
「おまえ、またパンツが」
再度手を差し伸べる。すると、今回は、瑞奈は手を払わずに、素直に俺の手を握った。力を込めて瑞奈を立たせる。
「おまえマジで酔ってるな。足に力入ってねえよ」
呆れ気味に瑞奈の顔を一瞥しようとしたところで、彼女の表情が硬まっていることに気付いた。何も言い返してこない。こんな瑞奈は珍しかった。
「どうしたんだ? 『ファンタジスタ』にスマホでも忘れてきたのか?」
瑞奈は応答しなかった。それどころか、俺の手をずっと握り締めている。いや、俺の身体にしがみついてきた。まるで、自力では立てないから、支えを必要とするように。
「おまえ、どんだけ酔って――」
「違うのっ!」
むっとするほど蒸し暑い夜空の中へ、瑞奈の言葉はあっという間に吸い込まれた。それなのに、言葉の余韻が空気中を漂っている。
瑞奈が先ほどよりも強めの声をだす。
「違うにょっ!」
「何が違うんだよ」
しがみついてくる瑞奈をきちんと立たせようとすると、途端に腰から墜下するように彼女の膝が折れた。しゃがみ込んだ瑞奈が地面から俺を見上げる。
「にゃんか、変」
「変?」
「歩けにゃい、つうか立てにゃい」
訴えてくる目に、酔いの気配は消えていた。
「走り過ぎたんだよ。おまえいつも全力プレーだから」
腰を落とした俺は、瑞奈と同じ目線の高さで話をする。
「俊介がパンチングで防いだクリアボールを追っていた時点で、本当は体力の限界が来てたんだろ」
瑞奈は口を噤んだ。
いくら瑞奈がサッカー技術に優れているとは言え、大学生の男にまじってあたりの強いサッカーをこなすには、相当な体力を使う。身体のぶつけ合いでは、体格が勝る男に太刀打ちができないのは自明の理だ。だから、瑞奈はそれをカバーするために、ピッチ上を隈なく走り回っている。足にはかなりの負担がかかっているはずだ。
「ん」
瑞奈がおとなしく頷いた。片膝をついていた俺は、彼女に対してくるりと背を向ける。
「乗れよ。やっぱりおぶってやる」
湿った空気が鼻腔を通るぐらいのちょっとした時間を置いてから、瑞奈が背中にもたれてきた。首に腕が回される。立ち上がると、首もとに瑞奈が鼻先を押しつけてきた。
「晴翔くんの匂い、しゅき」
闇空では半月が薄いヴェールを纏い、ぼんやりと輝いていた。だがすぐに、灰色のもくもくした雲が光を隠した。八月初旬の蒸し暑い夜のことだった。